2011年01月14日

The Girl with the Dragon Tattoo

これは絶対次のダヴィンチ・コードになる。
というか、すでに英語圏では大ベストセラー。
ハリウッドでの映画化も決定した。

スウェーデンの作家/ジャーナリスト
Stieg Larssonが書いた
「ミレニアム」三部作。

The Girl with the Dragon Tattoo
The Girl Who Played with Fire
The Girl Who Kicked the Hornets' Nest

この間、といっても大分前だけど
ロンドンに行ったときに
友人に「絶対読むべき!」と
その場で分厚いペーパーブック3冊を買わされた。


めちゃくちゃおもしろかった。


開けたら最後、数週間、
あいた時間はすべてつぎ込んで
読みふけることになった。

あのアディクションぶりは、
Da Vinch Code、Harry Potterに続く
人生3回目の経験だった。


徹底した取材と文章力でもって
通常のメディアがへつらうか
見てみぬふりをする領域に切り込む
月刊の雑誌「ミレニアム」の創刊者であり
ジャーナリストのMikael Blomkvistと
体中ピアスだらけタトゥーだらけ
あらゆる意味で普通でない
やせっぽちのパンク女性
Lisbeth Salanderが主人公。

Lisbethはウェブ上ではWaspという名前を持つ
ワールドクラスのハッカーであり、
またある秘密を隠し通したい
国家権力の巧妙なやり口によって
禁治産者というレッテルを貼られている。

この二人が友情のような愛情のような
へんな絆でつながりながら、
時には思いっきり巻き込まれる形で
女性虐待、人身売買、経済犯罪、
そして暴走した国家権力などと対峙し
自らの命を守ると同時にその真実を
ジャーナリズムの力で世に発表していく。


いろいろWikileaksと類似の点がある。

Lisbethのハッキングで
根こそぎ情報をとるものの
そのうち発表する情報は
絶対に裏が取れるものだけにする、とか。
New York Timesも
Wikipediaの情報のうち
裏が取れるものだけをスクープしたそうだ。

そして国家権力がLisbethを
犯罪者に仕立てようと躍起になったり、
世界中のスーパーハッカーたちが
彼女を救うためにいろいろとがんばったり
そのあたりもちょっと似ている。


この本を読んでいると、
平和に見える社会も、実はそこら中に
ゆがんだ危険な感情や尊厳の破壊が
あふれてるってことを
ひしひしと感じる。
それと自分を隔てるのは
もしかして幸運という薄い壁一枚。

作者はこの3部作を書き終えた直後
突然亡くなってしまったそうだ。
あることの真実に迫りすぎたゆえに
殺されてしまうジャーナリストとかが
この本には登場するだけに、
つい陰謀説を疑ってしまう。


もとはスウェーデン語だが
翻訳の英語もすばらしくそして読みやすく
計2000ページに浸かったことで
ちょっと自分の書く英語も
リズムが良くなった気がする。


ものすごくおすすめです。
ただし比較的時間がある時でないと
大変なことになるので
タイミングにはお気をつけください。
posted by まゆか at 22:45| Comment(1) | 観賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月23日

CARE WAVE

妙に空気の澄んだ秋の休日。
とてもいいものを観た。


CARE-WAVE AID
〜思いやりの波〜


振付家鎌田眞由美さんの思いのもと
ミュージカルのアーティストが
ボランティアで集まり、
世界の現状を伝える
ミュージカルを上演、
その収益金を、
様々な問題解決に実地で取り組む
NPO団体に届ける、という活動。

次回公演の実現に向けた
広報・資金集め活動として、
ダイジェスト版を公演するという
イベントに誘われて行ってきた。


「選ばれた大地アフリカ」


ミュージカルというフィクションの時空で、
飢餓、民兵による殺戮や強姦といった
生々しいリアリティが演じられることに
慣れなくてびっくりしてしまったり、
ストレートにLove & Peaceで、
ちょっと照れてしまうところもあったけど。


ミュージカルアーティストが、
自分のギフトや、
それまで長い間かけて鍛錬してきたスキルを
通常の舞台のためだけではなく、
もっと広い世界のために使う。

しかもそれを通じて、
彼ら自身も新しい表現の可能性を
楽しんでいる。
世界につながっている。

キャストはみな本当にいい顔をしていた。
それをみているだけで泣きそうになった。

すごく正しいギフトとスキルの
使い方だと思った。


自分はそんなふうに
きちんと使えているかしら...


彼らの体による表現を
間近で受け止めて、
びりびりする胸をおさえながら、
そんな自問自答をする。


うーん。全然だめだ。

ということで、
まずすぐにできることから、と、
とりあえず会員になっておいた。
次の公演、実現するといいな。
大きな舞台で完全版をみてみたい。


木戸さん、
ご案内ありがとうございました!
posted by まゆか at 21:47| Comment(1) | 観賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月06日

ギフト

このところ、取りつかれたように
ル=グウィンばかり読んでいる。

小さいころゲド戦記を読んで
その世界にすっかり魅了され、
数年前に読み直して改めて圧倒され、
また急に読みたくなってこの度買い直し、
一気に5冊読み通してしみじみと浸る。
ついでに彼女の新しいシリーズやSF、
エッセイ集までばかばかと買った。


初めて「西のはての年代記」を読む。
ギフトヴォイスパワーの3部作。

授かった力(ギフト)をどう使うか、
というのをメインのテーマとし、
そこに自由、創造、物語を
横糸として織り込んだ
ダイナミックで美しい世界。


3作目「パワー」の主人公ガヴィアは、
二つのギフトを持っている。

一つは過去にあったこと、一度聞いた物語を
見事にそっくり「思いだす」ギフト。
何をしようと彼の中に常にある才能。
これは母親から受け継いだ。

もう一つは未来に起こることを、
ビジョンとして「思いだす」ギフト。
こちらは子供のころはしょっちゅうあったけど、
成長するにつれて頻度が減っていく。

ガヴィアの前者のギフトも特定の個人によって
私物のように使われるだけの時期があったり、
彼の後者のギフトを訓練しようとする人に、
麻薬漬けにされたりもするが、
最後は真の物語を創るギフトを持つ大詩人
第一巻の主人公オレックに出会い、
物語を創り、保存する作業に加わる。


自分の中にも
こんな感じのギフトが二つある。
(いや、ギフトというほどのものではなく、
もっとゆるっとぼんやりとしたものだけど。)


何をしようと必ず自分の中にあるものと、
子供のころは自然にやっていたけど、
今、それを再現しようとしても、
なかなかできないものと。

後者のほうを
何とか息を吹き返させようと、もがいてきた。
そこに真の自分があるのだと思っていた。
前者のギフトを使う機会が増えると、
ただでさえ弱々しい子供のころのギフトは
消えて行ってしまうと思っていた。

でも、自分の中に既にはっきりとあるギフトを、
その形を見極めた上で、
世のためにきっちりと使っていくということは、
とても尊くそして正しいことなんだ、と、
本を読んで気付かされた。


ガヴィアの母の妹は彼にこういった。

「あんたの母さんから受け継いだ才能を
しっかりと離さないように。
もう一つの『思い出す』才能で
自分以上のことを思い出そうとすると、
自分が自分でなくなるよ。」


やっぱ、ル=グウィン、すごい。
ギフトを大切に、
そしてそれをちゃんと使っている人だ。
この本を書いたのは70後半だ。


はああ、それにしても。
どうしたもんかなあ...
posted by まゆか at 19:53| Comment(1) | 観賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月14日

「インパラの朝」

ちょっとした連絡の行き違いで
待ち人来ず、の早朝のカフェ。
ぽこっと手にした静かな1時間。

瑞々しく光る黄緑色の若葉が
次第に存在感を増している
街路樹を見下ろしながら、
大切な知人から紹介された
インパラの朝」を読む。


2年間、旅人として過ごした
同世代の女性が綴った本。


青い鳥を探すわけでも、
自分を見つけるわけでも、
刺激を求めるわけでも、
正義感を満たすわけでも、
なんでもない。

ただの一人の旅人として、
訪れた土地や人々の流れに、
そっと寄り添い、そして離れ、
ただの一人の人間として、
大地と空の間に、
むき出しで立って、息をする。


腹立たしく、
そしていとおしい人間世界。
それを見つめる
インパラの目の奥深さ。


無防備だけど、
ずどんと地中深い彼女の感性。
そこを通して見て聞いて触れた
この世界の丸ごとの美しさと、
はちゃめちゃなでたらめさに、
自然に涙があふれてくる。


読み終えた後は、
すがすがしくも荒々しい、
清涼で野生の風が、
体中を吹きあれたかのような。

そして私の感性も
自然と研ぎ澄まされたような。


ものすごく、素晴らしい本。
まだ、衝撃にふるえてる。
posted by まゆか at 23:05| Comment(0) | 観賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月02日

Sakura

s-P1010641.jpg

桜なんて毎年咲くから、
別に今年ぐらい見逃してもいいや。

そんな気持ちががらりと変わったのは、
アメリカに行ってからだと思う。

日本から贈られた桜が咲く
ワシントンDCに2年間住んだ。
異国の地に咲いているせいか、
あれほど見慣れていたはずの桜の
美しさ、可憐さが、胸にしみた。


そして、帰ってきて、
今度は東京の桜の立派さと
量の多さに圧倒される。改めて。

樹齢たかだか80年の
ワシントンの桜とは異なり、
木の一本一本が、どっしりと見事。

そして、東京中、
どこもかしこも桜だらけだ。
小田急線に乗って郊外に向かうと、
しょっちゅう目の前を
ピンク色の霧が横切ることに気づく。


この地に住んできた人々の
桜への思いが、次の時代、
その次の時代へと、リレーされて、
思いの蓄積とともに
桜もこれだけ増えてきたんだ。

これは、ちゃんと、
毎年しっかり味わわないと。


非常に腰が重い性格で、
待ったり人ごみの中を歩いたり、
遠くまで桜を観にいったり、
そういう芸当が全くできないのだが、
昨日は、自分で自分を励まして、
帰宅後、徒歩5分の
六義園にでかけた。

10分ほど並んで入園。

目の前に、しだれざくらが、
巨大なくらげのように、
ゆらゆら揺れながら、
白く浮かび上がった。

桜を観てるんだか、
写真を撮ってるんだか、
わからない人たちで
埋め尽くされて、
じっくり堪能するのは難しかったけど、
でも、やっぱり美しかった。


あと一回ぐらいは、
ちょっと無理してでも
桜をちゃんと観にいこう。
posted by まゆか at 22:20| Comment(0) | 観賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月28日

玉江

一日一組、
予約はほとんど取れない、という、
ご近所のお蕎麦やさん「玉江」。

同地区に住む友人から、
突然いけなくなった人が出たから、
といって、直前の代打要請。

集まった12名は全員
その友人の会社の人だったため、
みにくいあひるの子のような、
転校生の初日みたいな気分だったが、
そんなぎこちなさもふっとばす、
壮絶に美味しくてボリューミーな
全11品のそば懐石だった。


店の大将によると、
彼はもともと塗装やさん、だったそうだ。

趣味でそばうちを長年やっていて、
そのうちに、
自分の打ったそばを知人たちに
食べさせる場がほしくなって、
今お店があるところを借りる。

あくまでも知人に食べてもらう、
というコンセプトで、
最初はおもてなし、すなわち無料で
食事を出していたが、
「お金を取ってくれないと、
もう一度来にくくなる」という声が大きくなり、
ならば、といって、営業許可書を取り、
蕎麦屋を開始。


当初は、食事の代金は請求するけど、
それまでののりの延長で、
飲み物は冷蔵庫にビールやお酒をおいておくから、
自由に飲んでね、というスタイルにしていたが、
客層が広がるにつれて面倒も増えてきたので、
今はお酒もお代をいただくようになった、らしい。


とにかくすごく美味しかったし、
会計も驚くほど良心的だし、
近所だし、また絶対来たい!と聞いてみたら、
「来年の5月まで埋まってます」だそうな。

2011年5月、である。
現在2010年2月。15ヶ月先。


いいなあ、と思った。
自分の好きなことを
みんなに喜んでもらいたいという思いで始め、
心を込めて続けてやっているうちに、
自然とそのことがなりわいになる。
なりわいになることでより多くの人が、
さらに楽しめるようになる。
15ヶ月先までの収入がほぼ正確に把握でき、
よってリーズナブルな値段も維持できる。

誰も無理しておらず、
誰もがハッピー。


唯一アンハッピーなのは、
行きたいと思っても、
奇跡的な幸運か、
1年以上待つ忍耐かがないと、
いけないことだけど、
まあ、これは、仕方ないね。


はちきれそうなおなかを抱えて、
どことなく春の香りがする夜道を、
ご近所友達とゆるゆると歩いて、
最近オープンした
これまた感じのいいバーで
一杯飲んで、帰った。


とってもいい気分だった。


また僥倖に恵まれることを祈ろう。
Gちゃん、ありがとう!
posted by まゆか at 23:09| Comment(0) | 観賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月03日

映画と本

原作が本の映画は、
絶対に本の方がいいと、
ずっと思ってたけど、
映画と本とどっちがいいかどうかは、
どちらに先に出会ったかで決まるのでは、と、
伊坂幸太郎原作「ゴールデンスランバー」を
映画館で観ながらふと思った。

原作を読んでしまっていたら、たぶん、
あんなに満喫できなかったような気がする。

最初に本を読んでから映画を見ると、
本のほうが絶対にいいと思うし、
逆に映画をみてから本を読むと
映画のほうがいいと思う、
ということなんじゃないかしら。


本を読んでさらに映画を見ようとか、
映画を見たのにさらに本で読もうとか、
そんな気合が沸くぐらいだから、
最初の出会いでその作品を
相当気に入っている、ということ。

初期バージョンで、
物語や映像がくっきりと
頭と心に刻まれているため、
次のバージョンがいくら
単体として素晴らしかったとしても、
自分の中にある初期バージョンとの
ギャップが気になって、
どうももぞもぞして、没頭しきれない。

映画での映像が頭にあるため、
本の文章そのものはあまり味わずに、
噛まないで食べ物を飲み込むかのように、
すっとばして読んでしまったり、
本の内容と違っていると、
うわー、そこ違う!と思って、
映画ならではの展開を楽しめなかったり。


唯一の例外は、
ハリーポッターシリーズ。
相当な編集作業はあるにしろ、
映像が本の世界を見事に再現しているので、
本で読んで、映画でみて、
二度思いっきり楽しめる。

正確に言うと、
1)原作を読み、
2) 1年後日本語訳を読み、
3) 2-3年後に映画を見る、
と3回も、しかも×7巻楽しめるわけだから、
21回も、ハッピーが続く。

いと、たのし。うれし。

生きている間に、もう一度、
ハリーポッター級の物語が、
世に生まれるといいな...


「ゴールデンスランバー」
よかったです。
特に原作をまだ読んでいない方には、
おすすめ、です。
posted by まゆか at 22:38| Comment(0) | 観賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月24日

君を幸せにする会社

三連休の最終日の
朝の光を浴びながら、
東京体育館に向かう。

世界連邦21世紀フォーラムでの、
天野敦之さんの講演
「宇宙とつながる経営と働き方」
を聞きにいった。

これまで天野さんとは何度か
ご一緒する機会があったり、
彼の本(「君を幸せにする会社」など)を
読んだりしてきたが、
講演を聞くのは初めて。


澄み渡る青い空に
ぴったりの内容だった。

おっしゃっていたことは、
ものすごくシンプル。


人の無限の可能性を信じる。
自分を愛する。
魂の声に従って行動する。
そうすると自らが光り輝いて、
その光で自然と周りを笑顔にする。
それが自分の幸せになり、
みんなの幸せになる。

これをビジネスの場でやれば、
幸せと利益が同時に実現する。
だって、利益とは価値であり、
価値とは人の幸せだから。


これって、ほんと、そうだなあと思う。
そんな会社もいくつか実際にあるし、
自分も最近少しずつだけど、
こういう感覚を持つ瞬間が増えてきたし。


だけど、これって、
シンプルがゆえに、
シンプルすぎて、
じゃあどうしたらそうなれるの?
というところへの、
便利な答えはない。

気づいたら、
自転車に乗れるようになり、
その乗り方を問われても、
答えにつまってしまうように。

なれる、なれないではなく、
なると思えばなるのです、
という世界だ。

わかる、のではなく、信じる。

それを、真正面から、
まっすぐに語り続け、
自ら実践し続ける、
天野さんの生き方は、
今日の空のようにすがすがしい。


でも、自転車も、
何度も転んだ挙句に、
ふっと乗れるようになるように、
こういう認識に「なる」にも、
かなりの七転八倒のプロセスがある。

七転八倒して、
ようやく「ああ、こうなんだな」
私もようやく悟ったわ、と思ったら、
また新たな七転八倒が始まったりする。


人ってそんなキレイじゃない。
自分だけよければいい、という行動を、
ついしてしまう。で、後悔する。

人ってそんなに強くない。
「現実はそううまくいかないから」
と言い訳して、
魂の声をシャットアウトしてしまう。
で、そのうちに心と頭が分離して、
やっぱり後悔する。


そんな葛藤を抱えながら、
もがきながら、
自己嫌悪に陥りながらも、
時折訪れる、
全てがつながる瞬間の感覚を大切にして、
日々生きていくのね、なんてことを考え、
横に座っていた素敵なお医者様の女性と、
しみじみと話し合った。

天野さん、ありがとう。
posted by まゆか at 00:56| Comment(0) | 観賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月17日

「いらない里」

この間、演劇を観にいった。

どうも演劇って、
重すぎて、深すぎて、
なんだかよくわからない、
みたいなイメージがあり、
ほとんど観にいったことがない。

今回も、直前に誘われて
勢いで行ったものの、
暗かったら、わけわかんなかったら、
やだなあ、と少し不安だった。


劇団ホチキスによる「いらない里」
吉祥寺シアター。


いやあ、すっごい、おもしろかった!
よくできた映画のように、
テンポよく、様々な場面が、
平行して折り重なりながら、
効果的に舞台を使いながら、
ストーリーが進んでいく。

キャスト本人のキャラクターが、
登場人物のそれにうまく反映され、
一人一人がくっきりと浮かび上がる。
チームワークも抜群。


驚いたことにこのホチキス主宰、
脚本家の方は、
普段は大企業にお勤め、らしい。

それで、年間4本の公演を、
創り演出しまわすのだから、すごい。


適度にポップで、
適度に本質的で、
適度にコミカルで、
適度に世相を反映して。


劇以外の世界にも足をおいているからこそ、
創り出せる絶妙なバランスなのかも。


私もがんばらなくっちゃ。


興奮しすぎたのか、
のめりこみすぎたのか、
その夜は、
えらく色彩鮮やかな夢を見た。
posted by まゆか at 09:31| Comment(0) | 観賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月17日

魂の踊り

とってもすばらしい日曜日の午後になった。

大学のサークル&クラスの後輩で
フラメンコのプロになった
やのちえみさんのライブ。

"Volver − 愛すべき場所へ"

Volverとは「戻る」という意味だそうだ。
出産後の復帰記念ライブだった。


私は実はフラメンコの舞台を見るのが
それほど好き、というわけではない。
単に不真面目なだけなのだが、
週に一回のレッスンで、
子供ながら単身スペインに渡り、
以来スペインでプロとして生き抜いてきた
自分の先生の踊りを見るだけで、十分満足。
敢えてタブラオやライブに行く気がしないのだ。


でもやのちえみさんのライブは、
行くたびに、心がぎゅっと唸る。
背筋に喝が入る。


フラメンコをやる、という確信の中で、
いい大学行っていい企業に入って、という道を、
あっさりと辞めてプロになった。
その生き様が、覚悟が、淡々と迫ってくる。


そしてその踊り。


日本のフラメンコダンサーはまじめなので
一生懸命練習して、ある種の「完璧」に
近づこうとしている人が多い。
だから、粒は揃っていて、
レベルは非常に高いのだが、どこか窮屈。
顔は整っていて、美人だなあ、とその時は思うけれど、
思い出そうとしてもどうしても思い出せない人、みたいな。


でも、彼女の踊りは、彼女の踊りでしかないのだ。
踊る彼女を観ていると、
上手下手のものさしがどうでもよくなる。
いや、もちろん素晴らしく上手なわけなのだが、
それを超えたところで、踊っている。
彼女の魂がずどーんと伝わってくる。


アートへの自然な感動で、
気づいたら、涙があふれてた。

そして、その感動に、
結局コンフォート・ゾーンを出ずに
日々を過ごしてしまう自分への情けなさが混じって、
胸がきりきりした。


ちえみちゃん、どうもありがとう
これからも応援しています。
posted by まゆか at 22:23| Comment(3) | 観賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月17日

珠響〜たまゆら〜Vol.2

30代の若手アーティストたちが分野を超えて
結成したグループ。
「珠響〜たまゆら〜」

チケットをいただいたので、ふらっと出かけたら、
震えるほどに感動した増上寺での結成コンサートから3カ月。
今度は自分でチケットを取り、仲間も誘って、
サントリーホールでのコンサートに行ってきた。


なんだろう。
どうもしっくりこない感じが最後までつきまとった。


武田双雲の書のパフォーマンスから始まり、
稲本響のピアノ、村治香織のギター、
英哲風雲の会の和太鼓、藤原道山の尺八。
三兄弟による狂言囃子。

アーティストごとの持ち分の完成度は前回より高まっていた。


でも、結成コンサートの時にぐいぐいと伝わってきた、
「新しいものを一緒に創っていこう!」
という全体の一体感がぽっかりと欠けているような、
そんな気がしてならなかった。


それぞれがゲストアーティストを呼んで作品をつくる、
というスタイルのせいか、
増上寺とサントリホールというハコの違いのせいか。

それとも、結成時の熱狂が過ぎ、
いざ具体的にやっていこう、となったときに、
各自のプロ活動で忙しい中、
芸やこだわりの違いが
改めて浮き彫りになったからか。


異分野コラボって、難しい。


最初は、いい。
全く違う経験と才能を持つ人たち同士が出会い、
互いに尊敬し、刺激を与えあう。盛り上がる。
でも次第に「やっぱり違う」ということになり、
結局ずらずらと並列させるだけの「コラボ」になって、
終わってしまうケースが多いように思う。

持っているものを合わせるだけでは、
いろいろ楽しめてよかった、という合作しかできない。
それぞれがいったん自分の持っているものを手放し、
そして無の境地で互いに真剣に向かい合った時に
新しい何かが生まれてくる。


ともあれ、「珠響」の歩みは始まったばかり。


時代の大きな変化を本能で感じとり、
それを表現しているアーティストたち。
困難を乗り越えてどんなものを創りだしていくのか、
彼らの感性と才能と忍耐を信じ、
観客の一人として長い目で見守っていきたい。
posted by まゆか at 04:43| Comment(0) | 観賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月21日

葉加瀬太郎

はじめて、葉加瀬太郎を
ちゃんと見てちゃんと聞いた。

NHKホールで開かれた、
「アコースティックコンサートツアー2008」
追加公演。

いやはや。

多才だ。

弾いて、話して、創って、プロデュースして。
舞台もそんな彼をそのまま表現するかのような、
才能あふれる共演者のエネルギーも加わって、
てんこもり、大興奮のスペクタクル。

多産だ。

情熱大陸は言わずもがな
葉加瀬太郎だと知らずに、
でもくっきりと脳に焼き付いている曲が
かなりあることを知る。

一番びっくりしたのは、
今まで何度乗ったかわからないANA。
その離陸・着陸前に流れる曲は
彼の作品だった。

曲が始まった瞬間に、
機内の映像、匂いなどが
まるでそこにあるかのような気分になる。
そして、長時間フライト後、
ようやくついてほっとする気持ち、やら
これからの滞在への不安、やら
旅が終わってしまったことのせつなさ、やら
会いたい人にもうすぐ会えるよころび、やら
これまでのいろんな感情がわきあがる。


音楽と心はとても近い場所にあるね。


3時間のコンサートが
終わったあとの気分は、
テーマ性も娯楽性も壮絶にレベルの高い、
ハリウッド映画を見た気分。

爽快。愉快。おなかいっぱい。
posted by まゆか at 02:18| Comment(2) | 観賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月19日

珠響〜たまゆら〜

にぶく光るオレンジ色の東京タワーから
ふと目を落とすと、
黒々とした寺の陣容が浮かび上がる。
妙に空が広く、夜なのにほのかに明るい。

土地の妖気を感じながら
寺の本殿へと進む。

お香が立ちこめ、
阿弥陀如来が蓮の向こうからみつめる中、
30代のアーティストたちによる
増上寺でのコンサート「珠響〜たまゆら〜」
が始まった。

増上寺のお坊さんたちによる読経で幕が開く。
音程が無いのに、それでいて、
全ての音を表現しているような。

和太鼓、ピアノ、尺八、ギター、お囃子。
そして人間打楽器(ヒューマンビートボックス)

和太鼓はいきなり魂をわしづかみされる感覚。
ピアノは音が情景となり頭に流れ込み、
尺八の音ではるか遠い昔の記憶がよみがえる。
ギターはお母さんの胸の中で安心しきった幼児の気分で、
お囃子はとにかくびっくり。
あんなリズムと音波が日本人の中にあっただなんて。
人間打楽器とピアノのコラボは
楽しくて笑い出した。

それぞれがそれぞれで素晴らしい中、
特に印象に残ったのが、
現代人にとっての日本の伝統音楽の前衛性。
音程もリズムも音域も
常日頃慣れている心地よい領域を
最初の一声・一音であっさりと飛び越える。

そしてその身体性。
太鼓もお囃子も
声がもう一つの楽器であり、
演奏している姿そのものがきりっと美しい。

伝統と今、東洋と西洋が混ざり合う
まるでゆらゆらとした夢のような、
まさに「珠響」な2時間だった。

そして何よりも、
同世代の人たちが、
自ら定められた道を究めつつも、
新しい形を模索し、
違う道の人たちと協働して
ダイナミックな世界観を創り上げていく、
その始まりに偶然にも立ち会えたことが
とてもうれしく、そして刺激だった。

次回は2009年2月15日、サントリーホールにて。
がんばってチケットをとろう。
http://www.tamayura-stage.com/
posted by まゆか at 00:25| Comment(4) | 観賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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