2010年05月20日

日本食

現在ボストン出張中。
メインの部分を表現するほどの
元気は残っていないので、
ささいなネタを。


火曜日の夜に、
ハーバードビジネススクールの
各地にあるリサーチセンターの
ディレクターたちと、
これを統括している
ボストンの先生やスタッフたちと一緒に
日本料理やさんに行った。

「ん?その日本語は何だ?」
というようなものが
ちらほら店内にあったり、
内装も、日本「風」ではあるが、
ちょっとがちゃがちゃしていたり。
日本人的には微妙な違和感がある店。

メニューも、なんというか、
雑駁な感じ。

お寿司もロールもチャーハンも
テンプラも野菜炒めもカレーも
そばもうどんもある。

そして量は限りなく多く、
盛り付けも限りなく派手。


このレストランのオーナーは
中国人だそうだ。なるほど。


しかし、ものすごく賑わっている。
しかも地元の人がほとんど。
子供もいっぱいいる。

ワシントンでたまに行った
日本人がオーナーのレストランは
お客のほとんどが日本人だった。


日本人だと日本食はこうあらねば、
という思いにしばられて、
このじゃかじゃかしていて、
アメリカの人が気軽に楽しめる感じは
出せないんだろうなあ。


熊本発の「味っ子ラーメン」が
中国で日本の店舗数を上回る
フランチャイズ展開を行っていて、
でも日本人がそこに行くと
「こんなのラーメンじゃない」
とか言うらしい。

世界ではSushiといえば、
日本の握りではなく、
カリフォルニアロールをはじめとする
創作ロールを指す。


広い地域でいろいろな人を相手にするには、
この種の適当さ、
いろいろな応用や組み合わせを楽しむ心、
変わっていく流れに乗っかる軽さ、が、
必要なんだろうなあ。

と、巨大なてんぷら盛りを
眺めながら、しみじみと思った。
posted by まゆか at 21:44| Comment(2) | 特に、日本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月02日

幸せを測る?

なんかどうも
違和感があるんだよなあ。


政府が「幸福度」を測定する、
とかいう話。


これからはGDPではなく
GNH(Gross National Happiness)。

経済成長だけではなく
心の豊かさを実現する社会へ。

ナンバーワンじゃなくて
オンリーワン。


大体似たような考え方。
ここまで十分に発展しつくして
成長の余地がない国としては、
そりゃこの種の方向で行くしかない。

それに確かに社会は全体的に灰色な感じで、
自殺率もとても高いし、
どこか決定的に
ボタンのかけ違いが起こっていて、
それは何とかしないといけない。

だから、大筋は賛成なんだけど。


ブータンは所得は低いけど、
GNHは世界一で人口の97%は
自分を幸せだと思っていて、
笑顔が素敵です!
一方日本は経済大国なのに
幸せ度数が低いです...
みたいな報道をみると
あさりの中に入っていた
砂をかんだような
ぞわっとした気分になる。


やっぱり幸せって
測って比べる類のものじゃ
ないと思うから。

それに幸せって、
なるものじゃないと思うから。
そうある状態のことだと思うから。


「幸せになりたければ幸せでありなさい」
by ニール・ドナルド・ウォルシュ著
神との対話


幸せを測定しようとすると
幸せの定義の話になり、
そうやってますます
幸せというものに答えがあるような
しかもその答えを押しつけられそうな、
そんな予感がして、
すごく怖いしイヤだ、というのもある。
ただでさえ、
そういう傾向が強い社会なのに。


それにさ、
自分は幸せじゃないと認識できて
それを何の心配もなく発言できることも
実はとても幸せなことなんじゃないかな。

北朝鮮でやったら絶対みんな
「私は幸せです」っていうよ。


そんな測定しなくていいから、
街にもっと緑増やして、
時差通勤や育休が
当たり前という感じになって
サマータイム導入により
日の光を浴びる時間を長くして、
シュタイナーでもオーガニックでも
人間が心で体で、
ああ、これ、本当はいいよね、
とわかっているけれど
既存の制度や業界からの反発を受けて
なかなか広がっていないものを
どんどん応援する、
とかやればいいんじゃないかしら。


国家としてやるべきことを
しっかりやって、
その結果として人の幸せに
貢献するというのはいい。
でも国が個人の幸せの部分に
直接首をつっこむ、
というのは、どうも気味悪い。

だって、ブータンは
仏教国だもの。宗教国家だもの。
日本が比べる対象としては、
ちと違う。


...とかごちょごちょ書いたけど、
社会の移行期には、
この種の割り切った断定に基づく
新しい手法や概念を持ち込むことで
社会がぐいっと変わっていく
きっかけになることも多いから、
案外「幸福度測定」は、
いい結果を生むかもしれない、けどね。
posted by まゆか at 00:13| Comment(3) | 特に、日本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

メダル

New York Timesに各国の獲得メダル数が、
時系列で視覚的に追える「メダル地図」が載っていた。

A Map of Winter Olympic Medals

メダルの数が円の大きさに比例している。

左から右に、過去から現在に、
びゅーっとスクロールすると、
どの国が大きくなったり、
小さくなったりしているか、
一目でわかっておもしろい。


大きな流れとして浮かび上がるのは、
国の多様化だ。

特に92年の仏アルベールビル大会が
転機になっている。

それまでは、
冬のオリンピック=ヨーロッパの大会、
という感じが強かったのが、
アメリカ・カナダという北米が
ぐいっと大きくなり、
日本・韓国・中国という東アジアの円が、
国名が記載できるぐらいになる。


ここ2回のアジア地区で言うと、
このところわんさかメディアで、
取り上げられているように、
韓国の円の急激な成長が確かに目立つ。

韓国の大量のメダルのほとんどは、
スピードスケートとショートトラック。
その裏には国によるスケートへの
集中的な手厚いサポートがあるという。
つまり一点突破主義。

そんな韓国を見習って、
日本もあれもこれもの総花ではなく、
才能も予算も選択と集中を行っていくべきでは、
ということを、iモードを作った
夏野剛さんが日経に書いていた

確かにそれも一理あると思う。
そうでもしないと、
相当の数のメダルを取る、というのは、
極東の温暖な島国では無理なのかもしれない。


でも、なんかそういうのは、
ちょっと窮屈だよなあ、と思う。
しかもこの国の政府なるものに、
下手に選択と集中なんかされてしまった暁には、
取り返しのつかない
へんてこなことになりそうだし。
もっと人口が少なくて、
専制的な土壌のある国だったら
いいかもしれないけど。

みんながそれぞれ好きなスポーツをやって、
いろんな競技にちょっとずつ選手が出て、
戦陣で言うと、薄く浅く伸びきっちゃってる、
みたいな適当な感じでいいんだと思う。
全体としては。


その代わり、
出る杭は思いっきり出させる、とか、
自分の人生に責任持つ代わりに、
他人の人生にわあわあ言わないとか、
失敗しても何度でもやり直せる、とか、
そういう空気がもっと濃くならないと。

つまりは、
それぞれがそれぞれの人生を生き切る、
ということ。


そういうたくましい個人が多い集合体からは
その中からさらに圧倒的にたくましい
世界レベルの個人が生まれ、
結果として集合体としても強くなる。
スポーツでも経済でも、
企業でも国でも。

国を背負うだのいろいろ言われる
オリンピックだって、
結局は個人の戦い、だもんね。
posted by まゆか at 23:01| Comment(0) | 特に、日本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月22日

「転倒注意」

工事中の駅で、
「足元にお気をつけください」
「右側通行をお願いします」
とひたすら連呼する係りの人が
何人も立っている。

工事用のシートが敷かれている程度で
「お気をつけ」るほどの危険はないし、
片側通行を強制しなきゃいけないほど、
通路が狭くなっているわけでもない。


これって、おそらく、
最近、工事をしているある駅で、
通行人が怪我をして、
注意呼びかけを怠ったとかいって訴えたか、
それをきっかけに、
「必ず○人以上の作業員をつけ、
注意を呼びかけること」みたいな法律ができたか、
なんじゃないかな。

しょうがないかなー、とも思うし、
それで新たな雇用が生まれるから、
いいっちゃいいけど、
でも、ちょっといやな感じがする。
過保護すぎる。


この延長線上で、
マンションの階段から落ちたら、
階段を設計した会社を訴え、
「転倒注意!」というサインを
掲げなかった建物を訴えたりする人が、
出てくるかもしれない。
それを防ぐために、あらゆる階段に、
「転ばないでください」という
拡声器が付けられる日も来るかもしれない。


本来、個人の責任であるところまで、
会社や学校、国の責任ということになって、
先回りした過剰な対応や法律が、
ここかしこで増えてきている。

釣り人が高波にさらわれれば、
その場所が立ち入り禁止となり、
企業のアドレスからのメールには、
本文より長いdisclaimerがくっつき、
一部の親に文句をつけられないよう、
徒競走は並んでゴールインする。


やることなすこと、
すべてが「誰か」のせいになり、
「誰か」はあらかじめ、
物事をまるめたり、
但し書きをつけたりして、
自己防衛を行う。


社会はますます甘えだらけ。
クレームだらけ。
何かをやろうとしても、
当てつけられるのが怖くて、
腰が引けてしまう。


責任のないところには、
自由もない。

これじゃ、活力なんて、
生まれようがないよ。
posted by まゆか at 00:51| Comment(0) | 特に、日本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月28日

ニッポン

9年かけて英語の苦手意識だけを
植え付けるという特異な英語教育により、
人材の自然流出を起こさず、
移民は厳しく制限して、
異なるタイプの人材の流入も防ぎ、
入ったら最後まで勤め上げるという労働慣行で、
企業内の人材をさらに同質化する。

同じような人たちが同じような志を持ち、
ある特定の目標に向かって、
必死で技術力をあげ、
サービスのレベルを上げる。

輸出で成長しつつも、
足元には人口1億を超える
大きな国内市場がある。


これこそ、
日本のEconomic miracleの源泉だった。


でも、世界はずいぶん変わった。
日本の強みの源泉だったことが、
すべて裏目に出始めている。


目指すべき方向が明確にわかっている時は、
勤勉で同質な集団が、
足並みそろえて走ることで、
大きな成果を出すことができた。

一方で、今みたいに、
今後世の中どうなるのかよくわからん、
みたいな時代には、
「そんなの、ありえるの?」みたいな発想を、
ぼんぼん出して、失敗なんて当たり前、で、
どんどん形にして走りながら考える、
みたいなスタイルでないと、
もう、何も生まれないし進めない。

取締役はその会社にしかいたことがない
50代後半男性のみ、みたいな会社だと、
逆立ちしたって、そんなの無理だ。

さらに頼りにしていた国内市場は、
完全飽和状態。
これ以上伸びる余地はないから、
どんどん外に出ていかないといけないのに、
言語の厚い壁や
同質性に慣れたマインドセットが邪魔をして、
非常に腰が重くなっている。


もしこれが国内市場が小さくて、
最初からグローバルで
戦わざるを得ない国だったら、
だいぶ状況が違ったはず。
韓国や北欧諸国のように。


ある時期に成功すると、
成功から生まれる既得権益やおごりのせいで、
時代が変わったときに、
これまで最も成功していた所が最も出遅れる、
というのは、
人でも企業でも国家でもよくあること。

きっと、日本も、
Miracleを起こしたがゆえに、
まさにmiracleを起こし得た理由によって、
しばらく苦戦するんだと思う。


苦戦が本格的に長引いて、
おごりや既得権益にしがみつくのは
本当にまずい、ということが、
だれの目にもはっきりとわかるぐらい、
ヤバイ状況になったら、
すなわち新しい時代において、
はっきりと自分たちが失敗したとわかったら、
そこでまた奮起して、
その次の時代に向けた努力が始まる。


そうやって、うまくいったり、
いかなかったりを、
長い歴史の中で、
繰り返していくのだろうか。


できれば、そこまでいかないうちに、
がんがん人を外に出して、
がんがん人を中に入れて、
がんがん若手を登用して、
様々な気遣いを半分に減らして、
国籍も性別も年齢も関係なく、
わいわいがやがやとオープンに議論しながら、
とにかくいろいろやってみる、
みたいな文化になればいいなあ、と思う。

そして、そうなるために、
自分ができることを、
ちゃんとやろうと思う。
posted by まゆか at 23:38| Comment(2) | 特に、日本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月16日

なんだか、なあ

連日紙面を騒がせている、
小沢さんの資金問題。


そりゃ、これだけ長い間政治家やってて、
しかも相当力を持った人なんだから、
いろいろつっつけば、
出所のわからないお金ぐらい、
うじゃうじゃあるに決まってる。

その中には法律と言う意味でも、
ある一線を越えているものも
混じってるだろうし、
そのことを追及するのは、
法治国家として間違っていること、
ではない。

個人的にも、
特に最近の小沢さんの面構えは、
うわー、ここまできてしまった...
という感じだし、
妙にいばってるし、
古い体質っぽいし、
どちらかというと
ネガティブな印象が強い。


でもさ、
別にこの時期にやらなくても、
いいんじゃない?って思う。

今までだっていくらだって、
追及する時間はあっただろうに。
ここ最近急に始めたことのはずがないから。

ようやく民主党が政権をとって、
問題や脆弱さは抱えつつも、
変えるべきは変えようと
がんばっている時を
あえて狙ってこなくてもいいのに。


まあ、だからこそ、
水を差したいからこそ、
こんなことになっているんだろうけど。

これによって本来なされるべき
改革への意識が薄れ、
流れが途絶えてしまったら、
この国に住む多くの人、
特に未来に生きる人にとっては、
ものすごいマイナスなんじゃないかしら。

なんだか、なあ。
ちょっと、暗くなっちゃう。
posted by まゆか at 23:17| Comment(0) | 特に、日本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月12日

ポーター×医療

HBSのマイケル・ポーター先生が、
来日の折に、近年の彼の主要な関心である
医療制度についての講演を行った。
(最近、邦訳が出た本「医療戦略の本質」)


非常に綿密なリサーチと、
慎重な思考に基づく、シンプルな提案。

現在の医療の問題は、
医者の数が少ないとか、
医者がさぼっているとか、
そういう問題ではなく、
全体のシステム設計のバグに原因がある。

医療提供者側の専門性や行動をベースに
設計されている今の仕組みを、
患者にとっての価値という視点に基づいて、
根幹から変えていく必要がある。

そういったグランドデザインなしの、
ちょっとした改革、
とくにコスト削減を狙ったものは、
長期的には質の低下、すなわりコスト増大に、
つながるだけ。

Wasting money by saving money.


続いて東大の永井良三先生がコメント。

医療は複雑系。
そこにプリンシプルのない小手先の改革
(例えば研修医制度改革など)
を入れ込むと、ほんの小さな変化で、
全体がぐわんと揺れ動いて、
ここかしこで破綻が起こり始める。

その複雑系を、
どういったプリンシプルで、
どういった制御系を用いて、
コントロールしていくか、
ここを考えないといけない。


二人のすばらしい講演を聞いて、
思った。

すでに何が問題かもわかっているし、
こうすればいい、というのもわかっている。
誰が聞いても、その通り、という、
シンプルな答えがある。
そうすれば、患者も、医者も、政府も、
みな最終的にはhappierになる。

なのに、
では、そっちに向かって動こうとすると、
現在の何らかの利益とからまって、
それを失いたくないから、反対する。
みんなが一斉に動かず、自分だけ動くと、
一人だけ損をするから、誰も動かない。

囚人のジレンマ。


とはいえ、何かやらなければいけない、
というのはあるから、
ちょこちょこと改革して、
それが一層の制度破綻を引き起こす。

どつぼ。


...ちなみに、日本は、
国防費の二倍の額を、
75歳以上の医療費に費やしていて、
2035年には、
85歳以上の女性が、
全人口を圧倒的にdominateする
ボリュームゾーンとなる、そうな。
posted by まゆか at 16:18| Comment(0) | 特に、日本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月31日

選挙雑感

選挙には行かなかった。

かなり考えたが、
投票したいと思う人も、
投票したい党もなかったから。
投票所に行って、何を書いていいのか、
全くイメージがわかなかったから。


終わってみて、思うこと、ふたつ。


ひとつ。

こんなにも、あっさり、
どどーっと民主支持に変わってしまって、
ちょっと、怖いなあ、ということ。

何があっても、俺は自民党支持だぜ!
という人が、もうちょい多いのかと思った。

戦後続いてきた自民党支配は、
「なんとなく」の民意のもわっとした固まりの
上に乗っかってきたものだったんだ。

だから、もう嫌だなあ、と思うと、
その塊は、ごそっと、もう一つの方へ動く。

明治維新をやりとげ、
無謀な太平洋戦争に突っ込んでいった、
お国柄のなせる技、といったところ、かしらん。

あと少しだけ、僕は僕、私は私で、
みんな多様で当たり前、という空気だと、
いいんだけど、と思ったりする。


ふたつ。

選挙後の会見をしていた、
麻生さんの顔が、
とってもすっきりとしていたこと。

今までで一番いい顔だったような。

彼は、首相になって、
どんどんゆがんだへんてこな顔になってたけど、
今回のことで、元に戻った、というか。
あー、こんな無邪気な顔の人だったんだ、って、
ちょっとびっくりした。

一度自民党をゼロクリアするという、
そんな役割を担った首相だったんだろうか。


政権交代そのものからは、
新しいものも変革も生まれないと思ってる。
でも、政権交代に伴い、
いろんなことが混乱しまくって、
とことんぐちゃぐちゃになった中から、
何か、ひょっこりと、
立ち上がったりする、かもしれない、ね。
posted by まゆか at 20:23| Comment(2) | 特に、日本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月19日

「変える」?

s-P1000761.jpg

社会を変える、とか、
政治を変える、とか、
教育を変える、とか、
いろいろ巷で言われているけど、
この「変える」という言葉に、
妙な違和感を感じる。


たぶんね、
既存の仕組みをいくら「変え」ようと、
「改革」しようと、
労力の割に、あんまり意味ない。
というか、変わらない。

変わらない、ぐらいならまだいいけど、
どうもへんなことになったりもする。

人って、その仕組みがあることによる、
悪い部分はすぐ目につくけど、
良い部分ってなかなかわからない。
あまりにも当然だと思ってるから。

大切なものは、失って初めて気付く、
というのと一緒で、
変えてみてから
「うへー、こんなことが!」
となって、大騒ぎになる。

あと、変えることそのものが、
目的化しちゃったりする。
行政改革とか、郵政改革、とか。
まあ、「改革」なんていうのは、
もともとその程度なのかもしれんけど。


逆に物事ってどういう時に「変わる」のかな、
って考えてみると、
それって、既存の仕組みを変えた時ではなく、
新しい仕組みが別個にできて、
気づいたらみなそっちに移ってた、
みたいなことなんじゃないかな、って思う。


衝撃的な新商品が出ると、
人のライフスタイルまで
あっけらかんとガラッと変わる。

清の変法運動は
既存の仕組みを改革しようとして
中途半端に終わったけど、
日本の明治維新は、
新しい体制を創って、そっちに、
せーの、で、みんなで移行した。


「変える」というより
「創る」ってことなのでは。

そしたら、変わる人は勝手に変わる。
で、自然と新しい時代が拓けていく。
posted by まゆか at 18:48| Comment(0) | 特に、日本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月27日

今のワカモノ

「今の若いモンは...」
ぶつぶついうオトナは多い。
礼儀がなってないだの、軟弱だの、
ルールを守れないだの、とかくわあわあ言ってる。

オトナ免疫がなかった若い頃は、
そういう苦言を真に受けてたし、
自分が、オトナになってからも、
組織では常に一番年下、
なんたって「部下」とやらを持ったことがない、
ふにゃふにゃ人生なので、
「若いモン」にふれあう機会もなく、
他のオトナの文句も、
まあ、そんなもんなのかな、と流して聞いてた。

でも最近、学生さんに話をしたり、
その後連絡が来て個別に会ったりすることが、
ぽつぽつ増えてきて、
その度に、一体何が「今の若いモンは...」
なのか、さっぱりわからなくなってきた。

まず、大体のところは、
二十歳の頃の自分と似たような悩みを抱え、
似たようにもがいている。

一方で、自分が20代の間、
やはり人類は個別に経験しないと学ばない、
学べないというのは、かなしいけど本当なのかも、
とげっそりしてしまうぐらい
いちいち経験しては、あちゃあ...
という感じの日々を繰り返し、
その先にようやくなんとなくわかってきたことを、
時代の流れのようなものを、
今の若いモンは、本能的、直感的につかみとっている。

そして古い時代の思考の枠組みにとらわれず、
ビジョンだの国だの大上段にかまえることなく、
自分達の感性に基づいて、行動している。

話を聞いていると、思わず涙がでる。
そして、私も未来と自分を信じて、
勇気を持って見えない道を歩いていこう、
という気になる。

そして、泣きそうになっている私に対し、
向こうも泣きそうになって感謝してくれるのだ。

「すごく大きなパワーをいただきました」って。
こっちはただ聞いてるだけなのに。


時代の精神は、若いモンに宿る。


「今の若いモンは...」と文句を言う人は、
若いモンに絶望したりあきらめたり
矯正しようとばたばたしたりする前に、
まず自分の心のありようを変えよう。

自分が正しいと思っていることとかは
いったんすべて棚に上げ、
黙って若いモンの声に耳を傾ける。
共感を通じて伝わってくるメッセージに体を浸す。
そしたら、相手のほうから、
無限のパワーがどんどん出てくる。

自分から変わる。
怖がらずに。
posted by まゆか at 11:29| Comment(0) | 特に、日本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月14日

モモの「子どもの家」

金曜日の朝の電車。
子どもが私立の小学校に行っている
二人のママが前にいた。
至近距離30センチの会話の横聞き。

小学一年生の子を持つママが、
この間の保護者会で説明を受けた
冬休みの宿題の話をしている。

体育まで含めたあらゆる科目に宿題が出て、
しかもそれがすべて日割りで「何をやる」というのが
書いてある紙をもらったとのこと。
元旦の日まで、なわとびの練習メニューが書いてある。
「お正月には、熟語カルタなどで、遊びましょう」とか、
遊びの種類までご丁寧に推奨されている。
そして冬休みが終わった暁には、
「なわとびの二重飛びが10回できるようにしてください」
「二字熟語を20個覚えるように」
というやたら具体的な目標まで設定されているらしい。

ママは「あんなのできないわよね、あはは」
と笑い飛ばすのではなく、
「あんなのちゃんとできるかしら...」
と本気で心配している。

もう一人のママは、二年生の子がいるらしく、
自分の去年の経験を力強く伝える。
「うちは、去年、その紙を旅行にまで持って行って、
ちゃんとやったわ!」

これを聞きながら、
最近何度も読み直している「モモ」に出てくる
「子どもの家」の描写がだぶった。

子供たちは強制的に区画ごとにつくられた
子どもの家につれていかれる。
そこで子供たちができるのは、
すべて大人が「これが子供の将来のためになる」
と信じてつくった頭脳計算的な「遊び」を
ひたすら繰り返してやること。
全然おもしろくないけど、それしかできないし、
やるしかないから、とにかくやっている。

そうこうしているうちに、想像の翼を失い、
退屈ということを覚えるとともに、
自分の中に共にあった時間を失い始める。

その子供たちの親はそれこそが
子供に成功と幸せをもたらすために必要だと
信じて疑わない。

これこそ、時間どろぼうたちの陰謀。


あのママたちは心から子供を愛している。
学校も、どうするのが子供のためか、
というのを一生懸命考えて、
冬休みの宿題を出している。
みんな、良かれと思って子供たちを育てている。
そこにあるのは疑いなく純粋な善意と熱意だ。

子供がいない私なんかが
何か言える資格はないのは
よくわかっている。

でも。

「モモ」は時代を超えたベストセラー。

それは、成功とかお金とかを幸せと定義し、
心の働きを無視して勉強したり働いたりして、
ただ日々を過ごしていくのは、
本来の人間のあり方にはそぐわないって、
たくさんの人が深く共鳴してきたからなのでは。


人は、奇跡。


人間は人生を豊かに生き抜く力を
それぞれ持って生まれてきた。
その裏には数十億年の無数の生命の歴史がある。

それなのに、
たかだか数十年の非常に限られた経験をもとに
「こうするのがいい」と言って、
それを強制するのは、どうなんだろう。


「おまえの見たり聞いたりしてきたものはね、
モモ、あれは、おまえだけのぶんの時間なのだ。
どの人間にもそれぞれに、
いまおまえが行ってきたような場所がある。」

「でも、あたしの行ってきたところは、
いったいなんなの?」

「おまえじしんの心の中だ。」


(ミヒャエル・エンデ著「モモ」p.219)
posted by まゆか at 00:10| Comment(0) | 特に、日本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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