2013年02月02日

ココ・ファーム・ワイナリー


2013-01-28 12.15.14.jpg


うっすらと「おいしい国産のワインらしい」
ということは知ってた。
栃木県足利市にある、ココ・ファーム・ワイナリー

ココ・ファームを題材にした授業の教材をつくるため、
この数週間、ココ・ファームの本や記事を読み込み、
ワイナリーで一日を過ごし、
何人もの人にお話を伺い、
東京でのイベントに出かけ、
たくさんワインを飲んで、
そして仲間といろいろ議論をした。


ココ・ファームは、
成人の知的障害者の施設「こころみ学園」の園生たちが
ぶどうの栽培、ワインの製造にたずさわるワイナリーだ。

サミットの乾杯のワインに使われるなど、
完全に世界でも勝負できる質のワインを作っている。
赤・白・ロゼ・スパークリング、いろいろ飲んでみたけど
とにかくどれもおいしい。深く明るい、味わい。


議論を始めたころは、なんとなく、
障害者である園生の雇用(つまり社会的なこと)と
ワイナリーの経営(つまりビジネスの継続)とは、
どちらかというと相反するものであり、だとすると、
それをどう両立させているのか、
みたいなことがテーマになるのかなと思っていた。

でも、知れば知るほど、相反するどころか、
園生の存在こそが、ココ・ファームのワインの素晴らしさ、
ひいてはサステイナブルなビジネスを
つくりだしているのでは、と思うようになった。


彼らは言えばわかる人たちではないし
命令すればやってくれる人たちでもない。
いやなものはいや。好きなものは好き。
その代り、うまくはまると
驚くほどの集中力で仕事する。

だからワイナリーのスタッフも学園の職員もとにかく必死で、
この園生は何だったらできるのか、ということを考え、
いろいろ試行錯誤をするなかで、
一人一人にあった仕事のかたちを作っていく。

園生の仕事には、邪念が混じらない。
例えばワインに使うぶどうの実を選ぶ基準も
いいものはいい、悪いものは悪い、と、とてもはっきりしている。
これは高いワイン用だからちゃんといい実を選んで、
安いワインには少し傷んだのも入れちゃって、
と、普通の人が考えそうなことには絶対にならない。

さらには、障害者が働くことを通じて
誇りと責任を持って生きる、つまり自立する環境をつくる、
ということを一番の核においているから、
除草剤を撒いて効率化しよう、みたいなことは
最初から選択肢にも入らない。
だって草刈りという大切な作業ができなくなる。
すると、自然と土地は豊かになり、美味しいぶどうができる。
ぶどうがおいしいから、
そのよさをいかしたおいしいワインができる。


一見遠回りに見える。
手間と暇がかかって、ビジネスとは相反するように見える。


でも、障害者と診断される人じゃなくったって、
人は本当は一人一人全然違って、
何が得意なのか、苦手なのか、
好きなのか、嫌いなのか、まるで異なる。

そして、どんな人であっても、
その人が本当にぐいっと、いいものを生み出せるのは
頭で考えてうんぬん、ではなくて、すぽっとはまった時。


2001年に新卒でココ・ファームに入って
今や醸造責任者をつとめる方がこういってた。

「園生は、自然と仕事にうちこんで、楽しんでいる。
楽しもうと思って楽しんでいるのではなく、楽しんでいる。
そして自分の仕事に誇りと責任を持っている。
園生の働き方は、自分にとっての仕事の理想形、なんです。」


そうか、「人ありき」以外の選択肢が逆になかったがゆえに、
働くって、仕事って本来こういうこと、という感覚が共有され、
結果、いいものが生まれているんだ。


ココ・ファームのような場所、
仕事に対する感覚を持つ人がもっと増えた未来で生きたいし、
そんな未来になるために自分ができることを、
すなわち「仕事」を、心を込めてやっていきたいなあ...
posted by まゆか at 00:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月02日

進む

自分が進んでいく道。
乗り越えるべきハードル。

力不足に大騒ぎしながらも
できることはできる限りやっていると
曇りのない純粋な厚意で
いろんな人が助けてくれる。


今までは、人に助けを求めたときは、
どことなく恐縮したり
いつか何か返さなきゃ、と
思ったりしてたけど
そんな気持ちももう全く起こらない。

堂々と思いっきり助けてもらう。
心から感謝しつつ。


どうもありがとね。


そして気づいたら
昨日より今日は
確実に前に進んでいる。
posted by まゆか at 20:07| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月15日

切実

今の私にとっては
天啓のような言葉を聞いた。


「あるところまで行くと
好きとかそういうレベルを超えて
もっと切実なものになる。」

そう、そうなんだよ。


その人がその人生で
本気で向かい合うべき
人なり物事なりに出会った時。

いや、本気で取り組むことが
すでに決まっていることに対し、
本気で取り組むことを決めた時、
というほうが、たぶん実情に近い。


そうすると
今までの考え方とか、
心のタフさとか、
体力とかでは、
笑っちゃうぐらい
キャパオーバーになる。

心も体も頭も
丸ごと鍛えなおさないと
とても太刀打ちできない。
最初はノックアウトだ。


少しずつ鍛錬して
キャパを広げて
自分がやるべきことを
やれるような自分になっていく。

そのプロセスは
とてもしんどくて、
でもやることは
決まっているから
やるしかなくて。


「これをやるのが好き!」
「好きだから一緒にいます!」

とかそんな感じじゃない。

「幸せ」とか
そんなことは
もはやどうでもいい。


だって、切実だから。
生きること、
そのものだから。


切実さをも、
呼吸のように、
人生の一部にできた時、
新しい何かが生まれる。
本当の自由が始まる。
posted by まゆか at 19:57| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月01日

「問題解決」

昨年3月に受け持った
医学部生向けの短期集中講座の講義を
今年もやることになった。

今年は、昨年自分で考えて作った
プレゼンとインタビューの講義に加え、
「問題解決&戦略的思考法」
という講義も担当。

問題解決の講義は
この短期集中講座が
立ち上がった2003年ごろに
一度担当したことがあるし、
代々受け継がれたよくできた資料もあるし。
ということで、
ほいほいと気軽に引き受けてしまった。


...これが大変だった。


まず、2003年と2010年の自分の違いを
もっとちゃんと認識すべきであった。

2003年。
2年半という短い期間ながら、
非常に濃密なロジックの世界で
朝から晩まで過ごした、その直後だ。
自分もまだ「問題解決」やら「戦略的思考」やらの
思考回路の中で生きていた。
だから講義は簡単だった。現在進行形だから。

それから7年。
そんな思考回路はもう錆付いて
あるかなきかになっていた。

その頃の自分を
自分の中に何とか見つけ出し、
すぐいなくなってしまいそうなところを
何とか呼び止めて、対話を重ね、
今の自分の中に、
せめて回路の跡だけでも残るよう、
ふんばる。これはなかなかに大儀だった。


それと、やっぱり、
人の作った資料、というのは、
どうもよろしくない。

考える過程でスライドを削除したり、
内容を変えたりしたものの、
表面をなでるだけの手の入れようでは
心がこもりきらない。

スライドの説明をしつつ、
「私はただこれを説明するだけの役割」
という気持ちが常につきまとって、
書いてあること、言っていることから
自分が距離を取っているのがわかる。

自分が話しているのに、
自分の言葉でないような。


さらには。
この7年の間に
問題解決や戦略的思考といった
ロジカルシンキングの切れは
やたらと鈍くなったけど、
逆に、もしかしてそれがゆえに、
見え、聞こえるようになったものもある。

それらを改めてきちんと掘り起こし、
言葉にしていき、この講義にも
盛り込んでいくべきだった、
という気が、とてもしている。


「問題解決・戦略的思考法」の
既存の資料にに書かれていることは
長年にわたる知恵の結集なので、
私の話の仕方がどうであろうと、
内容自体の価値は減ることもない。
だから学生さんたちは、
喜んでくれた(ように思う)。

でも、今後もし講義を
引き受けることがあったら、
時間はかかるかもしれないけど、
自分の言葉で資料を作り直そう。

それによって既存の資料より
しょぼくれてしまったって構わない。


私が話せるのは、
私が本当にわかっていることだけ。

いくらすごいことを言っても、
そこに話し手の頭と心が伴わなければ
その言葉に力はこもらない、から。


いずれにしろ、
教えるというのは、
大きく教わることだなあ、と
今回もつくづく思いました。
posted by まゆか at 22:52| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月20日

山を登る

仕事って、しないということも含め、
いろんな選択肢がある。

そして、どれを選ぶかで、
人生はずいぶんと違ってくるような
そんな気がしてくる。


でも、実は、
どの仕事をするか、
もしくはしないか、なんて、
同じ山を違う道で登る程度の違い、
なのかもしれない。

当然、道によって、
しんどさが違ったり、
見える景色が違ったりはするけど。

しっかりと歩き続ければ、
いずれ山の頂上に着く。


それに、圧倒的に楽な道もなければ、
しんどいだけの道もない。

あまりにも急な斜面が多くて、
こんなことならもう一本の方を
いけばよかった、と後悔していた矢先に
美しい花が咲いているのを見つけたり。

楽だなあ、楽しいなあと、
ふんふん歩いていたら
急に天候が悪化して、
雷に打たれそうになったり。


もっと言えば、
頂上に着くかどうかすら、
どうでもいいのかもしれない。
自分の意志で自分の足で登るということ。
それそのものが、
十分に圧倒的に、尊い。

頂上に着くだけなら、
ヘリコプターに乗ってしまえば
いいんだから。あっと言う間だし。


何をして生きるか、じゃなくて。
どう生きるか、だよね、きっと。
posted by まゆか at 23:19| Comment(4) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月19日

文化形成

慣れ、なんだと思う。
つまるところ。
文化って。


土井香苗さんのご紹介で、
ヒューマンライツウォッチ
チャリティーディナーに出席した。


ヒューマンライツウォッチの制作する
コンゴにおける人権侵害のビデオ上映。

活動をサポートする
日本の起業家たちのスピーチ。

チェチェンでのロシア政府による
圧政の事実を報道したことで
暗殺された女性からの「バトン」を受けて、
自らの命もかけて活動を続ける
若いロシアのジャーナリストのスピーチ。

彼女の静かな覚悟に
しばし言葉を失う。


その後、
チャリティーオークションが開かれた。

普段の感覚で聞いたら、
びっくりするような金額が
次々と提示され、
今晩だけで、
550万ぐらいの寄付が集まったそうだ。


見渡すと著名な実業家も結構いた。
だから「あの人たちは金持ちだから」
と言って、自分とは関係ない、
とするのも、ありだと思う。

でも、何気ない普段の生活にも、
「そういうことになっているから」
「みんなもそうしてるから」という理由で、
それほど意識せずに、
えらくお金を使っていることって案外多い。


結婚式とか家とか車とか。


高いと思うかどうかは、
結局その人がお金をどう使うか、
どう使いたいか、
と思っているかによる。

寄付となると腰が引けてしまうのは、
そういうお金の使い方に
体が慣れてないだけ。

消費となるとまるで大丈夫で、
むしろ浪費をしてしまうぐらいなのに。


みんなが楽しみつつ、
えいやっという感じで
寄付をする今晩のディナーを見ていて、
寄付がなかなか根付かないと言われる日本人も、
ちょっとずつ寄付に慣れて
次第に寄付文化が育っていくような、
そんな予感がした。

私自身の中でも、
寄付をするという行為が、
だんだんと自然に
流れるようになってきた気がする。


それにしてもとびきり素敵な夜でした。

土井さん、お疲れさまでした!
とてつもないachievements
だったと思います。本当に。
posted by まゆか at 23:59| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月12日

にわとりと卵

気持ちの良い仕事をする人だなあ、と、
感動する若手には、
素敵な上司がついていて、
素晴らしい大人だなあ、と、
惚れ惚れとするシニアマネジャーには、
できる部下がついていること、が多い。

そしてお互い、
「いい上司に恵まれて」
「部下のおかげです」
と言い合ったりしている。


これって、偶然と言うよりかは、
必然に近い現象な気がする。

きっとある種の人は、
上に立つ立場であれ、
下でサポートする立場であれ、
常に周りに「恵まれている」のだ。


それはきっとその人が、
ちゃんと仕事をする人だ、
というのは大前提として、
とても素直な心で
一緒に働く人の良いところを感じ取り、
それを信じる人だからだと思う。

だから自然と
その人の周りにいる人たちも、
ぐいぐいと力を発揮していく。

そして、
個々人が輝きを最大限に発揮しあう
チームが作られる。


上司が部下を作り、
部下が上司を作る。

つまりは、
その人次第、ということ。
posted by まゆか at 00:04| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月08日

脱却

いまいち自分の中に
やる気がない、とか。
明確な締め切りがある
他の仕事を優先する、とか。

そんなこんなで、
しばらく放置しているうちに、
先方がしびれを切らして
様子を聞いてくるようになると、
どうも仕事って、
うまくまわらなくなる。

受身になったとたん、
仕事のリズムが悪くなる。

若干の罪悪感と、
でもどこかは
反発してしまう気持ちとで、
先方との関係もぎくしゃくする。
そのぎくしゃくが、
さらにリズムを濁らせる。


こういうときは、
えいやっと自分に気合を入れて、
夜でも週末でも、
一度まとまった時間を取る。

そこで、どどっと進めて、
受身の位置を脱さないと。

そして、その仕事に対する
自分のリズムを築かないと。


えらくマルチタスクなのに、
ゆるゆると楽に仕事をしてきたつけが、
どうもまわってきたような...
posted by まゆか at 23:56| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月31日

やる、時

こうしたらいいんじゃないかな、
これをいつかやりたいな、
と、思うこと。

とはいえ、今すぐやろうとすると、
体中の怠惰や言いわけを捨て、
勇気を振り絞らないとできないようなこと。
要は、腰が引けてしまうこと。


腰ぬけな自分に幻滅しつつも、
そのことは常に心のどっかに置いておいて、
時々、一人で反芻してみたり、
人にそのことを話してみたり、
気張らずにメンテナンスしておけばいい。
だらだらと待っていればいい。


そうこうしているうちに、
自分が変化する。
世界も変化する。


ある時、
以前は清水の舞台のように見えたことが
なんだ、ひょいっと飛び降りれるかも、
という気がする瞬間がやってくる。


今なら、できるかも。無理なく。


そう思えたら、やればいい。
というより、
そう思えたら、必ずやる。
posted by まゆか at 22:05| Comment(2) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月08日

空中ブランコ

最初はしんどかったことも、
続けているうちに、
案外楽にできるようになる。
体の中にある種の「型」ができるから。

調子よく、気分よく、
型にそって、ぽんぽんと続ける。


でも、そればかり
同じ形で続けていると、
均衡点で安住しているような、
過去の自分がつくったアセットを
食いつぶしているような、
もどかしい気持ちが
自分の中で芽生えてくる。

そんなときは、
思い切って型を手放してみる。


空中ブランコ乗りが、
もう一つのブランコめがけ、
宙に向かって、ぽーんと、
自分の体を投げ出すように。


最初は、空をきって、
落下するかもしれない。
でも、一度でもブランコをつかめれば、
つかんだ感覚を覚えた体が、
次のジャンプを助けてくれる。

そして、難易度の高いジャンプも、
自然とできるようになる。


続ける。
でも、とどまらない。
変わり続ける。


創造は、習慣の一歩先に生まれる。
posted by まゆか at 23:59| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月05日

ボランティアの鉄則

このところ自分が会いたい人や、
会ってほしい人同士が、
ばったり会う、
という流れがあり、
いい感じだなあ、と、
にまにましていた。


そうしたら、この度、
全然違う意味で、遭遇すべき人と、
遭遇してしまった。


「やらなきゃいけないことリスト」
のトップに置きつつも、
やらないまま半年放置してきた
あるタスク。

いい加減やってください、
とお願いされて、そろそろ
重い腰をあげなきゃだめよ、
その気になれば数時間で済むでしょ、
と、自分に言い聞かせていた
まさにその時。


駆け込んだ電車。
私の横1メートルのところに、
そのタスクを最終的に
受け取るべき先生が、
立っていた。

その人自身とは
そこまで面識はなく、
私はマスクもしていたし、
髪型もだいぶ変わっているし、で、
その場は気づかぬふり。
日能研の問題解きに、
夢中になっているふりをしつつ。

でも心の中で、
「ひー、ごめんなさい。
わかりました。
早くやりますから!」
と一生懸命弁明する。


もとはといえば、
自分の怠惰はもちろんのこと、
ボランティアの仕事を、
義務感や強迫観念で受けたのが、
まずかった。


ボランティアを、
オブリゲーションでやろうとすると、
いずれ自己破綻する。

だから引き受けるときは、
頭も心も本気でやりたいと
思っているときだけにすべき。


何度も同じことを繰り返し、
人に迷惑をかけ、
自分も嫌な気分をいっぱい味わって、
ようやく学んだことだ。


本件については、
この遭遇を吉と捉え、
週末に片付けて、
すっきりした気持ちになろう。
posted by まゆか at 20:23| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月04日

習慣のクローゼット

今年の抱負の「習慣」シリーズ。

習慣にしたいことの
ウォークインクローゼット、
みたいな場所が自分の中にある。

絶対に日々やったほうがいい、
(もしくはやめたほうがいい)
と頭ではわかっているけど、
まだ実際の行動にうつせていない
もろもろのことが、
そのクローゼットに
ぼんぼん放り込まれる。


運動とか、
語学とか、
料理とか、
創作活動とか、
常に綺麗な部屋とか、
暴飲暴食禁止とか。


あー、やらなくちゃなあ、と
自分に言い聞かせるのに、
どうしてもできず、
自分の甘さや弱さにあきれて、
そのうちに「まあいいや」と開き直る。
でもとりあえずクローゼットの中に
入れたままにしておく。
時々扉を開けては「あーあ」と思って、
またなえたりする、みたいなのを
うだうだと繰り返す。


それが、ある時に突然、
「あ、やってみようかな」という気持ちが
むくっと立ち上がる瞬間がくることがある。

そうしたらその機を逃さずに、
すかさずとりあえず一回やってみる。
そして、しばらく、集中して続ける。

そのうちに、
あれほど面倒くさがっていたことが、
少しずつ自分の生活に
無理なく組み込まれていく感覚が生まれる。

そうなれば、しめたもの。
すでに、習慣になっている。


料理、というのが、
どうにも鬼門だった。

なんとかせねば、という思いで、
アクセサリーデザイナーのともちゃん
開いてくれる素敵な料理教室に行っても、
彼女の、料理やおもてなしへの愛情を見ては、
やっぱり私には向いてない、とか言って、
復習をするどころか、
逆に料理をしない言い訳にしてた。

それが、先週末。
急遽、「あ、今晩作ってみよう」と思い立ち、
ともちゃんのレシピを一品だけ再現してみると、
あら、簡単。しかも美味しい。

その次の日は違うのを一品作る。
さらに次の日はまた別のものを...

まだほんの数日だけど、
料理がウォークインクローゼットから、
棚卸されつつある感じがしている。

食生活にも規律が出てくる。
相当、気分がいい。


ここ最近で、
朝晩ストレッチと、
ブログ書きと、
ゆったりお風呂と、
料理を、クリアしたっぽい。


残る棚卸ターゲットは、
中国語と、
ランニングと、
さらなる執筆活動。

うーん、こりゃどれも、大物だな...
posted by まゆか at 22:39| Comment(2) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月24日

「増」職

この間参加させていただいた
あるセミナーの懇親会で、
シュウカツ中の院生に出会った。

私が戦略系コンサルティング会社で
働いていたと話したからかだろうか。

「これからどうキャリアアップ
されていくんですか?」

「転職とか考えてますか?」

という質問がやってきた。


うーん。質問を受けてみて、
かなりくっきりと思った。

わたし、たぶん「転」職は
しないだろうなあ、と。

また、同じ組織内でも、
組織を変えるにしても、
収入やら地位やらを上げることを目指す
キャリア「アップ」なるものとも
まるで無縁だろうなあ、と。

(というかキャリアアップという言葉に、
妙な違和感を覚える。
アップさせるものではなく、
育むものなんじゃないかな、キャリアって。)


今後のイメージは、
あえて表現するなら「増」職。

自分一人では絶対に手に入らない
出会いや思考の広がりを与えてくれる
福音のような現在の本業に、
少しずつ個人の仕事を重ねていく。

それぞれの仕事が、
互いにリンクしたり、
シナジーを起こしたり、
どれが「本」でどれが「副」か
境目があいまいになる。
職が増える。


「増」職の過程で、
私という一人の人間がやる職の
ありようの形のようなものが、
ちょっとずつ形成されて、
いずれ人と職が合わさって
「職人」になる。

なんてことになれば、理想だな、
と思っている。


学生さんの予想と期待には全くはずれた
回答しかできず、申し訳なかったけど、
自分としてはぼんやりと考えていたイメージが
よりはっきりした像を結ぶ結果になって、
勝手に、かなり、満足。
posted by まゆか at 23:51| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月10日

習慣にする力

大人になるにつれ、
失ったたくさんのものの中で、
今の自分にないことが、
どうにも歯がゆいのが、
「習慣にする力」だ。


大学に入るまでは、
何かをやろう、と思ったら、
それを日々続けることができた。

お菓子を食べない、と決めたら、
調理実習のデザートにすら
手をつけないほど徹底して、
2年ぐらい本当に食べなかったし、
ラジオ体操をやろう、と思ったら、
気付けば5-6年はやってたし。
毎日集中して勉強してたし、
買った英語教材はひたすら聞いてたし。


どうしてあんなに
ストイックでいられたんだろう。
あのぴしっとした私は、
一体どこに行ってしまったんだろう。


今と違って、
とにかく雑音がなかった。
外食なんて年に一度あるかないか、
親と先生以外の大人も知らず、
自分が一体どれくらいできるのか
世間でちゃんと生きていけるのか、
全然わからなかった。
将来何がしたいかとかも
全く検討もつかなかった。

だから、ひたすら、
前にあること、置いたことを、
黙々とやるしかなかった。
それが「習慣にする」ということ。


自分の絶対的な感覚だけを頼りに、
「今」を生きていた。



あれから変わったこと。

美味しいレストランやら、
いろんな人の存在やら、
様々な娯楽やらに囲まれて、
常に気が散っている状態になった。

否が応でも締め切りや目標が
設定されるので、その力に頼って、
自分が自分を律する必要がなくなった。

自分がどれくらいの力を出すと何ができるか、
おおよそのところがわかるようになり、
この程度やっていればいいか、と、
何となく手抜きな感じになった。


相対的な価値観に支配され、
ただ漫然と日々を過ごしている、
といったところか。

中国語も教材を買ったどまりだし、
食生活は相変わらずでたらめだし、
書くつもりがネットサーフィンだし、
毎晩・朝のストレッチを除くと、
全般的にぐだぐだだ。


今年は、なるだけ雑音を減らし、
やると決めたことを、
習慣にしていくのが、最大の抱負。
posted by まゆか at 22:17| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月18日

流れるプール

普段は自分の好きなように、
頭を動かしたり動かさなかったり、
という完全マイペースな日中を
過ごしているせいか、
密度の濃いインタビューが入ると、
急に頭がいつもの数倍の速度で
大きな力でかき回される感じがある。

その時間の一日のトータルが
ある累計時間を超えると、
家に帰ってからもぼうっとして、
頭が全然動かない。

軽いインプットはできるけど、
アウトプットしようにも、
頭が腰を上げない。


流れるプールを逆行しようと
ふんばってみてはすぐ流される、
みたいな感覚。


でもここで疲れたからといって、
ふんばることをあきらめたら、
ますます腰が重くなって
流れるプールのなすがまま。
ちとふんばらねば。


と、ぶつぶつ言いながら、
無理やり無意味な言葉を
だらだら重ねてみる...

だめだ、眠い。おやすみなさい。
posted by まゆか at 23:16| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月22日

好かれる人

多くの人から好かれる人って、
すごく人間が出来てる、とか、
信念がある、とか、
思いやりがある、とか、
いろいろあるけど、
つまるところすごく単純で、
人のことが好き、
ということなんだと思う。
しかも本気で。心から。


そういう人が「纏う」空気って、
限りなくあったかくて、
限りなくフラット。

だから相手の空気も
すぐに包んで、瞬間でつながる。


その人がいるだけで、
びりびりとみんな緊張する、
恐怖心がモチベーションを支える、
みたいなリーダーシップがある。
戦後の高度経済成長を引っ張った、
創業社長の多くは
そういうリーダーだったのでは。
それも全然ありだし、社会には必要。


でも、これからは、
その人がいると、
みんなが自然に笑顔になり、
力まずとも自然とがんばっちゃう、
それをみてその人もニコニコ、
というようなリーダーシップが、
大きな力を発揮するようになると思う。

そしてこれは、
リーダーシップという単語では、
もはや捉えきれない類のもの。力。
(powerじゃなくてforce)
posted by まゆか at 23:49| Comment(2) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月19日

発言

「ミーティングで発言しない奴はNo Valueだ!」と、
コンサル時代に叩き込まれて以来、
ミーティングではとにかく何か話さなきゃ、
という強迫観念が自分の中にあった。

発言ができないと
「ああ、今日の私はNo Value...」
と思って、ちょっと落ち込んだ。


最近は、もう、全然、
そんなこと思わなくなった。

別に必要なければ、
黙ってればいいじゃん。
発言のための発言をしたら、
その分みんなの時間が無駄になるだけ。


こういうスタンスでいるほうが、
みなの話をじっくり聞いた上で、
本当に話したい、確かめたい、と思うことだけ、
発言するようになるので、
数は少ないものの自分の発言の質は、
高まっているような感覚がある。

あと、みんなの発言をちゃんと聞いている、
というのは、結構それだけで、存在を通じて、
ミーティングの空気感の醸成に、
何らかの変化を引き起こす、
なんてことも、あるんじゃないかと思っている。


単にゆるんだだけかもしれないけど。


こうやって、少しずつ、楽になる。
大人になるのも、悪くない。
posted by まゆか at 14:49| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月07日

感謝

日本の企業やビジネスリーダーの
ケースを書くことが主要な業務だが、
その他に、HBSのいろんな先生の、
日本に関する研究のサポートをする、
ということもかなりやっている。

そして、研究のサポート、というのは、
なかなかに大変な仕事だったりする。


まず、先生によって、
興味範囲がばらばらで、
それぞれのトピックが異様にマニアックだ。

江戸時代の先物取引米会所、
日本の明治時代の特許、
日本企業の韓国支社における女性活用施策、
日本企業の中国における人事戦略、
日本のファミリービジネスの実態、
この10年間の上場廃止企業の名前、
日本の環境ビジネスについて...


そして研究というものの常で、
ごくわずかなアウトプットのために、
膨大なデータを必要とする。
しかも「こういうデータがほしい」
という無邪気な先生の言葉その通りに、
データが見つかることなんて、皆無。

ある日は特許庁の地下の図書館で、
手書き縦書き旧仮名遣いのほこりだらけの本を
ひたすら数時間めくり続け、
ある日はデータを探して、
いろいろな場所に電話をかけまくって、
一日かかって「データがない」ことがわかったり。


世の中、
そんなに単純じゃありませんでした、先生。


あとは、結構気軽に、
「こういう人に話を聞きたい」
「この人にコンタクトしてほしい」
と言う依頼も来るのだが、
これまた、絶対一筋縄ではいかない。

該当の人が転職・異動していたり、
すでに私に回ってきた時点で、
紹介の紹介の紹介ぐらいになっていて、
連絡したら、すごく迷惑がられたり。


こんなにやっても、
論文の一文になるかどうか、だし、
最悪、何にも反映されないかもしれない、
ということもわかっているから、
あー、もう、まじ面倒くさ、と、
さじを投げ出したくなること、しばしば。
時には「先生からのメール気づかないふり作戦」
に出たりする。すぐ解除しちゃうけど。


でも、そんな時、
本当にありがたいことに、
いろんなところにいる、
大切な知り合いたちが助けてくれる。


人を紹介してくれたり、
データを提供してくれたり、
その分野のことを教えてくれてたり。

そのおかげで、ふっと、物事が前に進む。


しかもみんな、
人脈という意味でも、
専門性という意味でも、
素晴らしい土台を築いていて、
とっても、とっても、頼もしい。


直接彼らに返せることなんて何もない。
お世話になるだけなって、
うやむやに終わってしまうことも、
多いのも事実。ごめんなさい。


だからせめて自分も、
大切な知り合いから、
仕事に関連する依頼が来たときは、
まだまだ微力だけど、
誠実に対応するようにしている。つもり。


こういう「持ちつ持たれつ」が、
重層的に織り重なって、
そこにいる人みんなにとって、
パワフルなアセットに、
なっていくのかしら。なればいいな。
posted by まゆか at 23:22| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月25日

見誤らないこと

コンサル時代の同期の女の子と、
丸の内でランチ。

自分のいた中高とか大学とか大学院とかには、
帰属意識や愛校心が限りなく希薄なタイプだが、
どうやら新卒で入ったこの会社はとても好きみたいで、
ここ出身の人たち(「卒業生」と呼ぶ)と会うと、
ほっとする所がある。
非常に強いカルチャーが生み出す濃密な空気を
例え時間差でも共有したことによる親近感からか。
一緒に「戦った」同志感からか。


それはさておき。


ベトナム料理を食べながら、
べちゃくちゃとおしゃべりしているうちに、
「見誤らないことが大切」という話になった。


どんなにいい仕事ができるようになって、
クライアントさんから、
「ぜひこれからも『あなた』と仕事がしたい」
と言われるようになったとしても、
自分は個人として同様の仕事ができると、
「見誤って」はいけない。
いや、いけない、というわけではないが、
後でそのギャップに少なからず苦労するよね、
なんてことを話した。


例えば、つい先週終わったプロジェクトは、
たぶん客観的にもそれなりの仕事ができたと思うが、
それは、まず大前提として、
ハーバードビジネススクールという組織にいたから、
関われた仕事であったし、
それから何よりも、
最高のチームの中にいたからこそ、
私ものびのびと思う存分にできた、というのがある。

素晴らしいチームだったのも、
その人と働くと誰もがものすごく頑張れてしまう、
という実に見事な先生がリーダーだった、とか、
たまたま人事異動があって
プロジェクトにふさわしい人がぽこっと入った、とか、
たまたまメンバー間の相性がぴったりだった、とか、
スポンサーとなるトップの人も、
たまたま私たちと馬が合う人だった、とか、
無数の偶然の積み重ねがあって、
本当にたまたまそういうチームができた。


あのチームを生んだ偶然が
一つでも揃っていなかったら、
私はあんな仕事はできなかった。
いわんや、所属の組織をとったら、
そもそも何も残らない。


思えば20代の頃は、
そのあたりを「見誤って」、
「私がいたからうまくいったんだ!」
と思ってしまうことがよくあったなあ。

もちろん自分も、
「不可欠な偶然」の一つではあるのだが、
自分だからそうなれた、というよりは、
いろいろな他の要素のおかげで、
そうなれるようにしてもらった、
という感じが、今は、する。

いろんなことが、だんだんと、
自然になってきたみたい。
あ、これをシンクロニシティというのか。


といいつつ、
「見誤って」がんがんいくのも、
苦労があるからこその新しい境地が開けるから、
それはそれで尊いことなんだろうな。

人、それぞれ、です。
posted by まゆか at 23:21| Comment(3) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月21日

聞き、話し、考える。

人の話を聞くと、
それを刺激として、
いろいろな考えがわく。

人に話をすることで、
今まで自分の中で
言葉になるほど固まっていなかったものが、
はっきりと輪郭をとる。

ということで、
聞きながら考える、
話しながら考える、
というのは、どちらかならできる。


でも、難しいのは、
聞きつつ考えてかつ同時に話し考えること。
「聞く」「話す」「考える」の同時進行。

自分の留学時代の経験では、
何か発言しようとすると、
周りが何を言っているのかが、
いまいち頭に入らなくなるか、
もしくはクラスの議論を聞きすぎると、
考えをまとめようとしているうちに、
話すタイミングを失うか、
そのどっちかだった。


日本人がなかなか授業中や、
会議で発言できないのは、
シャイなわけでも、
準備が足りないわけでもなく、
この「話す」「聞く」「考える」という
トリプル合わせ技の訓練を、
教育の過程でまったくというほど、
受けてないからなのでは、と思う。


例えばハーバードビジネススクールの、
教育手法であるケーススタディでは、
他の人が話すことを聞いて学び、
同時に自分の意見をまとめて表明する、
ということが求められる。
これを、ハーバードの場合では、
2年間で500ケースもやったりするのだか、
そうすると嫌でも訓練されるわけである。


一方で、日本で受ける教育は、
ほとんどが、ただ聞くだけの講義。
たまに発表をするにしても、
ただ前に立って話すだけのプレゼン。
聞くか、話すか、
どっちにしろ一方向のコミュニケーションだ。
生徒もさることながら
「聞きながら話す」という
ファシリテーションができる先生はいない。
というか「聞く」ことができる先生って、
ものすごく少ないような気がする。


これじゃあ、
いくら大人になって海外に行って、
そこで"Speak upしなくちゃ"と焦っても、
どだい無理な話。


コミュニケーションの基礎を鍛えるような
そんなプログラムが学校にできると、
できれば小学生からを対象にできると
いいんだけどなあ。
posted by まゆか at 22:31| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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