2011年01月24日

一緒なら

そこにあることは
ぼんやりと感じながらも
形にすらなっていなかった
自分の中の思い、夢。

仲間と出会えたことで
それぞれの思いが
輪郭を持った形となり
重なり合って、
現実のものとなる。

直感が確信に変わっていく。


一人ではできなくても
一緒なら未来を創れる。

一人ではあきらめていた夢を
一緒なら描ける。


Fellowship of the Journey to Create the Future.

約束の旅が、
いよいよ始まった。
posted by まゆか at 21:31| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月23日

What makes me human

人権って大切。

頭ではわかっていた。

でも正直言って
よくわからなかった。

どこか地理的に遠い国のこと。
地理的には近くても
政治体制が違う国のこと。
この国であったとしても
自分とは直接関係ないこと。


ホワイトシップ
Human Rights Watchのコラボ企画に参加。
“What makes me human?”という問いを
考え、描いた。


What makes me human.
私を人間たらしめているもの。


喜びも怒りも悲しみも不安も
感じるがままに感じられること。
それが私が人であるということ。


そんなことを思いながら
絵を描いていたら
突然腑に落ちた。

感じるがままに感じるなんて
まるで息をするための空気のように
当たり前だと思ってきたけど。

実は当たり前のことじゃない。
地球上の空気のように
たくさんの幸運と恵みがあって
初めて成り立っているもの。


I am blessed.

その祝福の豊かさに
自然と感謝の意があふれ出る。
涙が出そうになる。


人権ってつまりこのこと。
人が人たるための
空気のようなもの。

この空気がないのが
人権侵害。


短い時間だったけど
私の心のねっこと
世界がつながった。


いや、本当は
いつだってつながっているのに
忘れてしまっているだけ。
それが、描くという行為によって
ぐっと思い起こされた、
そういうことなんだろうな。
posted by まゆか at 01:08| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月17日

ルノワール - 伝統と革新

この間、会社帰りに、
国立新美術館で開催中の、
ルノワール−伝統と革新」展に
行ってみた。


うーん...

見終わった後、
ものすごく疲れちゃった。
通訳をしたかのような頭の痛さ。


なんでこんな疲れたのかな。

私は美術館に行くと、
まず作者の名前も解説も見ずに、
ただ絵の前に立ち、
感じるところがあればそれを堪能し、
何も感じなければさっさと次に行く、
という見方で楽しむタイプ。

あまりにも有名で、
世界中のあらゆる場所で見ているせいか、
正直、ルノワールの作品からは、
ほとんど何も感じなかった。

とはいえ、会場中ルノワールなわけだから、
さっさと次に行くわけにも行かず、
必然、絵から目を移して、
作品の名前を見たり、
解説を読んだりし始める。
で、ふーん、と納得したりする。

つまり「頭で」鑑賞した。
(すでにその時点でもはや
「鑑賞」じゃないかもしれない)
だから、えらく疲れたんだと思う。


それと、ルノワールの絵は、
解説のビデオを見ると、
その時の環境や心境によって、
新しい画風が作られている、
とか言ってたけど(だから「伝統と革新」)
いやあ、どうだろう。
素人目にはほぼ変わってない。

いろんな人の絵がある中で、
数枚彼の絵を観るぐらいなら、
きっと楽しめるけど、
これだけ、たんまり、彼の絵が続くと、
途中からかなり食傷気味に。

芥川龍之介の「芋粥」のような。


「絵はきれいなものでなくてはならない」と
ルノワールは言っていたという。
彼にとってそれは女性の美であり、
だから執拗にその美を表現し続け、
リウマチで絵筆が握れなくなっても、
筆を体にくくりつけてまでして、
亡くなる直前まで、
絵を描き続けていたそうだ。
それは本当にすごいことだ。


でも、個人的には、
ピカソのように、何の躊躇もなく、
がんがん画風を変化させていくタイプの、
アーティストが好きだなあ。

あと、それまでは
輪郭のくっきりした写実的な絵しか
観たことがなかった当時の人になって、
光をそのまま閉じ込めて
ぼやぼやさせたような
ルノワールの絵を観て、
びっくり仰天してみたかったなあ。

なんてことを、
痛む頭を夜風で冷やしながら思った。
posted by まゆか at 22:39| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月26日

Kiss

暖.jpg

多いときは月に1回、
最近では2-3ヶ月に1回程度。

ホワイトシップのワークショップで、
絵を描くようになって、2年弱。


最初の数回は、
図工教育によって長年にわたり、
入念に刷り込まれた
「絵は苦手」というトラウマから
抜け出すことで精一杯だった。

その後、無から有を創る、
自分の表現をする、ということが、
わかったような瞬間があって、
興奮してハイテンションになった。

いい調子だ!と浮かれていたら、
今度は、構図を工夫しようとか、
色をきれいに載せようとか、
うまい絵を描こうとする
打算的な考えが先走るようになる。

確かに最初の頃に比べれば、
「上手な」絵にはなっていったけど、
描いている間もどことなく心が乗らず、
描き終わった絵を観ても
あまり何も伝わってこない。

心を頭が邪魔をする。
ほどよくまとめてしまう。
その踊り場から、
なかなか抜け出せないでいた。


そして、先日のワークショップ。
テーマは「普遍」。

「普遍」って何だろう。
うーん、よくわからん。
イメージも沸かない。

でも、よくわからないけど、
「普遍」という、
個にとっても全体にとっても、
常に変わらない真実みたいな存在って、
頭で考えて捉えられるものでは
ないんじゃないかな、という気がしてくる。

だって頭って、
ちょっとしたことで揺れ動くし、
把握の限界があるし、間違えるし。

だったら、
どうせイメージも浮かばないことだし、
頭のスイッチを切って、
心を描く手と直接つなげて、
心から何が出てくるか見てみよう、と思った。

きっとそれが、
頭では認識していない、
私にとっての「普遍」。


手が自然と動くままに。
「この色を重ねたい」
「この形を描きたい」
という瞬間瞬間の、
創造の衝動に導かれる。


そして、できあがった。


とてもあったかい絵だった。
あったかい気持ちになった。
何人かの参加者が、絵を見て、
「お母さんが赤ちゃんにKissしてる」
という鑑賞の言葉をくれた。

こんなあたたかさが、
頭の中の雑音を消した時の、
自分の心から流れ出てきたのが、
とても嬉しかった。


無心の創造。
絵を通じた心との対話。


通算15回目ぐらいにして、
ようやく達した新境地。
posted by まゆか at 22:51| Comment(2) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月20日

"Disabled"?

先週末オフィスに立ち寄ったついでに、
ぶらっと丸ビルの中を歩いた。
2階の回廊のようなスペースに、
絵が展示してあるのが見えた。

ちょっとみていくか、と、
展示のほうに歩いていくと、
スタッフのような女性が、
「これは知的障害者の子どもたちが
描いた絵なんですよー」
と説明しつつパンフレットをくれた。

その時、横にいた連れが、
ぼそっと、つぶやいた。


「障害って、何だろう」


鮮やかな色とくっきりした輪郭の絵、
ものすごくディテールにこだわった絵、
こりゃあ、暗いぞー、という絵、
天才なのかずぼらなのか、
一筆描きで全く意味がわからない絵...

人の数だけ個性があり、
個性の数だけ異なる表現がある。
ただ描きたいから、
それだけで描かれた絵。


一つ一つ観ているうちに、
先ほどの言葉が頭のを回りだした。


障害って、何だ?


忙しさだの、社会的通念だの、
いろんな概念にふさがれて、
見えるものも見えず、
聞こえるものも聞こえず、
自分の表現もできない。

それだってある意味、
障害、なんじゃないかな?


何が"disabled"か、なんて、
定義できやしない。


ちなみに、彼らの描いた絵は、
Able Art、と呼ばれている。
posted by まゆか at 16:26| Comment(2) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月06日

アート?

オフィスでは、東京駅を一望できる、
大きな窓を独占させてもらっている。

青く広い空、
高層ビルに反射する夕焼け、
出入りする新幹線...

いつもいい気分で仕事できる理由の一つ。


でも、少し前から、
赤レンガの東京駅が、工事用の灰色の幕で
すっぽりと蔽われてしまい、
眺望がずいぶんと殺風景になってしまった。

どうやら簡単な工事ではなさそうだから、
しばらくこのまま灰色か、と、
とても残念に思っていた。


先日、アート関連の仕事をしている
ボスの友人がオフィスに立ち寄った。

「おー、角部屋だあ。明るくていいなあ」

そして窓の外を見て言った。


「ああ!これはクリストだ!
アートじゃないですか。わー、すごい!」


クリスト、というのは、ヨーロッパの
夫妻でやっているアーティストで、
とにかくいろんなものを大きな布で梱包する、
ということをやっているのだそうだ。

例えばベルリンにある
19世紀末にできた国会議事堂を布で蔽って、
ナチス時代の体制への反駁を表現した、
とか何とか。


確かに、言われてみると、
20世紀初頭にできた東京駅が、
ほぼ完全に布で梱包されている。


そうか、そうやって見方を変えれば、
アートだと思ってみれば、
この殺風景っぷりも、
逆に味わえるようになるのかもしれない。
知覚を変えれば世界は変わる。

...なんて思って、
今日つくづく眼下の東京駅を眺めてみたけど、
やっぱり、どう観ても、よくなかった。
美しくないものは、美しくない。

アートだと言い聞かせて観るアートって、
何か、語義矛盾しているし。


とはいえ、単に目障りなものとして、
視界から無意識に外していたものを、
全く違う見方があることを知って、
改めて意識的に視覚する、という経験は、
なかなかに新鮮だった。


ちなみに、クリスト夫妻の「梱包」作品は、
常に「これはアートなのか?!」という議論を
巻き起こしているらしい。

そりゃ議論したくなるよなあ。
だって、意味わかんないもの。
posted by まゆか at 23:10| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月06日

描き初め

s-芯.jpg

地に深く根を張って、
十分に準備をしてから、
地上への旅を開始。

もぞもぞと、
おずおずと、
竹の子として、
地上に顔を出す。

いったん地上に出た後は、
ただただ、すっくと、
まっすぐに天に向かう。
青い光を発しながら。


竹。


迷いもなく、
気負いもなく。
導かれるままに。
でもゆるぎない意思を持って。


今年は心に、
竹の芯を持って、生きる。



ホワイトシップ
「描き初め」ワークショップに参加。
タイトルは「芯」と名づけました。
posted by まゆか at 00:19| Comment(2) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月30日

完璧な符合 ver.2

アクセサリーデザイナーのともちゃんに、
二度目の依頼をした。
前回つくっていただいたのは、
夏らしい色と素材だったので、
今回は、秋・冬用、で。

こんな素材とデザインで、
というざっくりしたイメージを伝えて、
後は、ゆったりと待つ。
絶対に素晴らしいものができるとわかっているから、
待つのも、純粋にとても楽しい。


そして、出来上がった。
またもや、ビンゴだった。

ともちゃん、すごい。


メインのビーズをつなげる小さなビーズから、
微妙なビーズの組み合わせのバランスまで、
どういったものだと「私」らしいかを考えて、
少しも妥協せずに、つくる。

そのために何度も素材のお店に足を運んだり、
ちょっとだけ異なる組み合わせで、
何度も作り直してみたり。


インスピレーションも重要だけど、
それを実際のモノに落とすには、
ものすごい努力と完璧へのこだわりが必要。

「ま、これでいいか」という思いがちらりとでも混ざると、
少しずつ軌道がずれて、
最初のインスピレーションとは、
どうも違うものが出来上がってしまう。

逆に、すべてのプロセスで、
「これだ!」という確信を積み重ねていくと、
インスピレーション以上のものができたりする。

どんな仕事でも一緒、かな。


ともちゃん、ありがとう!
冬の装いが、ぐんと色づきます。
posted by まゆか at 23:24| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月14日

奇跡の夜

一つ一つ取りだしても、
大好きで素晴らしいけど、
いつもは人生の当然の一部として、
捉えていたことが、
同じ時間同じ場所に集まった夜。


大切な人々、
大切な絵、
そして、大切にしてきた思い。


それぞれの本来の美しさや力が、
ぐいぐいと引き出されて、
今と過去と未来が入り混じって、
この場所、この瞬間にしか起こらない、
化学反応が始まる。


これを、奇跡、って
言うんじゃないかな。


きらきらとした、
空気の塊が跳ねて、ぶつかって、
部屋が燦然と輝いていた。

もう二度とあの瞬間は創れないけど、
あの輝きは、いつまでも心に残り、
私にパワーを与え続けてくれる。
そんな気がする。
posted by まゆか at 18:07| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月24日

絵を観る

昔は、美術館に行っても、
全然楽しくなかった。

絵の前に立っても、何にも感じない。
でも「これはあの画家が描いたんだから
すごい絵のはずだ」と、
むりくり自分を納得させて、
記念に絵葉書を買って帰る。
買った絵葉書は引き出しの奥に眠ったまま。

今、すごく、絵を観るのが、楽しい。

お気に入りは、職場から徒歩10分の、
ブリジストン美術館。

ここ、かなり、すごい。
シュメール文明から現代アートまで、
かなりの量のコレクションを
惜しげもなく、常時展示。
しかも、人が少ないので、
じっくりゆっくり、自分のペースで観れる。

まずは誰が描いたかなんてまるで無視して、
無心に絵と向き合う。
向き合っても、そこに対話が起こらなければ、
さっさと次の絵へ。

ざわっと反応した後は、
もはや止められない、めくるめく妄想劇場。

絵の中の風景が動き出したり、
人物が会話を始めたり、
音楽が聞こえてきたり、
自分が絵の中に入り込んだ気がしたり、
その絵を描いている時の画家の気持ちが、
わかるような気になったり。

さらにじっと観続けると、
胃の辺りから言葉が湧き上がる。

今回の特別展示「海」のテーマ作品、
Zao Wou-ki 07.06.85を観て、
即興で創った詩。

zao.jpg

生まれた瞬間、
流れにのまれ、
前へ、次へ、
運ばれる。

そして、いつか、
ここに戻って、
また、生まれる。

永遠の、青の流転。
posted by まゆか at 01:02| Comment(2) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月06日

完璧な符合

ともこさん。
アクセサリーデザイナー。


初めて会ったのは1年ぐらい前。
オーダーでアクセサリーを作っていると聞いていたけど、
へー、優雅な仕事だなあ、
ほんわかした雰囲気のともこさんらしいなあ、
ぐらいの認識だった。

2ヶ月ぐらい前に、再会した時に、
「あれ」と思った。
漂ってくる空気が、なんか、違う。
足が大地にしっかりついている迫力。
それを天使が応援しているかのような輝き。

どんなに手間がかかっても、
採算があわなくて、ぎりぎりの生活を強いられても、
対面でのやり取りでのインスピレーションをもとに、
その人のために世界に一つしかないアクセサリーを作りたい。
その覚悟が体の隅々まで自然と行き渡っている感じ。


今のともこさんの作るアクセサリーは
商品ではなく、アートになる。


そんな直感がして、アトリエを訪問させてもらった。

最初は、ともこさんのこれまでの作品
いろいろ試しながら、
色やデザインの相談をしていた。
大体こんな感じかしら...と、
決まりそうになった頃、二人の視線が同時に、
エメラルドグリーンのビーズが入った棚に落ちる。


「...ね、これじゃない?」
「うん、私もそう思った」


それまで試していた作品だと、
ともこさんの作品があって、
その後ろに背景として私がいる感じだったのが
そのビーズをあててみると、
ぴたっと、はまった。
自分で言うのもなんだが、
引き出しにある時より、ビーズがきれいにみえた。


それから2週間後。
試行錯誤の末、出来上がった!との連絡が、
ともこさんから入った。

作品を見た瞬間、まさに思い描いていた通りで、
とてもうれしくなる。
つけてみて、さらにびっくり。


アクセサリーというのは、
こんなにまで自分と符合しうるものだったのか...


市販のものである限り、
どんなに気に入っても、
確かに似合っていても、
他にはないデザインであっても、
数%の違和感は必ず残る。

ともこさんが私のことを考えながら
作ってくれたアクセサリーは、
最後の数%のギャップを吹き飛ばし、
完璧に、はまった。

この「符合」感がなんともいえぬ心地で、
早速つけていった金曜日は、
やたらと仕事がはかどった。


オーダーした人のためだけに作られ、
オーダーした人がいたからこそ生まれた。

材料は人工ビーズだけど、
そこいらのパワーストーンなんかより、
よっぽどすごい。


でもきっと、
ちょっと昔の自分だったら、
今のともこさんでも、
この作品は生まれなかっただろうな。

人と人が真に出会った時に
アートは生まれる。
posted by まゆか at 06:28| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月07日

日本橋を思う

s-P1000310.jpg
雨は降ってたけど、
最高のGW最終日になった。

当初は、400年の歴史を持つ、
扇子の老舗「伊場仙」のデザインコンペにかこつけて、
「古きを思い、未来を描く」という、
結構大がかりな企画を予定していたのだが、
GW中にも関わらず直前に五月雨式に案内を出すという
段取りの悪さで、ほとんどの方の予定が合わなかったので、
内輪のメンバーによるお出かけ企画に切り替え。

私の敬愛する元ボスの旦那様で、
日本橋開発に深く関わる建築家の方に、
日本橋を案内してもらった。


これが、とにかくすばらしかった。
目からウロコ。


日本橋というのは江戸が出来たころ、
家康が全国から様々な商人を連れてきて、
彼らが街づくりをしつつ、
商いのベースを創り上げていった場所だった。
全国統一のためにつくった街道の始点であり、
当初は江戸といえば日本橋のあたりを指していた。
貨物は水上交通だったころ、魚市場も日本橋にあった。
「吉原」は今の人形町のあたり。


日本橋は、江戸の力と金と深く結びついた街。


それが明治政府になり、近代化が進む中で、
ある部分はおそらく意図的に、
ある部分は自然の流れで、
日本橋は中心から「外され」ていく。

そして日本橋に壊滅的な打撃を与えたのが、
1960年代の高度経済成長。

まずは日本橋の上にでんと横たわる首都高速。
そして、運河を埋め立てて作った昭和通り。
この二つが、景観を壊すだけではなく、
川をはさんでゆるやかにつながっていた、
日本橋地区を根元の所で分断した。

そして、日本銀行アネックス。
江戸城と日本橋地区をつなぐ常盤橋のふもとにあった
火除け地は、そのまま広場となり、
大手町地区から日本橋に空気の流れを作っていた。
そこをつぶしてどでかいビルを建てたことで、
空気の流れがぶつりと切れ、
日本橋は東京の中心からさらに切り離されることになる。

s-P1000304.jpg
[打ち捨てられた常盤橋...
江戸城の城壁も見える。
日本銀行の目の前、上を走るは首都高速]


高度経済成長の象徴、首都高速。
資本主義の元締め、日本銀行。

日本橋は日本の近代化によって、
切り刻まれてきた地だった。

日本がそういった判断をしてきたことを、
批判する気は毛頭ない。
土地には必ず新陳代謝がある。
権力の移動とともに、街の中心がずれるのも当然だし、
古いものがすべて素晴らしいわけじゃない。

でも、もうこれ以上成長なんてしなくていい、
というところまでたどり着いた今、
経済原理と伝統の美をはかりにかけた時、
伝統の美を取る心の余裕も生まれつつある今、
新たな形で、日本橋が変化していく転機に、
差し掛かりつつあるのでは、という気がした。


街の歴史の地層を、
そこに絡む時代の思惑を、
感じることができた、
何とも豊かな半日になった。


宇野先生、
本当にどうもありがとうございました!
ぜひ第二弾を企画させていただきたいです。
posted by まゆか at 19:48| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月05日

進化?

ほぼ一ヶ月に一度、
絵を描き鑑賞する
ホワイトシップのワークショップ
通い始めて、一年経った。

毎月あるテーマで描かれた
アーティストKuniさんの
森羅万象」シリーズの作品を鑑賞し、
そのテーマが自分にとって何なのかを考え、
そして自分も描く、そういう時間。


12作品12ヶ月なので、
先日ぐるっと一周して、
同じ絵をみて同じテーマで描いた。


「流浪」


去年は中学卒業ぶりに絵を描くということで、
頭がいっぱいで、Kuniさんの絵をみても
「鮭の卵」「川」という連想、
自分にとっての「流浪」も「波がうねる」ぐらいの、
具象的な発想でとどまっていた記憶がある。


57064dba.jpg
[去年の作品]


でも今年は、同じ絵をみても、
感じ方が全然違う。
まるで自分がその絵の中の登場人物のような。
具象を介さずに直接感情が揺れ動く。
「流浪」をテーマに絵を描くときも、
自分の人生を思い起こしながら、
その思いを指先に込めながら、
丁寧に描いていった。


つらいこともかなしいことも、
流されて自分を見失うことも、
いろいろあった。
でもそれを経て、ようやくここまで来れた。
その積み重ねの一つ一つが、奇跡。


aa2acb83.jpg
「人生の虹色の跳び箱」(By Kuniさん)


あと、自分の変化はともかく、
ワークショップの参加者の方の、
自分への向き合い方、表現の豊かさが、
この数ヶ月間、それまでとはまるで異なってきた。

以前はどちらかというと
「久々に絵を描いて楽しかった〜♪」
というのりだった気がするが、
最近は、考えの真剣さが、深さが半端ない。
作品も、やばい。まじ、すごい。
ほとんどが初めて参加される方ばかりなのに。

鑑賞し、描く、というただそれだけの、
ワークショップの3時間のあまりの濃さに、
終わるといつも体中の細胞が
酸素過剰と興奮でぶるぶるする。


何かが確実に、新しい時代に向けて、
変わりつつある。
posted by まゆか at 10:23| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月23日

「ただ、導かれるままに」

d08aa756.jpg

「蘇生」というテーマで、
絵を描く。


蘇生。


一回死んで、
そして生まれ変わる。

全てを捨てて手放して、
なんにもなくなって、
真っ暗になって、
そうして初めて、
新しい生が始まる。

死ぬんだから、
もう失うものはない。
怖がらなくていい。


そんなことを思いながら、
パステルを動かし始めたら、
いろんなことが、
どうでもよくなってきた。

どんな色を混ぜようと、
どんな形になろうと。

ただ、指が動くままに、
思いつくままに、
色を乗せ、形を加える。
プロセスそのものを楽しむ。

自分で自分を縛っていた
いろんなルールやこだわりが、
ぼろぼろと取れて、
身が心が、軽くなっていく。

出来上がった瞬間、今度は
その絵へのこだわりが、消えた。

前においてみると、
まるで誰かが描いた絵のように
見えてくる。

いつもなら、
他の人の作品とともに前に飾ると
よくできた、と思った日は、
なかなかだわ、と心の中でにんまりし、
いまいち、と思った日は
人の作品との比較で
しょんぼりしていたのに。

どうぞ、煮るなり焼くなり、
お好きにどうぞ、という気分。

もうそこに、私はいません。


描く、という
ほんの小さな勇気が、
こだわりや恐怖を吹っ飛ばした。

なくなったっていいじゃない。
壊したっていいじゃない。

だって、人はいつだって、
また新たに創り出せるんだから。

===============
12月18日(木)
ホワイトシップ ワークショップ
「蘇生〜Rebirth〜」
===============
posted by まゆか at 22:20| Comment(2) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月04日

「いつもそこに」

rising_112008.jpg

くねくね曲がる人生の道。

急な坂もあれば、
あと一歩で落っこちそうな急カーブもある。
落石だって落雷だって降ってくる。

道に迷って、
気づけば日が落ちて真っ暗。
おまけにぐんぐん気温が下がる。

寒いしおなかもすいてきた。
自分がどこにいるのかわからない。

行けども行けども
街の光は見えない。
闇が体に滲み込んでいく。


もう、だめだ。


そんなとき。

ふっと自分の掌の中に
ほのかに瞬くあたたかな光があるのに気づく。

なんだ、ここにあったんだ。
自分がもってたんだ。

希望のともし火。

それはさりげなく、でも確実に、
道を照らしてくれる、
心の道しるべ。



=====
株式会社ホワイトシップ
Vision Workshop

11月20日「希望 〜Rising」
=====
posted by まゆか at 02:05| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月14日

ピカソ雑感

サントリー美術館で開催されている
Picasso展に行った。

見終わった感想。


...こわかった。


特に晩年、ジャクリーヌという二番目の妻
(愛人としては何番目かはもはやわからない)と
隠遁の生活に入り、
一年に167枚も描いた、という時期の作品群。

その中に何枚かあった「子供」の絵。
恐ろしいほどに醜い無邪気さ。

見ていると足の底から寒気が上がってきて、
こんなおぞましいものから早く目をそむけたいのに、
でも目は絵の上にからめとらめたまま
一歩も動かない。
そのうちに寒気は胸に到達して
呼吸さえも苦しくなる。

亡くなる直前に書いた自画像。

目はぽっかり時空にあいた底なしの沼のようで、
どこに行ってもその目がこちらを見ているような、
その目からあらゆる混沌がこちらに押し寄せてくるような。

お化け屋敷に入ったら、
本当のお化けに会って冗談じゃなく怖かった、
そんな感じ。


そして、絵そのものから一歩離れて、
彼の人生を作品の変化とともに眺めて思ったこと。


オフィシャルには、最初の妻オルガに続く
二番目の愛人、マリー=テレーズ。
彼女は彼の新たな創作意欲の源となり、
50歳を前にしたピカソは、
物事の要素を分解して、
一旦自分の心のブラックボックスにいれて、
でてきたものをまた組み合わせ、
それを妙に明るい色彩で描く、
というようなはちゃめちゃな画風になっていく。

これがまたすごい。

「君は僕のインスピレーションだ」とかなんとか言うから、
モデルをやってみると、
できあがった作品は、顔と体がばらばらで、
顔は青くて腰は黄色だったり。

作品を見て、度肝を抜かれただろうなあ、
17歳のマリー=テレーズさん。
「え、これが、私なの?!」

でもようやくそんなピカソの絵にも慣れたころには、
彼の作風はもう別人のように変わりつつあり、すなわち、
彼にはすでに違う「君は僕のインスピレーション」の女性がいる。

変わり続ける人、表現し続ける人のパワーは
この地球にくっきりと跡を残し
時代を超えて人の心に届く。

でもそのパワーに直接巻き込まれ、
作品となってそして捨てられた女たちは。

この人と一緒にいても「普通の幸せ」なんてくるはずがない、
と本当はわかっているのにそれを求めてしまい、
求めるほどに相手は逆に遠ざかり、
狭間で苦しみに悶えたのだろうか。

それとも、ピカソという存在とそのアートを愛し、
彼自身の中の変化と共に、自分のもとを去っていくのも
同時に他の誰かと付き合うのも、
身を切られるように傷つきながらも、
深い理解とともにすべてを受け入れたのだろうか。

彼女たちの気持ちを思うと、深々と切ない。

一方で、たとえ短い間であっても
あれほどの表現者とともに過ごし、
その作品の一部となったというのは、
壮絶に激しく美しい時間だったんだろうなあ、
なんて思ったりする。

たくさんの思いが押し寄せた
アート鑑賞になった。
posted by まゆか at 20:37| Comment(3) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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