2010年03月25日

夏時間

あれは確か留学1年目の春休み。
つまり、3月の半ばごろだった。

悩みつつ気が散りつつ、
ペーパーを書いてた。

ああ、全然終わらん...

デジタル時計(ケーブルテレビに連動)
に目をやると、午前1時だった。

再度机に向かう。
1時間ぐらいしてから、
時計に目をやると。


またもや午前1時。


あわわわわ。記憶喪失?
とうとう頭がおかしくなった?
エイプリルフール?

一瞬のうちに嵐のような、
混乱と推測におそわれる。

...何のことはなかった。
ちょうどその日のその時間に
夏時間へ移行して、
時計の針が一斉に1時間
戻っていたのだった。


午前1時を二回目撃した日。


次の日も、留学生を中心に、
若干時間の混乱があったのを
うっすらと覚えてる。


そして、今日。
朝8時からの電話会議。

やってしまった。

冬時間に基づいて
アメリカ側に時間を伝えており、
1時間待ちぼうけをくらわせてしまった。
まあ、会議はできたけど、
本当に申し訳ないことをした。
かなり落ち込む。

その後ネットで調べたところ、
今年は3月14日から夏時間だそう。

あれ?私、22日ごろに
ちゃんと世界時計のページで、
調べたのになあ。
その後に夏時間への切り替えが
起こったかと思ってたのに。

そして気づく。
そもそも参照にしていた世界時計のページは、
25日の今日になっても、
夏時間が反映されていないことを。
間違った時が刻まれ続けているのを。

そしてさらに気づく。
何の疑問もなく使ってたけど、
Google検索でJALの国際時計に次いで
2番目に示されるそのページは
誰かが趣味で作った
個人のページかもしれないことを。
結構運営は適当かもしれないことを。


いかに、常に、
ネット上の情報は
それが正しいもの、という前提で、
それを当然として行動してきたか、
ということを改めて思い知る。

もちろん、知識的な部分を
ネットに肩代わりしてもらうことにより、
人間はもっと違うことに
時間や労力を使えるようになり、
それにより、世界はぐっとテンポよく、
今までにないことが生まれるようになった。

それは、全体としてははるかに素晴らしいことで、
というか、むしろいいとか悪いの次元を超えて、
世界はすでにそうなっている、という話だけど、
それでもやっぱり落とし穴はある。
それに対しては、自分しか自分を守れない。


待たせた先生には
非常に申し訳なかったけど、
って、ここで懺悔したって意味ないけど、
でも、とてもいい勉強になった。


ちなみに、今年の夏時間、
Daylight savingは、
11月7日に終わります。

気をつけよう。

アメリカ東海岸との時差は、
現在13時間。
posted by まゆか at 20:49| Comment(3) | 英語・グローバル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月26日

英語

英語の勉強をどうしたらいいか、
という質問を、よく受ける。

その度に、答えに困っていた。

その質問の裏にはきっと、
「できるだけ効率よく学びたい」
という質問者の思いがある。
でも、私は自分の経験からは、
効率のいい勉強法など、
何も語れないことをよく知っている。


とにかくひたすら英語を聞いてた。
12歳から、ずっと。ほぼ毎日。
費やした累積の英語時間は、計り知れず。
ある種、超非効率な勉強法。
そしてこれが私の唯一の勉強法。
こんなんじゃ、参考にならない。


でも、なんか、今日、
知人と話をしていて腑に落ちた。

もし、何か、
英語の勉強法(大人向け)に関して
経験を踏まえて言えることがあるとすると、
それは、「習慣にする」
ということかもしれない。


ジョギングもストレッチも、
最初はちょっとつらいけど、
とにかく毎日続けているうちに、
自分の中にリズムができて、
むしろやらないと
どうも落ち着かなくなったりしてくる。
そんなのりで、
英語を日常に取り込んでいく。


その際に、ヘンに高い目標は、
おかないほうがいい。

どんな物事とも同じように、英語も、
やらない状態より、
ちょっとやってみたほうが、
逆に本当に上手になるのは相当大変だ、
ということがわかってしまったりする。
そんな時に「ビジネスで使いこなせるようになる」
などという高尚な目標をもっていたりすると、
「そんなの、やっぱり無理」
「他にもできる人はもう十分いるし」
とか思ってしまって、
安易に心がくじけてしまう。


あまり効用だの何だの考えずに、
ただ日々英語に接する時間を作る。
聞いている間は音を存分に楽しむ。
それでいいんじゃないかな。

そうやってだんだんと勢いがついてくると、
その後いくらでも自分に適した方法や
適度な目標が見えてくる。

方法論うんぬんはそこからでいい。
それまでは、ただ、毎日淡々と聞く。


...やっぱり、参考になってないか。


PS:来年の抱負。
上記の方針を、
中国語で実践すること。
posted by まゆか at 00:23| Comment(2) | 英語・グローバル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月19日

ワールド・イズ・フラット

トーマス・フリードマンの名著、
"The World Is Flat"

グローバル化によって、
今まで自分たちの仕事だと思っていたことの、
そのほとんどが、圧倒的に安いコストで、
しかも圧倒的に効率的に、
他の国にいる誰かによって代替される、ということを、
(多くがインドだったが)
フリードマンお得意の
様々な具体的事例を幾層にも重ねていくやり方で、
色鮮やかに描き出した本である。

これを数年ぐらい前に読んだ時、
「日本は日本語という壁が厚く覆っているから、
まだそんな心配しなくてもいいのかな」と思ってた。


とんでもない思い違い、でした。


HBSの先生から、
あるデータブックの入力を依頼された。
一冊1000社を超える膨大な量である。

以前、頼もしい友人の助けを得て、
一部の情報を入力してもらったことがあり、
そこからの換算で、1冊入力するには、
フルタイムで1ヶ月ぐらいは最低かかる、
ということはわかってた。

2000年ぐらいの仕事の記憶で、
こうしたデータブック入力は、
テンプの人に頼むと時給2300円になるから、
学生でも探さないと。
それでも20万ぐらいはかかるなあ。
しかもどうやって人を探せばいいのかしら、
あー、面倒くさ、と思いつつ、
何気なく「データ入力」とググってみる。


一件6円?!
中国で日本語のできる人を組織化している
アウトソーシング会社を見つけた。
そういえば2001年ごろ、
大前研一さんがそんなこと言ってたなあ。


日本支社に早速問い合わせてみると、
日本語が流暢な中国の方が対応。
質問も的確。
見積もりも瞬間で出てきた。

なんと、全部含めて、5万円。
そして1週間でほぼ完璧なデータが届いた。


20万×1ヶ月 vs. 5万×1週間


こりゃあ、すごいや。
歯が立たない。
おかげで先生も、
当初の予算で数年分の入力ができ、
分析をすぐ始められる、と大喜び。

彼らはちょっと複雑な作業にも
すぐ対応してくれた。
途中のやりとりもすごく迅速で緻密。
かなりValue Addedなことでないと、
日本でやる必要は、全くない、ということを、
身に沁みて感じだ。


フリードマンが、グローバル化は
国内の貧富の差を拡大する、と言ってたが、
ほんと、そうなんだ。


今まではそれなりにパソコンができれば、
データ入力などの、
ちょっとしたバイトができたかもしれない。
今は、語学とか高度なPCスキルぐらいないと、
どうにもならなくなっているんだろう。

さらにいけば、スキル的なものは、
たとえどんなものでもキャッチアップされて、
コモディティ化する。


その人の存在によって、
どれだけ新しい何かが生み出されているか、ということを、
ぎりぎりと一人一人が突きつけられていく時代に
もう入り込んでいるんだなあ。

The World IS Flat, indeed.
posted by まゆか at 22:04| Comment(2) | 英語・グローバル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月16日

ビバ・ダイバーシティ?

ダイバーシティ。

頭ではそれがいいことがわかるし、
実際にダイバースなチームで議論したり
プロジェクトを一緒にやったりして、
全てが終わった後振り返ってみると、
それが故にはるかに豊かな結論に達せた、
ということも経験で知っている。

でも、じゃあ、
それをもう一回やりたいかといわれると、
ちょっと困ってしまう。
それを日常にしましょうとかいわれると、
ひえーって感じだ。


だって、本当に、タイヘンだから。
しんどいから。面倒くさいから。


わかってよー、といくら願っても
わかってくれないことをわかりながら、
コミュニケーションをし続けないといけないし。

グローバルチームだと
時差も入ってきちゃって、
何事につけてもぱっぱといかなくて、
すぐ一日二日ロスしてしまうし。

メールを一本書くのにも
英語だから時間かかるし。
電話は心理的抵抗が大きすぎるし。

日本側は日本側でグローバルというだけで、
妙な拒絶反応を示す人たちも多くて、
その間とのやりとりも神経を使うし。

集まったら集まったで、
ベジタリアンだの甲殻類がだめだの、
コーヒーは飲まないけどコーラは飲むなど、
やたらとアレンジが複雑だし。


でも、似たような人たちの間で、
なんとなく議論をしていればよかった時代は、
たぶんもうこない。懐かしきかな、old days.


しんどくても面倒でも、
とにかくやるしかない。
やっているうちに、
だんだんと慣れてきて、
きっと楽しめるようになる。
ダイバースしてないと物足りなくなる。

そして自分自身が今までより
人としてダイバースしていく。
posted by まゆか at 20:42| Comment(0) | 英語・グローバル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月03日

成田空港と英語教育

成田空港。

使うたびに悪態をつく。
遠すぎる。何がアジアのハブだ。
成田に行く時間があれば上海に行ける。
成田ストップオーバーの間に
東京まで遊びに来たという人に、
私は今まで会ったことがない。


今回の豚インフルの広がりを見て、
ぼんやりと考えた。


もし成田が本当にアジアのハブだったら、
本当に東京が「国際化」されていたら、
もっと早く被害が出ていたはず。

もはや不可逆のグローバリゼーションに
あえて背を向けるスタンスを取ってきたことで、
グローバリゼーションの影の部分からの影響を、
ほんの少しだけ距離をおくことが出来たのかも。


金融危機もそうだった。
衝撃は一歩ずれて日本に届いた。


世界をつなぐ川の流れがますます速くなる中、
とるべき道は二つに一つ。


大きい石を用意して川の流れを食い止める。
食い止めている間に必死で対策を練り、
来るべき流れに飲み込まれないような準備をするか。

それとも最初から石など用意せず、
常に水の流れの速さに身をおき、
その流れの中での泳ぎ方を訓練するか。


ちなみに今の日本が用意する最大の石は、
成田空港ではなく、言語の壁、である。

9年勉強しても絶対に英語ができるようにならないという
妙な義務教育のせいか、おかげか、
人の流出も流入も自然とブロックされてきた。
頭脳流出も、インドへのオフショアリングもない。
しかも結構な人口がいるので、
なんとか壁の内側でやっていける市場の大きさがある。


壁を作って流れを食い止め時間を稼ぐなら、
その間に必死で次の対応を考えなければ意味はない。

結局流れには逆らえないと思うなら、
きっぱりと壁を取り払って、
多少のコストは覚悟で、
政府も個人もそれぞれが流れにぶち当たって
泳ぎ方を学んでいくしかない。

サイアクなのは、
石を積んで時間を稼いでいるくせに、
その間はのんびりと何もせず、
食い止めている分だけ強くなっている流れを、
石の決壊と同時にもろにかぶって溺れてしまうこと。
どうも今の日本はこのケースに
陥りつつあるような気がしてならない。


そんなこんなで、来週の米国出張は
取りやめになりそうです(涙)
posted by まゆか at 17:10| Comment(0) | 英語・グローバル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月22日

モード変換

ケース作成のためのインタビューに行った際に、
即席の通訳をすることがある。


通訳といえども同時にインタビュアーの一人でもあるので、
インタビュー中は話の内容を面白がったり、
言葉の裏にある思いを想像したりしながら、
とにかく話に聞き入る。


そして通訳の区切りがやってきた瞬間、
頭のスイッチを、パチリ。
受信モードから変換モードへと切り替える。

変換モードになると脳の中が、
ブラックボックスになる。
自分の中でいったん咀嚼した日本語を、
ブラックボックスの右から入れると、
何らかのコード変換がなされ、
左から英語が出てくる。
どんな英語が口から飛び出すかは、
口を開くまで本人にもわからない。

自分の口から出てくる英語に、
我ながら感動することもあれば、
簡単そうな訳の時に、
言葉と言葉の狭間で
迷子になってしまうこともある。

でもどんなに迷子になろうと混乱しようと、
口をいったん開いたら最後までやりきるしかない。
停止ボタンは押せない。
どんなに不完全でいまいちでも
自己の変換モードだけをたよりに、
とにかく言葉を右から放り込み、左から絞り出す。

インタビュイーが話し始めると、
あわててまたスイッチをパチリ。
変換モードから受信モードへ。

ちなみに英語→日本語変換は、
受信モードのままで対応可能なので、
脳への負担は少ない。


二つのモードをひっきりなしに行き来し、
普段あまり使わないような脳の部分を酷使するためか、
半日を超えると、脳に直接チョコレートをあげて
丸一日ぐらい寝ないと、
私の脳は二度と再起動しないんじゃないか、
と思うぐらい疲労する。
不思議な充足感にも満ちているのだが。


通訳というのはやってみて初めてその難しさに気づく。
プロの通訳の方でも、横で聞いていると
「あ、間違えた」「あの言葉をすっとばした」
とすぐにあらを指摘できる。
ところがいざ自分がやってみると、
びっくりするほど、できない。
変換モードのバグが多すぎて、
出てくる言葉が濁りまくってしまうのだ。

通訳の場数を踏むことによって、
次第に変換モードの中のコードが調整され、
少しずつまともな通訳ができるようになってきた、
ような気がする。まだまだへなちょこだけど。


何とか二日間のインタビュー&通訳を終えた。
一晩経った今もまだ、脳みそが筋肉痛。

...と思っていたら、昨日マッサージの人に、
「お客様、後頭部がはれてます」と指摘された(笑)
posted by まゆか at 06:11| Comment(0) | 英語・グローバル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月09日

あいさつの距離

苦手な挨拶がある。


英語の"What's up?"だ。
「最近どうよ」てなところか。


英語文化における
"What's up?"はどうにも難易度が高い。

今までの観察によると、そう聞かれた人たちは、
"Not much.(ぼちぼち)"としか言わない時もあるが、
大体は、結構さらさらしゃべるのである。
昨日会ったクラスメートなら、今日これまで何をしたか、
久々に会った人なら、今どんな仕事をしているか。

そして、それほどだらだら話し込むこともなく、
気づけば、さっとさよならして、
それぞれの方向に散っている。
なかなか見事なものである。

でも、私は、
"What's up?"と言われた瞬間、
"up"という強い単語に引きずられるせいか、
びくんとして、えーと、何かあったっけ?
朝起きてご飯食べて...いや、
「今日」のことじゃなくて「最近」のことか?
と、大パニックになる。


大体、大嫌いなのだ。
何を「やっている」か、ということを、
ブリーフィング的に話をするというのが。
日本語でもパーティーでの常套句
「何をされているんですか?」という質問は嫌。

何を「やっている」か、は、
あくまでも私という人間の限られた一部分が、
活動という形になって現れているにすぎない。

楽しいと思うこと、絶対に譲れないこと、これまでの経験...
いろんなもののごった煮があって、
その人の仕事となり趣味となり人との交遊になる。

ごった煮をすっとばして、やっていることを説明する、
などという器用なことは、とてもできない。
というか、そんな表層的なことを
それほど仲よくない人に説明する意味がそもそもわからん。

...とかごちゃごちゃもごもごしているうちに、
相手の近況報告が始まるので、事なきを得るのだが。


ついでに言うと、嫌いじゃないけど、
軽い挨拶のキス、
というのも超無理。


右から来るのか?いや、左か?
1回か2回か、はたまた3回か?

とか、相手の動きを読みながら、
一人でぐるぐる考えている間に、
完全にタイミングを逃し、
えらくもじもじとぎこちなく、右、左、と
ほっぺたを受け身的に移動させて終わり。
あの軽いキスの仕方にいたっては、
いまだよくわからない。


私にはやっぱり、
きちんとおじぎをして、
「お元気ですか?」「おかげさまで」
といってそれ以上は聞かずに、
でもにっこりと笑って去る、ぐらいの
挨拶の距離感が、一番心地いいな。
posted by まゆか at 20:23| Comment(6) | 英語・グローバル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月05日

遠き日の思い出

翻訳ネタから、昔話をひとつ。


大学一年のころ、「翻訳論」という授業を取っていた。
先生は、翻訳家としても名高い
アメリカ文学研究の柴田元幸先生。


とてつもなく贅沢な授業だった。
毎回、アメリカの小説の一段落ぐらいの課題が出て、
それを翻訳して提出。先生はすべての翻訳を添削し、
いくつかのすぐれた翻訳例について、授業で発表。
そして自分の翻訳と、その裏にある思い、
アメリカ文学への愛について、語ってくれた。

モノの価値は、たいてい過ぎ去ってから気付く。
その頃は、いかに「贅沢」かどうかもわからずに、
ぼんやりと、時折休みながら、ぽつぽつ通っていた。
なんといっても、金曜日の一限だったのだ。
遊び盛りの18歳には、とにかく、ねむい。


その日も、ぼーっとしたまま朝の教室に入った。
先生の横に誰かがいる。見たことない人だった。
まわりの生徒も、いつもの通りぼけっとしている。
出席率は6割ぐらいか。

「今日は、僕の友人の翻訳家をお呼びしました」

ほう。翻訳家か。


「村上春樹さんです。」


...!!!

教室中の眠気が一気に吹き飛んで、
部屋は驚きのあまり声にならない叫び声で満ちた。

彼の小説の大ファンだった私。
「先生、早く言ってよ。一番前に座ったのに」とか
「私はあなたの本を読むと、
自分の夢がそのまま描かれているような、
フシギな既視感に襲われるんです」とか、
うわごとのような思いがどばーっと体を覆ったあとは、
もう何がなんだかよく覚えてない。
ああ、もったいない。これこそ、豚に真珠。


でも一つだけ、くっきり覚えている彼のコメントがある。

小説を書くときと翻訳をするときの違い、について。


「小説を書くときは、自分の中から湧き出てくる
エネルギーを取り出すので、とてもパワーを使う。
でも翻訳するときは、自分を無にして、
相手の文章に身を浸している感覚。
小説で自分をすり減らした後は、翻訳で満たされる。
満たされたら、また自分の文章を書く。
どちらも僕にとっては必要な、大切な活動です。」


翻訳に徹したすばらしい翻訳家もいるし、
人の言葉に身を浸す暇もないほど、
自分の中から言葉があふれ出て、
それを表現し続けているような、
卓越した小説家もたくさんいる。

でも、彼は、
書くことと訳すこと、
主体と客体、
この二つを自在に行き来することによって、
両方の世界を同時に豊かにしていく。
泉は常に水で満ちている。

だからこそ、私は、
村上春樹の小説も翻訳もノンフィクションも、
全て好きなのかもしれない。


タイムマシンであの朝に戻れたら...

...絶対ICレコーダーを持っていく!
posted by まゆか at 19:11| Comment(3) | 英語・グローバル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月03日

頻出難問

ケースを書いている際に、
英語変換に困る日本語トップ3。


1)「現場」

この言葉、日本企業での会話に頻出する。
「現場力」「現場主義」「現場からの変革」...

日本語では、多くの場合、
その企業にとって大切なものに
近い場所にいる人たちを指す、
かなり抽象度と伸縮性の高い言葉だ。
小売ならお客様に近い人たち、
製造なら製品を作る人たち。
また「現場」という言葉からは、
底のほうからどどーとあがってくるエネルギーの流れ、とか
どっしりと根を張った、みたいな意味合いもある。

英語だと、場所を特定しないままに、
それでもそこは重要な場所だという雰囲気を
かもし出すことができない。
最前線(frontline)、
その場(on the spot, on the scene)
などという訳語があるが、
どれもいまいちしっくりこない。
in the field/on the groundが一番近い気がするが、
これはネイティブの先生たちに、
必ず具体的な場所を入れた表現に直されてきた。


2)「物事を進める」

「物事」という単語が持つ、
ざくっと包み込みつつ特定しない表現と、
「進める」という積極的な表現が、
英語になると微妙にミスマッチ。

もちろん対応の訳語としては、
do things, get things doneなどがあるが、
「物事を進める」といったときの日本語の主語は、
大体の場合において、
組織内のぼんやりとした集合体なので、
これらの英語の前につく主語としては、
妙に弱々しくなってしまって、いまいち。


3)「心」シリーズ

「心を高める」「心の経営」...
カリスマ性のある日本のビジネスリーダーは、
やたらと「心」という表現を使う。

これは一番難しい。

アメリカのイラク戦争における戦術で、
win hearts and minds of local people
(地元民の心をつかむ)
というのがさかんに言われていたように、
heartやmindという言葉はすぐ出てくる。

でも「心の経営」と言った場合は、
単にheartful managementという言葉では
表現し切れていない何かがある。

夏目漱石の「こころ」を始めて英訳した人は、
日本語の心と英語のheart/mindの間には
埋められないギャップがあると感じて、
結局タイトルは"Kokoro"としたらしい。


これらの言葉を、
愛用の英辞郎のサイトにと打ち込んで、
何がしっくりくるかざっと見渡してみては、
ため息をつく、ということを
これまで何度繰り返してきたことか。

どれも話す人によって、
少しずつ異なる思いを乗せたり、
わざとあいまいさを加えた単語だから、
毎回悩むしか、結局方策はないんだろうな。

自動翻訳機が普及しそうでまだ普及しない、
理由の一つ。


posted by まゆか at 00:34| Comment(0) | 英語・グローバル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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