2013年07月17日

幸運

「すずかん」こと、すずきかん(鈴木寛)さん。

楽天の三木谷さんとか、野球の古田選手とか、
影響力が大きい方々も含め多くの人が応援を表明している中
私ごときが何を言おうとあまり関係ないのはわかってるけど、
でもやっぱり、ちょっとだけ、書きます。

私のまわりにはすずかんさんの盟友・教え子たちがいっぱいいる。
長い時間をともに過ごし、
未来のために共に活動する彼らと比べたら、
何回か、ほんのかする程度、の接点しかない。
でもそのかすった時のことは、すべて色鮮やかに覚えてる。


最初に会った、というか、知ったのは、
すずかんさんがはじめて出馬した選挙の投票前日。
新宿駅東口で、オレンジ色のTシャツを着た
たくさんの若者たちと一緒に「つばさをください」を歌っていた。
へー、若者がこんなに真剣にサポートしている人が
政治家になるとしたらすごいな、
いい時代になってきたな、と思った。


次は、友人数名を含む大学生50名+政治家
という仕立ての、朝まで生テレビ。
(つまりかすったどころか、画面越しで見てただけ)
政治家になりたて、初々しさあふれるすずかんさんが、
最後に一言、と言われて、
「いのちを大切にする」みたいな感じの本質的なメッセージを
一生懸命発信しようとしているところを、田原総一郎さんに
「鈴木さん、それじゃわかんないよ」とばっさり。
ああ、本質的なほど、深いほどに、
わからん、難しい、といわれる世界なのだな、と心が痛かった。
こんなに純粋でまっすぐで、
政界でうまくやれるのだろうか、なんてことを思った。


2008年。すずかんさんと友人二人が共催で
シリーズの勉強会を開始。私は受付を担当していた。
すずかんさんはいつもひょいとやってきては、
熱っぽく話をし、会が夜10時ぐらいに終わると
神保町の夜道をとことこと歩いて帰っていた。
あの後姿、なんかよく覚えている。

その勉強会の夏の合宿企画では、
夜、みんなが座敷で車座となっておしゃべりしていたが、
まあ、すずかんさんの付き合いのいいこと。
日々の激務をぬっての参加で、誰よりも疲れているだろうに
誰よりもアツク、語っていた。
散会後の夜明けの男子風呂でもまだ語っていたらしい。


そして民主党政権となり、文部科学省の副大臣となる。
教育関連の部会に所属している知人の政治家から
「すずかんさんが副大臣になられてから、
文部科学省の官僚たちが、すっごいやる気を出して
よい教育をつくろうと、今までに無いぐらい
文部科学省が盛り上がっている」と聞いた。

朝生で田原総一郎さんにやり込められて
しどろもどろだったすずかんさん。
ここまで来たんだな、と、向こうはこっちのことを
ほとんど知らないのに、勝手にうれしくなる。


そしてそのころの話。
パレスチナ大使の公邸にお邪魔する機会があった。
すずかんさんも最後のほうに顔を出された。
帰りはJR山手線。躊躇なく電車に乗りこむ。同じ方向だった。

結構混んだ電車、立って揺られながら、ふつーに話をした。
あんまりにも自然だから、こっちも友達か同僚と
おしゃべりしているような気安い気分になってくる。
そして、「あ、自分の駅だ、さよなら」といって降りていった。
ふつーすぎて、おしゃべりの内容、覚えてない。

降りて行ったあと、
「あれ、そういえば副大臣だったよね」と思い出して
その圧倒的なえらぶらなさの衝撃がじわじわとやってくる。


権力欲だとか支配欲だとか、そういうのが見事なまでに無くて
よい未来を創るために、自分のいのちを削ってでも
何かにつき動かされるかのように動いている人。

わかりやすい票にはまるでなりそうもない、
でも未来には必要なことを、やり続ける人。

そういう人が政治家であることの幸運、
これを手放してはいけないって、強くつよく思う。


私は政治には少なからぬ拒否感を持っていて、、
ポップに罪悪感をかきたてる
「若者よ、選挙に行こう」ムーブメントも
正直なところ、ちょっと苦手。いや、かなり苦手である。

でも、すずかんさんみたいな人が政治家であり続けてほしいから
今回の選挙は、たぶん生まれてはじめて、
投票しなくちゃいけない、じゃなくて、
投票したい、で行く選挙になる。
posted by まゆか at 16:17| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月13日

教育

【twitterで書こうと思ったら
思いっきり字余りになったので
久々にブログです】


「教育」というものに
かなり関わる生活になってわかったこと。

教育とは人の人生を一時的に預かること。
ちょっとした発言、やりとり、機会の創り方で、
その人の人生は本当に変わるということ。


その重みが知らず知らずの間に
ずっしりと乗りかかり、
経験のない私は、あっと思った時には
すでに心身ともにへたってしまっていた。


こんな教育の場を日本の大学で提供できれば、と
今まで夢見てきたことが驚くほどに
様々な奇跡の連続で
自分たちの手で現実のものになっているのに...
喜ぶ元気もなく、ただただつらくて、
空気の抜けた風船みたいになってしまった。

ぐんにゃりした自分に
猛烈な自己嫌悪を覚え、
さらに気分は落ち込む一方。


そんな時、これぞ真の教育者と
心から尊敬している人からこんな言葉がメールで届いた。


Education takes time --
sometime relentless demands
but never disappoints our future and
potential that each of our student possesses.

教育には時間がかかる。
時には非情なまでの仕事量となる。
でもそれは必ず私たちの未来へ
そして生徒一人ひとりが持つ
可能性を開く扉へとつながる。(意訳)


そう、そうだった。
自己へのこだわり、
自己嫌悪に目をふさがれ
何でやっているのかすら、
見失いかけていた。

すべては未来のため。
人の可能性の開花のため。

それだけを信じて、
それだけを願って、
やれるだけやれば、それでいいんだ。
できないことはできないでしょうがない。


へたっていた心に、ぽっと光が燈った。
そうしたら体も少ししゃんとした。


本物の教育者って何となく宗教者に近い気がする。
愛があふれていて謙虚で真摯で。
その人の周りに自然と人が集まり一時的な共同体ができ、
そこで学んだこと、育まれた絆から力をもらいながら、
またそれぞれがそれぞれの人生を歩む。

そんな人々と共に場を創れる奇跡に感謝しつつ
日々をちゃんと積み重ねていきたい。
その先にある未来を、大切にしたい。

(これをやってます↓)
東京大学Global Health Leadership Program
posted by まゆか at 23:32| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月16日

Pray for us. Pray for the future.

The biggest earthquake in Japan followed by the catastrophic tsunami – this is already enough, killing tens of thousands.

Then nuclear power plants have experienced explosions one after another, putting us in a great fear of nuclear contamination.

In addition, aftershocks never stop, moving places all over from north to south – the latest one happened in Shizuoka, west of Tokyo, near another nuclear power plant.


Why are so many disasters happening at the same time? Are we tested our limits?

Is it a consequence of us being too greedy, building a society to realize every kind of our material desires?

Is it a consequence of us being too arrogant, thinking that human beings can control nature including its powerful secret of the universe, nuclear energy?


It may be.

But even if it is, it is not guilt of those who lost their lives by tsunami, who are desperately hoping for the safety of their loved ones, who sacrifice their lives to prevent the disaster at the plants, or those who are having sleepless nights under fears of nuclear contamination.


Please, do pray for them.

Pray for us.

With your prayers, please let us believe that we still have a bright tomorrow.

And when things settle down, please work with us to rebuild a future – a future where we have few wants but feel rich.
posted by まゆか at 01:41| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月07日

始めてみる

何かと本気で腑に落ちないと
物事ができないたち。

みんなやっているから、とか、
今はやりだから、とか、
とりあえず、とか、
そういう軽さが、とにかくない。

よって、
twitterもFacebookも
気になりながらも
放置していた


一番の気がかりは
コミュニケーションが
どんどんぶつ切りになって
多層化して
自分までぶつ切りになって
多層化したコミュニケーションの波に
のみこまれておぼれてしまうのでは、
ということだった。

もともと気が散っているのに
これ以上気が散ったら
ちゃんと考えたり書いたり創ったり
できなくなりそうで。


でも、節分をすぎて、
潮目が変わった。

いろいろやっていることが
実際に立ち上がり始めたので、
そろそろ創りながらも
同時に発信することを
それも日本だけじゃなくて海外に対しても、
やる時期になってきたような
そんな感覚がふいに沸いて
その勢いでFacebookを開始。

実に最初にInvitationをもらってから6年。

ついでにtwitterも開始。


今日は初日ということで
どっときたコミュニケーションの量に
完全に圧倒されて、
すでになんだか車酔いしたような
気分になってきたけれど、
自分なりのペースで
のまれないように、
少しずつ体を慣らしながら
やっていきたいと思います。
posted by まゆか at 00:32| Comment(1) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月16日

名前

日本人の名前って、
すごく凝っている。

いろんな音があって
漢字があって
組み合わせることで、
ものすごい場合の数になって
その上、画数をどうするかだとか、
時代に合うかどうか、とか考え出すと
もう大変なことになる。

自分には経験はないけど
聞く限りにおいて
多くの人が自分の子供には
ものすごい時間をかけて
心を込めて名付けてる。


でも、アメリカの名前って、
非常にシンプルだ。

女の子なら、
サラとかジェニーとか
キャサリンとかナンシーとか。

男の子なら
マイケルとかジョンとか
ジェフとかポールとか。

正確なところはわからないけど、
男女それぞれ、
せいぜい50ぐらいの
パターンしか
ないんじゃないだろうか。


私の行った大学院は
国際色豊かだったので、
非アメリカ勢により
名前のバリエーションが
一気に増えていたけど、
それでもジェフもデイビットも
サラもジェニーも何人かずついた。

きっとあの国の人たちは、
他にはない唯一性みたいなのを
名前の中には求めていない。


それは単に
仮名と漢字があって
しかも漢字の読み方も
いろいろありえて、
という日本語と、
アルファベットしかない英語という
言語の違いなのか。

それとも、人なんて
それぞれが圧倒的に違って
唯一無二なんだから、
名前なんて一緒だろうと
違おうとどっちでもいい、
とアメリカ人は思い、
ずっと島国で、
植民地になったこともなく、
似たような姿かたちの人が
いっぱいいる日本では、
せめて名前で差別化しよう、
という潜在意識が働くからか。


中国はどうなんだろう。
インドは?ブラジルは?
ケニアは?フィジーは?

そういえば日本だって
昔、子供がたくさんいた時代は
一郎、次郎、三郎みたいに、
さくっと名付けていたんだった。


言語や宗教、歴史、
人口や人の捉え方、
みたいなことが
入り交じって、
国によって
時代によって、
名前に関する考え方が
変わってくるんだろうなあ。


それをいうなら、
いつから、人は子供に
名前を付け出したんだろう?
posted by まゆか at 21:54| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月12日

上乗せ

ビルの前で
エンジンをつけっぱなしで待つ
黒塗りのハイヤー。

どこかの会社の
えらい人が乗る
社用車だろう。


これって、たぶん、
効率的経営の観点から見たら
むだ、の部類に入る。

個人的には、
専務以上には当然のように
専用の社用車がつく、
とかいう会社より、
次期社長の方が、
わいわいごはんを食べた後に
「ではー」といって、
人混みの中をJRの駅に向かって
てくてく歩いていく(実際の話)、
みたいな会社のほうが、好きだ。

でも、全部の会社が
経費を切り詰めて、
むだをそぎ落として、
必要なことしかやらない、
ということをやったら、
どうなるんだろう。


むだ、があるから、
「必要」以上にお金を払う
人や組織があるから、
そこを支える産業が成り立ち、
雇用が生まれ、
消費へとつながり、
さらなる産業、雇用を創り出す。

ちょっとした上乗せ、
があちこちでなされるからこそ
社会は全体として、
潤滑にまわるようになる。

部屋に花を飾ると
心まで少し明るくなるように。
花なんて部屋の機能としては
全く必要ないのに。


同じように、それぞれが、
ほんのちょっとだけでも
気持ちを上乗せして
まわりに返すように心がけると、
社会のめぐりもまろやかになる。

具合が悪くなっている
通りがかりの人を助けたり、
掃除のおばさんに挨拶したり、
目の見えない人に
少し肩を貸したり。


だからといって、
バブル期みたいに
ドンペリとブランデーを混ぜて
バケツ一杯100万円、
みたいなむだも、
社会の潤滑油となる上乗せ、
かというと、
それはなんか違う気がする。

同様に、
あまりにも無理して
人助けをしようとしたりするのも、
きっとなんか違う。


お金も気持ちも、いや、
お金も要は気持ちかもしれないけど、
自分の心にとって、
組織にとって、
無理のない範囲での上乗せであれば、
社会の血行をよくする、
ってことかもしれないな。


はて。

ハイヤーは
潤滑油なんだろうか。

それとも、
バブル期のカクテル、
なんだろか。
posted by まゆか at 17:16| Comment(2) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月19日

宿題

あれれ。
そういえば。

8月の終わりまでに
本業以外で、
やるはずだった仕事っぽいこと。


ひい。ふう。みい...
よん...ご?

うう。結構ある。
しかもどれも、
一つ一つが、
かなりボリューミー。


8月ってなんとなく
学生の頃の感覚で、
いつもより時間があるような気がして、
ほいほいと8月中にやりまーす、
みたいなこと言ってたけど。

そもそもまとまった夏休みは
とってないし、
小旅行、夏のイベント的企画が
ぽこぽこ入っている。

そうか、普段より
とりわけ時間がある、とか、
そんなのは幻想だった。

その上、どうしても、
休みだ、という感覚にふんわり包まれ、
気持ちがしゃんとしない。
あ、これはいつものことか。


夏休みの宿題を
8月も半ばを過ぎたあたりに、
ようやく改めて眺めてみて、
その量の多さに
いまさらどきっとしている
中学生みたい。


いくら暑くても
季節の変化は正直。
もう蝉はその時を終えた。
夜は秋の虫の音が響いている。


夏の終わりが、近づいている。


ああ。終わるんかいな...

しかたない。
締め切り引き伸ばし作戦、開始だ。
posted by まゆか at 23:43| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月16日

不穏

ちょっと、暑すぎない?

猛暑、というよりは、
妙にへんな暑さ。

気温がやたら高いとか、
湿度の高さが加わって
不快指数が増す、とか、
そういうレベルじゃ
もはやない感じがする。


これはやばい。
このままいくと、
本当にやばい。

空気の叫びが、警報が
びりびりと伝わってくる。

不穏な感覚が
カラダをかけめぐる。


人間の自分勝手な活動を
ゆうゆうと飲み込む
自然の懐の深さも、
もはやこれまで。

最後までふんばっていた
バランスのたがが
外れてしまったような。


冷房は28度に設定しましょう。
電気はこまめに消しましょう。
ペットボトルはリサイクルしましょう。

そんなちまちまとこつこつと
省エネしたところで、
CO2削減に励んだところで、
とてもこれは追いつかない。

大体そんな精神で
今日みたいな日に
世界のために、とかいって、
冷房を切ったりしたら、
即熱中症だ。いのちだって危ない。


電気の供給の仕組みを
丸ごと変えて、
いくら人が使っても、
地球に負荷をかけないような
根本的な設計のし直しを
しなくちゃいけないんじゃ
ないんだろうか。

そのための技術は
人類はすでに全て、
手にしているだろうに。


こんなこと、
ぶつぶつ言ってても、一ミリも
世界はよくならないんだけどね。

いやあ。暑い。
やばいって、これ。
posted by まゆか at 21:09| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月13日

ある日の天使

それなりに前のこと。

そう、あれは、
ワールドカップで、
日本がデンマークに勝った
次の日だった。


外でのミーティングの帰り、
夕方ごろ、電車に乗った。

あいている席に座ってから、
横のおじさんが、
ホームレスっぽいことに気づく。
軽く異臭がして、
ちょっと酔ってもいる。

これは立って他のところに
行こうかなあ、
でもそれはあからさまかしら、
座っちゃったし。どうしよう。

なんてことを
ぐるぐる考えてたら
前の席に、制服を着た
ちっちゃな男の子が座った。
6歳ぐらい。

手に、紙で作った
サッカースタジアムを持っている。
日本、デンマークという
文字が見える。


それを目にしたおじさんが
うれしそうに男の子に話しかける。

「ぼうや、それ、
日本が勝った試合、作ったんか」

その後、堰を切ったように
日本・デンマーク戦のことを
話し始める。

本当にサッカーが好きらしく
いろいろと話しまくっているが、
全体としては、
はっきりいって支離滅裂。


うわー、おじさん、
とまらないよ。
わけわからんよ。

私はなるべく
関わりを避けようと
視線を落とした。


男の子は大丈夫かしら、と、
こっそり前を見ると、
その子は特に動じる様子もなく、
この人よくしゃべるなあ、
みたいな顔して、
まっすぐにおじさんを見つめている。

そして自分が降りる駅がくると、
すっと立ち上がって、
しゃべり続けているおじさんに、
にこっと笑って言った。


「でも、とにかく、
日本が勝ってよかったね」


ものすごく、はっとした。

自分が恥ずかしかった。


私はそのおじさんと自分との間に
線を引いた。
自分とは違う人だからと定義し、
世界が交わらないよう、
壁を厚くした。視線をそらせた。

あの子は、壁を作ることもなく、
無理にわかろうとすることもなく、
おじさんに、
ただただそのまま向かい合った。

最後には、
おじさんもその子も
おそらく共通に抱いていた
あの試合への思いを
言葉としてさらりとおいていった。


「勝ってよかったね」


なんとなく
ぎこちなくなっていた
車内の空気まで、
ふっとやわらぐ。


自分も誰も、
あれくらいの年の頃は
自然といろんなものに
つながっていたのかな。

それともあの子が、
天使だったのかな。
posted by まゆか at 23:23| Comment(2) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月30日

もどかしさ

なんだかなあ。


自分はどうありたいか。
自分は何をしたいのか。

大体の感覚はつかめてきたと
思ってたけど。

まだまだ、だ。


外からの刺激で
すぐふらふらする。
あっちへ、こっちへ。

はっきりとわかりやすいものが
提示されると、
心の根っこの近くにあるけど
まだよわよわしいものを、
簡単におざなりにしてしまう。


一つ一つ行動におとし、
日常に組み込んでいかない限り、
ちゃんと自分の中に
根を張っていかない。


どうしてこんなに、
時間がかかるんだろう。

どうしてまだ
未来の自分や環境の変化に
期待しちゃうんだろう。


自分にあるのは、
今の自分だけなのに。

もう、やるだけなのに。


自分がもどかしくて、
情けなくて、
泣きたくなる。
posted by まゆか at 02:25| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月24日

怒る、ということ

怒る、ということを
考えてみる。


ちょっとむっとしたり、
違和感で心がざわついたり。
日常茶飯事の小さな怒り。

風が吹いてくれば、
日差しに当たれば、
心のざわさわも、
日々の流れの中に溶けていく。


怒っているけど、
本当はかなしんでいる、
という怒りもある。

怒りながら泣いてしまうような。

この種の怒りのほとんどは
特定の誰かとの間の
関係性の中で出てくる。

やるせない気持ち。失望。
自分の内側に降りてくる、
ネガティブなパワー。

深く息を吸ってはいて、
心を静かに強く保つ努力をする。
怒りが発するパワーに、
体ごと飲み込まれないように。


そして、滅多にないけど、
まじで、純粋に
怒るときがある。

体中の細胞がどっと沸騰して
蒸気がすごい勢いで
外に向かって出ていく。

もしかして、私、雨ぐらい
降らせられるかもしれなくてよ。

相手がどうとか、
関係性がどうとか、
そんなことはふっとんで、
自分というものが
むくっと立ち上がって叫ぶ。


どんなにちっぽけでも、
どんなにくだらなくても、
これは私の人生。

わけわからなかろうが、
なんだろうが、
私は生きて、
ここに立っている。
存在している!


もはやそれは
怒りというよりは、
自分の存在を、
尊厳をかけた
世界に対する所信表明。

怒ることで
逆に地に足がつく感覚。
posted by まゆか at 13:24| Comment(2) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月11日

嵐の後

しばらくブログから
遠ざかっていた。


ボストン出張直後から
日本にやってきた先生と一緒に
関東各所と長崎を
インタビューツアー。
途中にイベントもやり、
毎晩ディナーもあり、
朝から晩まで人の話を聞き、
考え、議論し、通訳してた。

自分の中をただひたすらに
人の言葉や思いが通過して
自分の言葉が
ふわっと顔を出す余裕など
とてもなかった。

しかもそれと同時平行して、
今までにないほど、
強くそして意識的に
自分のこれからの生き方を
考える状況がどすんと訪れて、
ちょっとでも残った元気は
心との対話に振り向けていた。

それと、
書かないことが習慣になると、
書くことがやたらしんどくなり
ますます書かない、
という筋力の衰え的な
要素もあったと思う。

ちょっと走らないだけで、
走るのがつらくなるように。


もろもろすべてが、
今、ちょっとずつ
落ち着きつつある。


嵐の後。


嵐はいろんなことを
気づかせてくれた。

いや、もともと自分で
気づいていたことを
よりくっきりした形で
私の心に刻んでいった。

台風の後の砂浜に
ものが打ち上げられるように。


なんというか、
大変遅ればせながら、
人生の本番を
これから始める感じ。いよいよ。


リハビリっぽい状態が
しばらく続くと思うけど、
でも、これからもまた、
自分の言葉を、よちよちと、
綴っていきたいと思います。
posted by まゆか at 03:21| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月24日

うねり

何かに対して
能動的に取り組み始めると
その何かだけではなく
他のことに対しても
さざ波のように影響が広がる。

さざ波はそしてうねりになって
人生があらゆる局面で
ダイナミックに動き出す。

もう少し順番に並んで
これができたら次、とか、
してくれたらいいんだけど...
なんていうちっぽけな私の叫びなど
聞こえちゃいない。


うねりになってしまったら、
もう、とにかく、いっぺんにくる。
どどーんと。


こういう時のために
もっと余裕のある時期に
ちゃんと考えておけばよかったー
できることはやっておけばよかったー
と思うけれど、もうしょうがない。

たくさんのことが同時に
渦となって加速していく。
真のメッセージも雑音も
すべての音量が大きくなる中で
頭をクリアにして
もてうる限りの集中力を動員して
必死で心の声に耳を澄ませる。


聞こえそうで聞こえない。
わかりそうでわからない。
でも本当は、ちゃんと
聞こえてわかってる。


どうか、力をください。
私が私であるために。
posted by まゆか at 01:53| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月09日

思いの束

実家に帰った際に、思わず
手紙の引き出しを
あけてしまった。

この15年ぐらいの
さまざまな人からの
さまざまな思いが
かすかなほこりの匂いと共に
心をじんわりと取り囲む。


息ができなくなったた時。
励ましと思いやりを
ただただ与えてくれた人たち。
なんとか生きていくうちに
受け取ったことすら、忘れてた。

高校卒業を前に、
滑稽なほど真剣に
みんながみんなに
それぞれへの思いを手紙にした。
まるで別々の人生を歩いてる。
もうどうやっても会えない人もいる。

調子に乗っている年も
もがいている年も
ぶくぶくと太った年も
激やせした年も
びっしりと言葉の詰まった
誕生日のカードが届く。
目の焦点を合わせる前に
その人の筆跡だとわかる。
そのありがたさ。尊さ。
これまでの月日のいとおしさ。

その時々の友人が
世界の各地から送ってくれた
数々のポストカード。
異国の地のざわめきや風景が
彼らの興奮と共に
時と距離を超えて伝わってくる。


たくさんの人の思いに
生かされて、ここまできた。
そして、これからも。


あったかくて、
切なくて、
そしてちくりと胸が痛む。
posted by まゆか at 09:02| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月05日

潤滑油?

とても疲れていて
一分でも早く寝た方が
いいとわかっているのに、
何となくぐずぐずと
何度も読んだ本を読み返したり
眠るでもなくぼーっとしたり。

こういうどうでもいいことを
している時間をかき集めると
結構な長さになるはず。


寝るべきときはさっさと寝て
次の日に備えるとか、
起きているなら、
ためになる本を読むとか、
勉強するとか仕事するとかして、
どうでもいい時間を
「生産的」な時間に変換していければ、
もっとばりっとした生き方が
できるのだろうか。

このあたりで
「差」ができるのだろうか。


それともこういう時間が
実は人生の潤滑油みたいな
役割を担ってたりするんだろうか。


...というのは、
私の希望的観測。
posted by まゆか at 08:58| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月28日

相談

相談に乗る、
ということの意味を
時々考える。

要は、話を聞く、
ということと、
ほぼイコールだと思う。


では、ただ話を聞いて、
うなずいていればいいのかというと、
そうではない。
もちろんそれだけで
十分な場合だってあるけど。


話を聞く際に、
こちらがどれだけ、
透明でいられるか。

目の前にいる人の
思いや行動に対し、
自分のものさしを
持ち込まないで、
向かい合っていられるか。

そうでないと、
真剣に「聞く」ことって、
できない。
その人の心の声に
耳を澄ますことはできない。


これまた最近よく思うのだけれど、
いろいろとぐるぐるした
経験を重ねるにつれ、
何を聞いても大概のことには驚かなくなり、
よって、人に対して自分の判断とか
良いだの悪いだのの判断を加えなくなり、
より純粋に人の話を聞くことが
できるようになった気がする。

そんな心で向かい合っていると、
相談を持ちかけてきた人は、
自分の心の中にすでにあった
答えの存在に気づいて、
(といっても正しいとか
間違っているという意味での
「答え」じゃないけど)
迷いの状態から自然と、
抜け出していく。
もしくは迷い自体を
そのまま受け入れていく。


散々人に迷惑を掛けて
自分もしんどい思いをしながら
ここまで歩いてきたけど、
そのおかげで、
たまには人様の役に立つことも
あったりするなら、
まあ、よかったのかなあ、なんて思う。


人生、捨てたもんじゃない、というか、
人生、全てに意味がある、というか。


別にいちいち経験しなくたって
十分に賢くきちんと生きている人は
世の中にたくさんいる。
でも、私の場合は、経験しないと
学ばないタイプだったんだから
もうしょうがないじゃないか、という感じ。

って、前も同じことを
書いたかもしれないけど。


雨の音の中、
どことなく、自省的な、夜。
posted by まゆか at 00:28| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月18日

似て非なるもの

12歳の頃から踊っているので、
それなりに体は柔らかかったけど
2年ぐらい前に足を痛めてから
メンテナンスを怠り、
かなりがちがちになった。

一度がちがちになると、
ストレッチをやろうとしても、
痛いし苦しいし、で、
5秒ぐらいで嫌になり、また怠ける。

やらなきゃ、と思うほどに、
逆にできなくなり、
体はさらにかたくなる。


ある日、それまでに
少しは習ったことのあった
ヨガをやってみた。

体にすっとなじんだ。
体が喜んでる感覚があった。
これなら、続けられる、と思った。


ストレッチとヨガって、
一見似ているけど、
根本の思想がだいぶ違うように思う。

ストレッチは、
だめだめな体をぴしぱしと鍛えて
負荷を掛けて柔らかくさせていく、
というもの。

一方、ヨガは、
体本来の流れを取り戻す中で
体が自然と柔らかくなっていく、
というもの。


その後ヨガは無理なく
日々の生活に組み込まれ、
そうこうしているうちに
体はすっかり柔らかくなった。

こうなると、
ストレッチも全然苦じゃなく、
むしろ気持ちいいと思いながら
できるようになる。


こういうのって、
他でもいろいろあると思う。


ボイストレーニングではなく、
ボイスワークショップとか。

絵画教室じゃなくて、
ホワイトシップのワークショップとか。


鍛え、矯正するのではなく、
体の本来の力を取り戻す中で、
心身を豊かにしていく、という世界。


どっちが正しいわけでもなく、
人それぞれにあった方法を
選べばいいと思うけど。

私は絶対後者がいい。
というか、もう前者は無理。
posted by まゆか at 11:45| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月07日

To be or not to be

That is the question...

近頃、少し悩んでいることがある。
Twitterを始めるかどうか、である。

もともとこの種のトレンドの
キャッチアップは非常に遅く、
それをやらずには、持たずには、
社会生活に支障が出る、という
ぎりぎりのラインまで、
大体何もしない。

ポケベルを持ったのも、
携帯を持ったのも、
パソコンを使い始めたのも、
SNSを始めたのも、
人の3周りぐらい遅かったと思う。


Twitterはすごいと思う。
やってなくても世界において
増幅し続けるうねりをひしひしと感じる。
で、悩む必要は全くなくて、
さっさとやるべきだとも思っている。


でも、なぜやらないかというと。


小さな言葉をつぶやくという
行為に慣れると、
まとまった量の文章を書くのが
ますますおっくうになりそうな気がするから。

中毒体質なだけに、
きっとどんどんと時間をこれに使い、
自分の表現の時間を
言い訳しつつ縮小していきそうだから。

今は、人とつながったり、
人にどばどばと発信したりするより、
一人腰を落ち着けて、
創造に取り組む時期だと思うから。


要は、もう少し自分が自分の表現を
自然とできるようになるまでは、
そのリズムをつかめるまでは、
気が散りそうなことを
やらないほうがいいのでは、
という感覚。

うちにテレビがないのと一緒。
ちゃんとそのものと
適度に付き合えるだけの、
節制が自分にはないことがわかっているので、
あえてやらない、始めない。


早くしゃんとして、
こういうこととも、
楽しみつつ関係を築けるように
なれたらいいな、と思う。

To start Twitter or not...

なお、同様に、ほぼ同じ理由で、
・Facebookに入るかどうか
・PHSをやめて高機能携帯かiPhoneにするかどうか
についても時折悩んだりしてます。
posted by まゆか at 23:31| Comment(3) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月27日

今日は、一日、
スニーカーのような
ぺったんこの靴で過ごした。


なんと楽なんだろう。


足に気をとらわれずに、
歩けることの、この気持ちよさ。
抜群の開放感。

持病の胃痛がふっと
完治したかのような。


それは逆を返せば、
いつもは足に相当な痛みを抱え、
そこに意識の一部をふりわけて
生活している、ということになる。

本当に、いつも、足が痛い。
足の裏が焼けるように熱くなり、
フラメンコでたこだらけの足指上面は、
靴との摩擦で皮が破れ、
土踏まずは、つった感じが続く。


ハイヒールは、
プチ拷問である。


でも、だからといって、
毎日ぺったんこを履くかというと、
それはきっとしない。

どんな苦しい思いをしても、
女はやはりハイヒールを履く。
そういう生き物。

足を少しでも長く見せるため。
ばりっとした印象を見せるため。
気合を入れるため。


そんなところで気合いをいれず、
靴は楽なものを履いて、
意識は向かうべきところに
全集中させたほうほうが、
よっぽどいいに違いないし、
数センチ足を長くしたところで、
蚊のくしゃみみたいなもんだけどね。
posted by まゆか at 23:39| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月23日

変化

いつもの日常の延長戦の、
時間やお金の使い方では、
とてもできないこと。


留学をする、とか、
長期の旅行をする、とか、
好きなアートを購入する、とか。


その経験そのものが
自分にもたらすことより、
それをやろうと、覚悟を決めて、
時間やお金をコミットしたこと、
変わろうと一歩動いたことこそが、
ものすごく大きい影響を
生み出すんじゃないかと思う。


ある出来事が自分を変えるのではなく、
変わろうとした自分が自分を変えていく。
posted by まゆか at 23:57| Comment(2) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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