2011年01月26日

Embodied Mind

UC Berkeleyのビジネススクールの
同窓会イベントに紛れ込ませていただき
元ホンダの技術トップだった小林三郎さんの
講演を聞いた。

モデレーターは小林さんと仲良しの
知識創造理論提唱者
一橋大学野中郁次郎先生。

ぐさぐさ心にささり
じんわり腑に落ちる。


小林さんいわく。

改善は論理的。
イノベーションは非論理的。
それを牽引するのは
想いでありコンセプト。

生きている目的は何か、
なぜ組織が存在するのか、
愛とは何か。
これらの問いに向かい合い続ける中で
コンセプトは生まれる。


そして引き継いだ野中先生。

他人の主観をいかに自分のものにできるか。
それを可能にするのが
言葉は一切介さずに
身体を通じた共振、共感を生み出す場。

1980年以降、MindがBodyを支配する時代が続いた。
今後は身体性を回復した
Embodied Mindを必要とする時代になる。

身体性を伴うコミットメントこそが
イノベーションの根幹。


きゃー。
もうまさにその通りです!と思って
部外者なのに鼻血が出そうなぐらい
興奮しっぱなしの衝撃の2時間になった。


現在、縁あって
野中先生にも関わっていただいて
ここに書いたことを地で実践している
ある素晴らしい日本企業のケースを
HBS向けに書いている。

こういうことが
HBSの授業で取り上げられることの
意義のはかりしれない大きさを感じる。


先は見えないけれど
暗い話題も多いけれど
でもそれでも
だんだんと善い時代に
向かっている、と強く思う。
posted by まゆか at 23:55| Comment(0) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月19日

つけ

大学時代。
経済学部でありながら
会計と名のつく授業は
ことごとくすっとばした。

コンサルタント時代。
いかにも数字が弱そうな顔をしていたから、
「売上-費用=利益」
以上のことが求められるプロジェクトに
配属されることはなかった。

だから自ら会計を勉強しようとはせず、
「貸借」を「ちんしゃく」と
大真面目に読んでいたぐらいの、
おばかっぷりであった。

今の仕事も
同僚が金融出身ということもあり、
私は金融以外の分野担当、という
妙な安心をしていた。


それが。
2週間前。

急遽、2003年りそな国有化のことを
中心にすえた、
「繰延税金資産」とやらの
ケースを書くことになった。
しかも1週間ぐらいで。


...あのう、繰延税金資産って、
何ですか???


手当たり次第に
いろいろ読んでみるものの、
そもそもの会計の基礎が、
自分の中にないから、
何を読んでも
砂漠に水をまくかのように
すーっと消えてしまって、
うまく頭に蓄積していかない。

とりあえず何か書こうと思っても、
蓄積がないので、
言葉がまったく出てこない。

人に聞きたくても
何を聞いていいかすらわからない。


それでも、さらに何度も読んで、
おぼろげながら輪郭をつかむ。

つかんだら、
人と話したり聞いたりして、
またちょっとだけ
輪郭がくっきりする。

そこでもう一度
本や論文を読み直してみる。

すると、
何と何が交差しているのか、
ぐちゃぐちゃの結び目が
少しずつほどけてくる。

何がわからなくて
何がわかっているのかが
わかってくる。

だからまた人に聞ける。
論文で確認できる。


というのを繰り返して、
何とか期限内に完成。


会計から逃げ続けてきた
人生のつけが一気にまわってきた。
まじで、しんどかった。
こういうのを自業自得、という。


でも一方で、この短期間で、
いろんな人に助けられて、
ものすごい量のことを学んだ。

バーゼル自己資本規制の流れ、
日本の会計制度の国際化、
90年代後半以降の
日本の金融システム・行政の激動、
税効果会計のこと、などなど。

実は日本にはものすごく銀行が
たくさんあったこととか、
不良債権&貸し渋り問題とか、
いまやすっかり忘れていたことも、
改めて思い出した。
たった10年前の話だ。
The world has changed, indeed.


今回の結論。

本当はやったほうがいいと
なんとなく思っていながら、
好きじゃないから、
先延ばししていることって、
結局いつかはやってくる、ということ。

先送りした分だけ、
どどーんと、重く。
いやおうなく。

で、やってみると、
それまでは見えなかった世界が
見えてきて、
やってみてよかったと思う、
ということ。


世の中、よくできてるね。
posted by まゆか at 21:36| Comment(0) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月03日

感情と効用

この間まで一週間、
私のオフィスがある
丸の内×三菱地区で使える
丸の内カードが
ポイント5倍のキャンペーンをやってた。

通常は購入金額の1%が
ポイントとしてついて、
たまったらお買い物券に変えられる、
というもの。


ポイント5倍ということは、
要は5%引き、だ。

ポイントの流動性は
現金よりも低い、とか、
使い忘れた、とか、
そんなことを考慮に入れれば、
ポイントより5%引きのほうが
人にとっては
ほんの少し「効用が高い」
ことになる。本当は。

等高線みたいな
効用曲線上にプロットすると、
5%引きが
ちょびっと上位の曲線に属する。
だから経済学の
「人は合理的に行動する」前提では、
5%引きを選択するはず。


一回キャンペーン期間中に
この地区でのディナーがたまたまあって、
それで、ポイントをつけてみたら、
一回500ポイントついた。どどんと。

いつもはランチ8ポイント、
飲み物1ポイント、
みたいな世界だから、
二桁跳ね上がって、
ものすごく強烈である。

しかも支払った後に
ポイントがつくので、
なんかプレゼントを
もらったような気分でもある。


その感覚が嬉しくて、
結局、その週の
丸の内地区での購買金額が
多くなってしまった。


たぶん、だけど、
5%引きキャンペーンをやるより、
この5倍ポイントのほうが
みんな、より消費すると思う。

まんまとはまったのは
私だけかもしれないけど、
見た限り、実際に、
ショップはどこも
人でにぎわっていた。


消費税分差し引きます、
というのと、
500円プレゼント!
というのでは、
後者のほうが、
どうも、楽しい。夢がある。
何を買おうかとか、
広がりが出てくる。

10000円に対する500円と
通常せいぜい10ポイントの世界の
500ポイントは、
体感レベルでのインパクトも違う。


10%引きvs.5倍ポイントでも
人の消費行動を刺激するという点では
後者に軍配があがるかもしれない。



消費も含めた人の行動の
ベースにあるのは、
効用でも合理的判断でもなくて。

なんかうれしい、とか、
わくわくする、とか、
うまく定義も定量化もできないけど
でも確かにそこにある、人の感情。
posted by まゆか at 09:43| Comment(1) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月27日

第一印象

営業やジャーナリストの方には
はるか及ばないけど、
これまでそれなりに
いろいろな会社を
訪問している。


建物を入り、受付に行くまでの間に、
「会社のかたち」が、
もやっと、つかめる。

真面目なのか、派手なのか、とか。
ちゃんとしているか、
どことなくゆるんでいるか、とか。
元気か、ちょっと停滞中か、とか。


早く着いて、受付あたりで
ぶらぶら観察していると、
特に本社を訪問した場合は、
社員の心がつながっているか、
ばらばらになりつつあるか、
ぐらいのところまでは
感じ取れることもある。


自分の人に対する第一印象は、
それほど信用してない。
特にいまいちよくなかった場合。

その日たまたま、体調や機嫌が
悪かったのかもしれないし、
こっちのいけてなさが
相手に伝わったがゆえの
反作用かもしれないし。

違う場所で違う時に会ったら、
全然違う印象だったりする。


でも逆に、会社の第一印象は、
あまりずれたことがない気がする。

社員の方とお話しすると、
もちろんぐっと理解は深まるけど、
どちらかというと、
受付で感じた会社のかたちが、
肉付けされて、
言語化されていく、という感じ。

社内をぐるっと歩かせていただくと
さらにぐいぐい伝わってくる。

そこで、いいほうにも悪いほうにも
第一印象を大幅に裏切られる、
ということはほとんどない。


これまでの歴史や、
その時の社員の会社への気持ちが、
否が応でも、社内の空気ににじみ出て、
それは、その日の気分で変わるような
ものでもないから、かな。


この会社の第一印象。
株式投資には、
意外と悪くない
インデックスかもなあ。
posted by まゆか at 22:48| Comment(2) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月15日

夢の中

明日からボストン出張。
さて、両替をどうするか。


手元には、一ドル120円だった
留学時代のドルの残りがある。

振り返ってみれば
替えた瞬間をピーク(か底か)に
あとはずっと円高。

90円代が普通の感じになってくると
120円などという円安になる日なんて
永遠にこない気がしてくる。

ならば現地に行くときは
このキャッシュを持って、
使ってしまうのがいいのかもしれない。

と思いつつも、
30円という差額に
やっぱりもったいないよなあ、
と出張や旅行のたびに
結局毎回両替するので、
中途半端な額のドルは
ずっと引き出しで眠ったまま。

逆にいえば、120円の時は
90円になるなんて
思いもしなかったんだしね。
もしかしてまた120円に戻るかもしれない。


それにしても。


12万円を120円で替えたら1000ドル。
それを90円の時に戻したら9万円。

この最初と最後の差額の3万円は
いったいどこに消えてるんだろう?

別に質が落ちたわけでも
壊れたわけでも
誰かが食べてしまったわけでもないのに。


はっと思ったら
煙のようにそこにはなもうない。


一ドルが120円なのも90円なのも、
ある時に人の集合意識が
どこらあたりで落ち着くか、
というだけの違い。

つまり、あの3万円は
人の思いの中で生まれ、
その中で消えていった。
最初から最後まで
存在などしていなかった。


株式市場とか
為替市場とかって、
しょせん人が自分の夢の中で
遊んでいるようなものなのかも
しれないな。
posted by まゆか at 08:40| Comment(1) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月06日

マッチポンプ

オフィスが入っている丸ビルに、
ヤクルトが入れることになったそうで、
定期的にヤクルトレディが
やってくるようになった。

インドネシアやアフリカで
地道に草の根で販路を拡大している、
みたいな記事をよく目にするが、
同じように粘り強く
三菱地所と交渉を続けて
ようやくビルに入れることになったのかな、
なんてことを想像したりする。

買わないことに
ちょっとした罪悪感を感じさせる
妙なヒューマンタッチと、
これくらいなら
出してもいいという値段設定と、
体の部位・機能別の効用効果宣伝とで、
別に買わなくたっていいのに
なんとなく買ってしまうというのを
ねちねちとこまごまと
集めて山にする販売戦略。


それはさておき。


ヤクルトは虫歯になりやすい、
ということを、私のボスが
行きつけの歯医者さんから聞いてきた。
乳酸菌が歯にはよくないらしい。

じゃあ、お昼ごはん後に飲んで、
すぐ歯磨きしたほうがいいでしょうかねー、
とか、わいわい言っていた。


ある日、いつものレディと一緒に
男性の社員がついてきた。
一枚のビラを出して、こう言った。

「このたび、ヤクルトが
新たに歯磨き粉を開発しました。
これを使うと初期の虫歯なら
歯医者さんに行かなくても治ります。」


...


むむむ?
これはなんだ?

ヤクルトを飲めば飲むほど、
虫歯が出来て、
そうすると歯磨き粉が売れる、
ということ?
マッチポンプ?
胴元が自分で賭けちゃうみたいな?


それとも。


ヤクルトを飲むと
おなかにはいいですが、
虫歯になりやすくなってしまい、
それはいかんともしがたいですので、
せめてこの良質な歯磨き粉で
虫歯を予防してください、
という、ある種の罪滅ぼし?


会社としては
真面目な気質な感じがするので、
なんとなく後者な気がするけど、
どっちにしろ、なんかこれは
ちょっと微妙なんじゃないの?!


とか思ったけど、
よく考えれば、そんなこと
日常茶飯事な気がしてきた。

抗生物質を飲むと、
胃が荒れるので、
一緒に胃薬も処方されて、
両方とも同じ製薬会社が作っている、
ようなものかも。

あっちを立てれば、
こっちが立たず、で、
それをどうにかしようと、
どんどん物事が重層化して
生活が厚塗りされていく。

それが、現代社会、なのかな。
posted by まゆか at 22:40| Comment(2) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月14日

Ice Age

昨日の日経新聞に、
今年の就職内定率が
2000年の「就職氷河期」を下回った、
という記事が載っていた。

2000年って、私が入社した年。
内定率の推移のグラフを見ては、
へー、こんなボトムな年の世代だったんだ、
と後からびっくりしてた。


データとしてはほぼ同じ80%だけど、
でも、時代の色は全然違うんじゃないかと思う。
2000年と2010年は。


2000年は、とにかくITバブルだった。
結構身近に、起業する人や、
起業を考えている人や、
とりあえずそういうパーティーに行く人や、
ベンチャーに就職する人が、
どさどさいた。

「起業ってかっこいいし、できそう」
みたいな空気がどことなく流れてた。

その上、山一証券を皮切りに
名門金融機関ががんがん破たんするし、
霞が関は不祥事にまみれているし、
商社はITで存在意義を失うといわれていたし、
大きな組織に対する信頼はほぼ崩れてて、
自分のことは自分でやらなきゃあかん、
というムードも強かった。

だから、まあ、
生意気で息巻いてた気がする。
ワカモノが。

起業って甘くない。
かっこいいなんてもんでもない。
誰にも出来るんもんじゃない。
しかも足腰がしっかりしないうちから、
お金がどばどばつく環境だったから、
本来ならできたかもしれない地に足のついた成長が、
逆に阻害されてしまったところもある。
だからバブルは破裂するわけだけど。


でも、あの時にあった、
自分たちで未来が創れそうな空気って、
本当に貴重だった。

ただその時代に生まれたというだけだけど、
あの空気を吸えたことは、
とてもラッキーだった、と思う。
自分の中に未来へと向かう元気の核、
みたいなものを作ってくれた気がする。


一方で、2010年は、
その空気のないままに、
ただただ不況という時代だから、
もう、そりゃあ、しんどいだろう。

起業とかベンチャーという
オルタナティブもないから、
ますます大企業志向が強まり、
結果、社会の新陳代謝も悪くなる。

しかも結構な数の大企業は、
「このままじゃいけないとわかっているのに、
それまでの慣性でつい動き続け、
さらに状況は悪化する」
という悪循環にはまり込んでいるから、
雇用の受け皿としての力は、
全体として徐々に弱まっていく一方。

あー、学生、大変だろうなあ、と
つくづく思う。


人生のどこかである種の熱狂を体感するのって、
それが高度経済成長であれ、
80年代バブルであれ、ITバブルであれ、
いいことだね、きっと。

だから、それを体感できた世代の責任として、
未来のために何かできることがあるはず。


例えば、
学生とベンチャー企業をつなげる
プラットフォームを提供している、
同級生の友人の会社、スローガン、とか。
素晴らしい会社だ。


みんながこうだから、とか、
社会ではこうすることになっている、とか、
そんなのはいったん取っ払って、
それぞれがそれぞれの信じた道を
力強く歩みきる。

それが、未来の世代が、
「この時代に生まれてよかった」と、
思える土台づくりに
つながっていくんじゃないかな。
posted by まゆか at 09:35| Comment(0) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月13日

かものはし

この間、前職の上司で、
今人事コンサルをやっている方と、
久々にお会いした。

苦労を共にした昔のプロジェクトの話やら、
現在の仕事を通じて感じていることやら、
将来のビジョンやら、
盛り上がりすぎ、しゃべりすぎ、
気づいたら4時間半!

とことんまで考えつくし、
それを丁寧に選び抜かれた言葉や、
視覚が伴うアナロジーにしていく方なので、
さりげない一言一言に
ロジックとアートが両立する。

これまで人事コンサルは、
専門性に基づく細かな制度設計で
仕事をしてきた。
でも、今は、グローバル人材の育成や、
それを可能にする組織設計、といった、
戦略も人の心も組織の妙も
すべて織り込んだ提案をしていかないと、
本当の意味でのクライアントのニーズに
こたえられなくなってきている。

とはいえ、会社には、
そんなことが出来る人がほとんどいない。
というかそんなことが出来る人って、
日本にも数えるぐらいしかいない。
でも、とにかくやるしかない。
コンサルの仕事を取るためにも、
クライアントのためにも。

そんな今の心象風景を、
こんな風に説明してくれた。


僕らは、陸に住む哺乳類。
だんだんと陸の環境が悪化し、
えさも取れなくなってきて、
今は陸の淵で暮らしている。

目の前には青い海。
豊かな資源がたくさんある。

僕らの種は泳げない。
でも、とにかく飛び込んで、
溺れながら泳ぎを覚え、
海でも生きていけるような
突然変異的な進化を目指さないと
もう、未来はない。
できないだの苦手だの
そもそも無理だの、言ってられない。

そう思って飛び込んだ。
ついてくるやつもいるし、
首を振って陸にとどまるやつもいるし、
ばしゃばしゃどまりのやつもいる。

自分すらおぼつかないのに、
まわりを助けなくちゃいけなくて、
助けようとして溺れそうになったり、
もう、さんざんでぼろぼろ、だけど、
でもこれしか道はないから、泳ぎ続けるし、
海に飛び込むよう
後押しし続けるつもりだ。

やむにやまれぬ状態での
突然変異こそが、
進化の源泉だから。


この感覚、すっごいわかるなあ、と思った。
いろんな日本の企業を見ても思うし、
空中ブランコ」でも書いたけど、
自分自身についても感じていること。


飛び込んでみよう。
そして、一見カピパラなのに、
すいすいと泳ぐかものはしになろう。

大変でしんどいけど、
思いっきりおもしろい世の中に、
なってきた。うん、がんばろ。
posted by まゆか at 00:38| Comment(0) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月11日

Toyota Cars Are Safe (Enough)

New York Timesのオピニオンコーナーは、
秀逸な記事が多く、
ランチをぱくつきながら、
よくウェブ上で斜め読みしている。

今日もとてもいい記事を見つけた。

Toyota Cars Are Safe (Enough)

トヨタの問題について、
会社の品質管理や危機対応が
いいとか悪いとかいう話ではなく、
一連の騒ぎっぷりに警鐘を鳴らす、
という内容。


It worries me that this Toyota thing worries us so much.
(私にとっては、人々がこれほどまでに、
トヨタの問題を心配していることこそ心配である)


以下、この記事の、
「まゆかかく」エディション。

*****

車とは、年間3万人(米国内)を超える
死者を出す乗り物。
それでも、私たちは車に乗る。
車が生活にもたらす
恩恵のほうが大きいと考えて。

一方、乗っているトヨタのブレーキが利かなくなる
という不幸に見合う確率は、交通事故の数千分の1。

普段はるかに大きなリスクと引き換えに
車に乗ることを選んでいるのに、
針の先でつつくようなリスクを騒ぎ立て、
自分のトヨタがどうなるのか夜も寝れないとか、
全車リコールを求めるとか、
それって、どうなんだろうか。

人一人の命の重さは、
本来は同じはずだけど、
実際には異なるものとして扱われる。
ブレーキがきかなくなった挙句の事故死は
通常の交通事故死より、
重く大きくとらえられる。

政府やメディアの別の思惑も絡んで、
過剰なリスク評価に従った、
過剰な対応がなされる。

一部の害虫を駆除するために、
畑ごと燃やしてしまうように。

数千人が犠牲になった9・11が、
それをはるかに上回る犠牲者を生み続ける、
イラク侵攻につながったように。

今アメリカ人がすべきことは、
ある程度リスクは
トレードオフの一環として受容し、
リスクの本来の大きさに
見合った対応をすること。
過去の過ちを繰り返さないこと。

今、トヨタを買う。

それは、実はアメリカのためになる。

*****

アメリカって、そりゃいろいろあるけど、
いいなあと強く思うのは、
どどっと社会の大多数が熱狂したり、
政府がへんてこな行動をとったりしたときに、
必ず誰かが、冷静な目で反論し訴えて、
そしてその訴えをちゃんと理解し共鳴する
人がある一定数いること。

地に足がついた自己反省と、
多様な意見の共存。

どことなく自虐趣味的な
日本における日本批判や、
最大公約数が何となく全体の合意となる
この国の民主主義とは、
決定的に異なる何かがある。

と、この記事を読んで、
改めて思った。
posted by まゆか at 23:17| Comment(2) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月08日

Toyota

トヨタが大変なことになってる。

CNNやABCなど、
アメリカのメディアでは、
連日ひっきりなしに、これでもか、
というぐらいToyota報道が続いている。

それと反比例して、
ぼろぼろだったアメリカの自動車会社が、
がぜん元気になってきているようだ。
フォードのディーラーは、
にわかに景気がよくなったらしい。


トヨタは最近になって急におかしくなった、
というわけではないはず。

ちょっと前から、少しずつ、歯車がずれ、
一つ一つは大したずれではなくても、
全体のシステムに波及する頃には、
バタフライ効果でより大きなバグへと変換し、
ついにはリコール問題として噴出したのだろう。


一度信頼が崩れ非難の対象となると、
他社でもある確率で必ず起こる
事故やクレームまでもが、
さも大変なことのようにクローズアップされるので、
「トヨタの車は信用できない」
というイメージがますます増強されていく。


昔、三菱の車の発火が問題になった頃、
やたら三菱の車が燃えている映像ばかりが流れ、
三菱の車は危ない、という印象が根付いたけど、
実は、他の会社の車も、
ある確率で発火事故は起きていて、
でもメディアがそれを取り上げないだけなんだ、
というようなことを、聞いたことがある。


成功が続くと、
どうやったって組織にはおごりが蔓延する。
これまでのやり方ではまずい、ということを
頭でわかっていたとしても、
それほど危機感がないときに、
慣性で動いているものを変える、というのは、
とてもとても難しい。


だからこそ、大ピンチが、
新しい時代に向けての大チャンスになる。


日産もつぶれそうになったがゆえに、
ゴーン改革が真正面から受け入れられ、
電気自動車・蓄電池開発への投資など、
従来ならできなかったような、
思い切った未来への意思決定ができた。

そしていまや、これからの市場に向けて、
なかなかに良いポジションを築きつつある。


トヨタも、これを機に、
気になりつつも変えられなかった旧習を一掃し、
躍動感ある組織へと変身していってほしい。

人も組織も素晴らしいのだから、
やろうと思えば、絶対にできるはず。

そして、10年後には、

「いやあ、あの危機があったからこそ、
今のトヨタがあるんですよー」

と、しみじみ語っていてほしい、
と願う。心から。
posted by まゆか at 00:15| Comment(0) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月19日

往生際

最近、コンサル時代の同僚で、
起業をする人が増えている。

いままで一通りやってきたから、
そろそろ自分の事業をやってみたい、
という、年齢的なものか、
金融危機などを見るにつけ、
やっぱりやりたいことをやりきらなあかん、
と覚悟が座った、という、時代的なものか。


この1週間で2人、久々に再会して、
彼らの思いやプランを聞く機会があった。

一人はIT、一人は教育、ということで、
分野も、立ち上げのスタイルも、
ビジネスにこめた思いも異なるけど、
でも、共通点があるように思った。


両方とも、聞いて見ると、
「それ絶対あったほうがいいよね」
というサービス。

それがあることによって、
人のライフスタイルや行動、
人生の過ごし方が、
ずいぶん変わりそうな予感がする。

でも、一方で、
「既存の○○でも、
今のところ足りているよね」
というもの。

かつ、
「みんながやるなら、私もやろうかな」
というサービスでもある。


何となく既存のものでカバーされているし、
ある程度のマスを取っていかないと、
市場は作れない、という分野は、
ほとんどの人が気づかないか、
気づいてもしり込みしてやらないか、だから、
ぽかっと空間があいている。

だからチャンスではあるけど、
みんなが使ってないなら私も使わない、
という初期のプラトーを打破するのが、
とてつもないチャレンジにもなる。


打破するには、ひたすら忍耐強く、
そのサービスのよさを信じて、
一人でも一社でもユーザーを
地道に増やしていくしかない。

どんなにだめになりそうでも、
とにかく続ける。
めちゃくちゃに往生際悪く。


今日、お会いした、
いまや大企業となった元ベンチャーの
初期メンバーがこう言ってた。

「事業というものは、
自分が『負け』というまでは、
負けないのです」

「成功したいなら、
成功するまでやることです」
と言っていた人も、
どこかでいたような。


がんばってほしいと、
心の底から、願っている。
posted by まゆか at 23:39| Comment(0) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月12日

ファミリービジネス

現在ハーバードビジネススクールで、
Women in workforceと並んで、
研究の対象として注目されているのが、
ファミリービジネスだ。

そして日本は世界でもぶっちぎりの
ファミリービジネス大国である。
その数は、他国と桁がまるで違うし、
有名どころの多くも、
ファミリービジネスである。

例えば、トヨタ、とか、
キッコーマン、とか、
大塚製薬、とか。

日本語では「同族経営」と呼ばれ、
Negativeなイメージも強い。
ボンボンの2代目が、
初代の創り上げたアセットを使い果たし、
さらにボンボンの3代目が、
完全に会社をつぶす、
なんてことがよく言われてる。


もちろんそうなるケースも、
きっと多いのだろう。


でも、私の比較的身近にいる、
ファミリービジネスの会社を見ると、
彼らの底力、みたいなものを、
ふつふつと感じることが多い。

この間、底力の理由について、
自分なりに合点がいった。


箱根駅伝と一緒なんだ。


時にはスター選手がタイムを大幅に縮め、
時にはブレーキになってしまう選手もいて、
それでもとにかく前の選手から次の選手へと、
たすきをつなげていく。
でこぼこしているうちに何となく辻褄が合い、
最後はたすきにこめられた思いが
選手をゴールへと運ぶ。

個人のタイムも重要だけど、
それはあくまでたすきをつなげ、
そしてチーム全体での成績に貢献する、
という意味においてのみ重要なのである。


自分は先祖から未来へと続く、
長い長いたすきリレーの
一端を担っているに過ぎない、
という長期的視点と私心のなさ。
一方でたすきは絶対につなげなければいけない、
という責任の重さ。

それぞれの世代の経営者が、これらを、
無意識に、でもしっかりと持っているから、
ファミリービジネスの中には、
この変化ばかりの世において、
何十年も何百年も存在し続けることが、
できているのではないか、なんて思う。

そして「もうだめだ」という時にも、
それまでつながれてきた思いの蓄積が、
ちょっとした奇跡を起こして、
会社を何とか継続させていく。


そういえば、駅伝が人気な日本で、
ファミリービジネスが多いというのは、
何か一理あるのかもしれない。
posted by まゆか at 21:47| Comment(2) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月26日

イルミネーション

街のイルミネーションが、
電球からLEDに切り替わってすぐの頃は、
電球で街路樹をライトアップしていたのを、
そのままLEDに置き換えた、
という感じだった。


去年あたりから、
たくさん使えて、
色も自在に変えられる、
「LEDならでは」の
イルミネーションが増え始めた。

一番おお、と思ったのは、
ミッドタウンのイルミネーション。
地上に広がる、
ちょっとアートなプラネタリウム。


たぶん今後もっと、
いろんなイルミネーションが出てきて、
イルミネーションアーティスト、
みたいな職も新たにできて、
さらにすごいものがぼこぼこと、
出てくるようになるんじゃないかしら。
しかもすごい勢いで。


大きな技術の発明があると、
最初は、単に既存の何かを、
そのままreplaceしていくように見えるけど、
決してそれだけにとどまらない。
その技術の上に新しいコンテンツの花が咲き、
その花を咲かせる新しい仕事が生まれ、
人々の世界の見え方をあっという間に変えていく。

テレビが、インターネットが、携帯が、
そうであったように。
posted by まゆか at 19:38| Comment(0) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月17日

渋滞と不況

不況と渋滞は似ている。


全体の車の量がすごく多い中で、
道路のカーブなのかでこぼこなのか、
ある車の事故なのか、
意味不明の物体が空を横切ったのか、
とにかく何らかのきっかけで、
一台がちょっと減速すると、
それが波動のように後続の車に伝わり、
最後はどんづまる。

これが渋滞。


たくさん消費をする。
生産が増える。
雇用が増え、給料が増える。
さらに多くの消費につながる。

そうしたサイクルが、行き過ぎた挙句、
もう消費はいいや、となったり、
金融機関の破綻のような大事故が起こると、
そこから、どんどん逆のスパイラルが回りだし、
あっという間に経済が反転する。

これが不況。


子供のころ、渋滞に巻き込まれるたびに、
上の方から、「みなさん、一斉にスピードを上げて!」
という放送を流し、
せーの、でスピードを出すような仕組みを
つくればいいんじゃないかと、ずっと思ってた。
大人になって、自動制御による渋滞回避ということが、
検討されていることを知った。

これと同じ発想で、
「みなさん、一斉に消費しましょう!」という声を、
政府が財政出動やら減税やらを通じて
かけるのが、不況対策、てなところか。


人間はコンピューターじゃないから、
ずっとは走り続けられないから、
時には疲れてのろのろする。
それが道路上では渋滞になり、
経済上では不況になる。

子どもの頃の私には悪いが、
そこで「さあ、走って!」と言われた所で、
走れっこない。自動制御なんかまっぴら御免だ。


それより、
他に何もしようがないぽっかりあいた時間に、
いろいろ振り返りつつ、
腹をくくって、休止したほうがいい。

そうすれば、時が満ちた時に、
自然とまた、走り出せる。きっと。
posted by まゆか at 22:23| Comment(1) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月02日

「20円」で世界をつなぐ仕事

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Table For Twoの事務局長、
私の前職の先輩の小暮真久さんが書いた本。


「20円」で世界をつなぐ仕事


Table For Twoというのは、
地球の半分で日々捨てられている食べ物の量と、
その他半分で飢餓で苦しむ人達に必要な食べ物の量が、
一緒である、という現状を踏まえ、
先進国の私たちが食習慣を変えていく中で、
飢餓の問題を解決していこうというNPOだ。

具体的には、社食、学食、コンビニなどと連携し、
彼らにヘルシーなメニューを作ってもらい、
それを食べた人はアフリカの給食一食分の20円を
食事への支払いを通じて寄付をするという仕組み。


TFTには多くの知り合いが関わっていたため、
立ち上げの頃からなんとなくそばでずっと見てきた活動。

この仕組みはちょっと迂遠すぎるのでは、
と思っていた時期もあった。
特に初期は企業の協力を得るのがとにかく大変で、
そこにかけられていた労力たるやすごいものだった。
そのコストを丸ごとお金として寄付しちゃえば、
相当な数の給食を賄えるんじゃないの?
なんて思ったりもしてた。


でもその「迂遠さ」こそがこの活動の尊さなんだ、
と次第にわかってきた。


この仕組みを動かすには、多くの人が、
具体的な行動を起こす必要がある。
まず企業がこの導入を決断し、
食堂担当の人たちが試行錯誤でメニューを開発し、
食堂を利用する人がそのメニューを選択する。

お金を寄付するというのも立派な行動変革だが、
とはいえ、出してしまえばその時点で終わり、
という淡白なところがある。
いくらその後相手からThank you reportが届いても、
なんか分断されてしまった感じは否めない。
「こちら」と「あちら」の溝は消えない。

TFTが促す行動は、じわじわと体に浸み込んでいき、
行動している間に、これがアフリカで給食になるんだ、
という感慨が心に刻まれる。

細い細い糸だけれど、思いと習慣化した行動を通じて、
「こちら」と「あちら」が確実につながっていく。
これって、すごいことだ。


あと、何といっても、小暮さんが素晴らしい。

上に書いた「迂遠さ」もその一つだと思うが、
あれやこれや、へ理屈の批判が絶えないであろう中で、
楽しそうに、ただひたすらやっている。


何の気負いもないのびやかな確信。
自己実現と社会変革の自然な両立。


仕組みもビジョンも立ち上げ期にすべて出来ていたが、
彼が入ったことで、TFTに真の命が宿った。
そんな気がしている。


ということで、ぜひ手にとってみてください。
こちらは本を買って読むという読者としての行動が
一食分の給食につながります。

私はアマゾンの操作を間違えたのか、
小暮さんの笑顔が4冊家に届きました(笑)
これも何らかの大いなる意図、か?
posted by まゆか at 18:21| Comment(4) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月02日

経済学って...

大学時代は経済学を専攻していた。
その後大学院時代も必修ということで、
International Financeという名のマクロ経済学と、
International Tradeという名のミクロ経済学を勉強した。

それなのに、ほとんど何も覚えていない。
様々な理論や曲線やグラフは、
テストのために一瞬だけ脳にとどまり、
そして消え去っていった。
あまりの忘却ぶりと不真面目だった過去の記憶で、
「何を専攻してたの?」という質問には、毎回口ごもる。

いまだはっきりと説明できるのは、
高校の政経の授業で習った「需要供給曲線」だけ、
といっても過言ではない。

あのグラフは鮮烈だった。
そのモノを欲する人が多くなれば価格が上がる、
逆につくるほうが多くなると価格は下がる。
なんてシンプルで美しいのだろうと感嘆した。
しかも生活の実感と合致する。
こうやって経済のことを理解するツールを学べたら
きっと楽しいだろうな...そして経済学を専攻した。

しかし、黒板の上に書かれるいろんな理論は、
もはや感動にも実感にも結びつかなかった。
しょうがないから、考えずにとにかく覚える。
そして忘れる。その繰り返し。


経済学というのは、貨幣を媒介に行う人の営みについて、
いろいろな視点から考える学問だ。
貨幣についてはもちろんのこと、
究極的には人というものへの洞察なくして、
成り立ち得ないもの、だと思う。

でも少なくとも私が表面をなぞった経済学は、
その部分を無色の定数としている。凍らせている。
人や人の織り成す経済活動を、
一旦人工的に平坦にして
その上に「理論」をつくりあげる。
そしてその「理論」を今度は現実に当てはめてみて、
証明された、されない、という議論をしている。

詳細はすっかり忘れてしまったが、
以前若手の計量経済学者に、
ある分析の提案をしたら、クールに断られた。

「それは、データが揃わないので、やりません。」
逆にデータさえそろうなら、
どんな分野でもやりますよ。」


現実が理論の実証の場になっている。
へんてこな逆転。
単なる言い訳だが、
これじゃ何度やっても頭に入るはずもない。


さらには、非常にナイーブな存在である人間が主体なので、
ある角度からはもっともらしい「理論」ができると、
それにあわせた行動をとり、
理論が現実となってしまうところもあるのではと思っている。

例えば、私が常に違和感があるのが、
「その国の為替が高くなると(輸出が減るので)株価が下がる」
という理論だ。マクロ経済学の基本中の基本。

ある程度は真実だと思うし、
これがあてはまった時代もあるだろう。
でも、これだけ企業体が地球規模でネットワーク化し、
どこから原材料を調達し、どこで作って、どこで売るかが、
まさにくもの巣のように交錯してきた今、
本当に本当に企業の本社がある国の為替が高くなると、
その企業にとってトータルでマイナスの影響が出るのだろうか?

むしろ「為替高→株価低下」という理論が、
すでに市場に織り込まれており、
為替高になると、
自動的に株価が下がるようになっているのではないか?


となると、理論の形成自体に、
何らかの意図が入り込む可能性も否定できなくなる...


物理学では、モノとは何かを突き詰めていった先に、
モノがモノとして存在するのは、
モノとして見ようとしている観察者の視点による、という
「我思う。ゆえに我あり」みたいな境地の世界、
近代物理学の原則が及ばない世界が、見えてきてしまった。
矛盾や対立を抱えながら、もがきながら、
それでも本質をつかもうと努力している研究者が無数にいる。

もちろん経済学にも、
人という矛盾を抱えた存在に向き合い、
経済活動を有機体として捉えようと、
本気で取り組んでいる学者はいる。

でも、その視点が大学教育の場で共有されるほどには、
メジャーな立場にはなっていないのも確か。

経済をキーワードに世界が大きく動いている今、
経済学は、これからどういった変容を遂げていくのだろうか。
現実の事象のダイナミズムを前に、
今まで以上に理論の壁に閉じこもるのか。
それとも、荒海に乗り出す冒険者たちが増えていくのか。


...ランチ時間に友達に会うためだけにしか、
大学にいっていなかった元経済学部生の、
たわごと、というか、負け惜しみ、でした。
posted by まゆか at 00:56| Comment(0) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月13日

社食ミシュラン(案)

人の会社の社員食堂に行くのが好きだ。
たまにしか耳にしない単語なので、
「シャショク」とカタカナで脳にインプットされている。

これまでシャショクがある会社に勤めたことがなく、
(というかそもそも「会社」で働いたことがほとんどない)
今後もシャショクがあるような会社に勤めることは絶対ない、
と確信を持って言えるような生き方をしているためか、
シャショクに行くと、どきどきわくわくする。

シャショクからはその会社の文化がよく伝わってくる。
ちょっとした社会科見学だ。

値段設定はどれくらいか。
どれくらいの時間をかけて食べているか。
社員が「集団」としてまとまったときに、
どんな雰囲気が醸し出されるか。

先日、「岩崎弥太郎」のケースを書いたご縁で、
日本郵船のシャショクに連れて行ってもらった。

すごく安いのに、システムがスマート。
210円のあんかけ焼きそばと50円のお惣菜をとって、
台の上に載せると、260円と自動計算がされる。
しかもカロリーまで自動計算。648 kcal。

食堂は混み合っていたが、
高い天井のせいか皇居の緑の借景のせいか、
社員から発せられる空気には全くよどみがない。
清潔でちょっぴりのんびりとして、そして開放的。

郵船の人によると、2年に一回の社費留学の制度があるが、
応募は少ないらしい。

「別に無理して留学しなくても...
働いているほうが、いろいろ得ですから。
海外赴任も多いですし」だそうだ。

安定した収益基盤とグローバルなオペレーション。
それほど大きくない家族的な組織。のびやかな終身雇用。
こんな人生もあったのかなあ...ふと、遠い目になる。

非常に後味のよいシャショク体験であった。

そんな話をぶつぶつしていたら、友人に提案された。
「社食ミシュラン、書いたら?」

お、悪くないなあ。
こんなのはどうだろう。

「シャショクから見た日本企業分析」
posted by まゆか at 00:26| Comment(2) | TrackBack(2) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月09日

中途半端なブレイクスルー

夜更かしがたたって、
久々に大寝坊して、
ぼわっとオフィスにたどり着き、
あーあ、と一息ついたら、
アメリカからの電話。

現在一緒に書いている
ある企業のケースについて、
腑に落ちないところがある、
メールじゃらちがあかん、とのこと。

45分間の電話。
話しながら、強まるばかりの、
強烈な違和感。
説明しても言葉が相手の心にささらず、
ただすべっていく感じ。

なんでこんなにかみ合わないのかしら?

話しても話しても、
もやもやは深まるばかり。
電話を置いた後、
ぐるぐると考え出す。

そして、ぐるぐるの中から、
なんとなく浮かび上がってきた。

その企業がやっているビジネスが
なんたるか、ということを
理解し共有することなしに、
話を進めていたので、
へんてこになってたのではないか。

教授も私も、それまでは、
本社のコントロールvs.現場の創意工夫
という二項対立で考えていた。

でも、そのビジネスは、
その二つが巨大で精緻なシステムの上に
共存していたのだ。

現場は現場の判断でビジネスを行う。
その判断は、さらさらと波状で
他のビジネスプロセスに変化を与え、
部分最適を実現しながら、
利益最大化という形で本社へと戻り、
ここで全体最適が実現する。

ある種究極のコントロール。
マトリックス。

もしくは、宇宙の調和、
曼荼羅の模型。

それこそ「単品管理」のすごさの秘訣!

と、一人もりあがったまではよかった。

表現を全くごまかせない英語という言語で
メールを書く中で、
ケース作成という文脈では何が問題だったのか、
よくわからなくなり、その結果、
何を自分がわかったつもりになっていたのかも
よくわからなくなり。

ひたすら迷走した挙句、
中途半端な文面のメモをかろうじて送り、
妙な徒労感に襲われて、帰宅。

最近むくっと目覚めた感性と
社会人として鍛えたロジックが
協力し合うには、
道のりは、まだまだ、遠い。
posted by まゆか at 22:22| Comment(3) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月29日

市場を育む

仕事柄、時々、会社の社長さんにお会いする。
お会いする、というよりは、
私は部屋のはじっこにちょこんと座って
「拝見させていただく」というのがより正確な表現だけど。

今週は3人の社長に会った、というか、見た。

売上7兆円超、正統派、日本の大企業社長。
最大手コーヒーショップのキュートでタフなフィリピン女性社長。
そして、従業員60名、大阪の素材メーカーの社長さん。
なにわ節で世界をかけまわる。

この社長さんがイカシテた。

もうすぐ50歳。25歳で家業を継いだので、
人生の半分以上は社長をやっている
社長業では大ベテラン。

勢いのよい、でもあったかな大阪弁。
質問に対して、まるで次元の違う話がはじまって、
それがどんどん生き生きと展開するもんだから、
質問したこっちが何を聞いたかも忘れたころに、
さらっと核心に迫ってくる、
そんな方だった。

会社が大切にしてきたコアの技術をもとに、
医療、スポーツ、宇宙、と幅広い分野に国境を超えて進出。
世界シェア70%を誇る分野もある。

その会社は
「市場を育てることができるか」
を新商品開発・投入の基準にしているとのこと。

すごくいい製品ができたとする。
それを投入すれば他を圧倒できることが分かっていても、
既存のプレーヤーのシェアを奪ってでしか
売り上げを伸ばせないなら、
そのままその製品を出すことはしない。

シェアを奪えば、一時的に売り上げは伸びるかもしれない。
でもそうすると、遅かれ早かれ価格競争が始まり、
市場としての寿命を縮めることになる。

「自分たちのために利益をとれるだけとって、
あとは市場が荒れたってかまわない、というのは、
どうも違う気がするんです」

その商品を出すことで、
今まではユーザーでなかった層がユーザーとなり、
市場が育つ・大きくなる。
そんな商品を開発し、
もしくはそういう形につながる売り方を徹底する。

「自分の事業・商品を通じて
今までよりも多くの人が新たな経験を味わい、
その結果として市場が大きくなって、
増えた収穫を他の企業と分け合う。
それが企業にとってのCSRであり社会貢献だと思います」

感動がじわっと体に広がって
鼻の奥がつーんとした。


限られたものを奪い合うのではなく、
育んで、そして分かち合う。


「現実は違う」
「そんなことをしていたら自分がやられてしまう」
そろそろそういう言い訳はやめましょう。
企業も国も人も。

明日の世界はきっともっと、明るくなるから。


追記:この会社のケースは来年のいつかにはできると思います。
posted by まゆか at 08:46| Comment(2) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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