2010年08月26日

夜風

s-P1020285.jpg

夜風に吹かれながら、
街路樹やビルのてかてかと光る
どぎついイルミネーションに
照らされながら、
徐々に耳に心地よくなってくる
中国語の喧騒を聞く。

どことなく漂う
豚の甘めのベーコンのような
蒸したシュウマイのような
雑多な匂いをかぐ。


突然、いつもと違う五感に
刺激されて、
なんともいえない解放感が
心の底からつきあがってくる。


大きな地球の上に、
誰でもなく、いる、
でも、ここにいる
ちっぽけな自分。


自分で自分を
しばりつけていた紐が、
ばらばらとほどけていく。

まっさらな状態に戻る。
posted by まゆか at 20:59| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月25日

上海雑感・続

外灘地区には、古く美しい
西洋建築がずらっと並んでいる。

上海が列強に占領され、
かなしくも華やかで、
モダンで雑多な文化を育んだ時代の遺産。
これらの建物の上には、
かなり執拗な感じで、
五星紅旗が立てられている。

外灘から川をはさんで向かい側の
浦東の高層ビル群は、
にょきにょきと
ただビルとして立っているだけなのに。


そういえば
中国の内陸部で訪れた
チベット族の村の建物にも、
カラフルなのぼりにまけじと、
一番高いところに、
五星紅旗がはためていたのを思い出す。


twitterやGoogleブログの
「表示できません」もそうだけど、
どっからどうみても、
自由な消費社会を歩いていると思ったら、
突然ひょっこりと国家が顔を出してくる。


ちなみにFacebookも
中国ではブロックされているそうだ。

要は通りの上だろうと電脳上だろうと
人が意見を表明し、
それを多数の人と共有しうる場はご法度、
ということなんだろうな。


s-P1020221.jpg
[外灘の五星紅旗]

s-P1000893.jpg
[チベット族の村の五星紅旗]
posted by まゆか at 17:55| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月23日

上海雑感

我現在在上海。


上海に来るのは二度目だが、
一度目はかごの鳥で、
ほとんど街を見る機会がなかったので、
実質初めてといってもいい。


地下鉄に乗って、
世博の集客でどこもかしこも
うじゃうじゃと人がいる街を、
焼け付く暑さの中、
ぐるぐるとまわってみる。


なんか、自由だなあ、と思う。
みんな好き勝手にやってる。

まわりに人がいようと何だろうと、
行きたい方向に歩き、
しゃべりたいときに大声でしゃべり、
食べたい時に食べて、
着たい服を着て、
座りたいときに座ってる。

無言でぶつかってこられたり、
車が赤信号の中を走っていると
日本では、むっとしたり、
びっくりしたりするけど、
自分も人を気にするモードを
完全オフできるから、
なんとも思わなくなる。


気にするのは自分の安全と欲望。
それでいい。これは楽だ。


一方で、宿泊先にて、
Googleのブログをみようと思ったら
「Internet Explorerでは
このページは表示できません」
と出た。

ああ、そうか、これがかの有名な
中国政府によるGoogleシャットアウトか。
(Gmailは使えます)

ためしに自分ではやってないが、
twitterをみてみると、
うん、これもまた「表示できません」。
なるほど。

そのページに書かれている
「可能性のある原因」には
いつもどおり、
•インターネットに接続されていない。
•Web サイトに問題が発生している。
•アドレスに入力の間違いがある可能性がある
としか記載されていない。
どれも真実とは違うような...


なんかすごいよなあ、
この自由と不自由のギャップ。


25元(500円)のアイスクリームが売っている
通りから一本入ると、
2元(30円)の冷たいそばが売っていて、
歩く人たちの装いもがらっとかわる。


いろんなステージにある
いろいろなものが、
いろいろなスピードで
雑多なまま同居している。

人々は戸惑うこともなく
引き裂かれる気持ちになることもなく
平気な顔ですべてを吸収する。
そしてどんどん、前へ進む。
posted by まゆか at 17:57| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月19日

宿題

あれれ。
そういえば。

8月の終わりまでに
本業以外で、
やるはずだった仕事っぽいこと。


ひい。ふう。みい...
よん...ご?

うう。結構ある。
しかもどれも、
一つ一つが、
かなりボリューミー。


8月ってなんとなく
学生の頃の感覚で、
いつもより時間があるような気がして、
ほいほいと8月中にやりまーす、
みたいなこと言ってたけど。

そもそもまとまった夏休みは
とってないし、
小旅行、夏のイベント的企画が
ぽこぽこ入っている。

そうか、普段より
とりわけ時間がある、とか、
そんなのは幻想だった。

その上、どうしても、
休みだ、という感覚にふんわり包まれ、
気持ちがしゃんとしない。
あ、これはいつものことか。


夏休みの宿題を
8月も半ばを過ぎたあたりに、
ようやく改めて眺めてみて、
その量の多さに
いまさらどきっとしている
中学生みたい。


いくら暑くても
季節の変化は正直。
もう蝉はその時を終えた。
夜は秋の虫の音が響いている。


夏の終わりが、近づいている。


ああ。終わるんかいな...

しかたない。
締め切り引き伸ばし作戦、開始だ。
posted by まゆか at 23:43| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月16日

不穏

ちょっと、暑すぎない?

猛暑、というよりは、
妙にへんな暑さ。

気温がやたら高いとか、
湿度の高さが加わって
不快指数が増す、とか、
そういうレベルじゃ
もはやない感じがする。


これはやばい。
このままいくと、
本当にやばい。

空気の叫びが、警報が
びりびりと伝わってくる。

不穏な感覚が
カラダをかけめぐる。


人間の自分勝手な活動を
ゆうゆうと飲み込む
自然の懐の深さも、
もはやこれまで。

最後までふんばっていた
バランスのたがが
外れてしまったような。


冷房は28度に設定しましょう。
電気はこまめに消しましょう。
ペットボトルはリサイクルしましょう。

そんなちまちまとこつこつと
省エネしたところで、
CO2削減に励んだところで、
とてもこれは追いつかない。

大体そんな精神で
今日みたいな日に
世界のために、とかいって、
冷房を切ったりしたら、
即熱中症だ。いのちだって危ない。


電気の供給の仕組みを
丸ごと変えて、
いくら人が使っても、
地球に負荷をかけないような
根本的な設計のし直しを
しなくちゃいけないんじゃ
ないんだろうか。

そのための技術は
人類はすでに全て、
手にしているだろうに。


こんなこと、
ぶつぶつ言ってても、一ミリも
世界はよくならないんだけどね。

いやあ。暑い。
やばいって、これ。
posted by まゆか at 21:09| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月15日

マントラ

ああ、しんどい。

どうして、いつも
こうなっちゃうのかな。

深くため息。

胃がきりきりする。


でも、わかってる。

誰のせいでもない。
すべては
自分から始まっている。


それを望んだ自分。

妥協ができない自分。

こういうふうにしか
生きられない自分。


だったら、
それにより生じる
もろもろのことも
丸ごと受け止めるしかない。

覚悟するしかない。


「起きていることには
すべてに意味がある」


大切な知人から与えられた
人生のマントラを唱え
ぐっと腹に力を込める。
posted by まゆか at 22:12| Comment(2) | 詩のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月13日

ある日の天使

それなりに前のこと。

そう、あれは、
ワールドカップで、
日本がデンマークに勝った
次の日だった。


外でのミーティングの帰り、
夕方ごろ、電車に乗った。

あいている席に座ってから、
横のおじさんが、
ホームレスっぽいことに気づく。
軽く異臭がして、
ちょっと酔ってもいる。

これは立って他のところに
行こうかなあ、
でもそれはあからさまかしら、
座っちゃったし。どうしよう。

なんてことを
ぐるぐる考えてたら
前の席に、制服を着た
ちっちゃな男の子が座った。
6歳ぐらい。

手に、紙で作った
サッカースタジアムを持っている。
日本、デンマークという
文字が見える。


それを目にしたおじさんが
うれしそうに男の子に話しかける。

「ぼうや、それ、
日本が勝った試合、作ったんか」

その後、堰を切ったように
日本・デンマーク戦のことを
話し始める。

本当にサッカーが好きらしく
いろいろと話しまくっているが、
全体としては、
はっきりいって支離滅裂。


うわー、おじさん、
とまらないよ。
わけわからんよ。

私はなるべく
関わりを避けようと
視線を落とした。


男の子は大丈夫かしら、と、
こっそり前を見ると、
その子は特に動じる様子もなく、
この人よくしゃべるなあ、
みたいな顔して、
まっすぐにおじさんを見つめている。

そして自分が降りる駅がくると、
すっと立ち上がって、
しゃべり続けているおじさんに、
にこっと笑って言った。


「でも、とにかく、
日本が勝ってよかったね」


ものすごく、はっとした。

自分が恥ずかしかった。


私はそのおじさんと自分との間に
線を引いた。
自分とは違う人だからと定義し、
世界が交わらないよう、
壁を厚くした。視線をそらせた。

あの子は、壁を作ることもなく、
無理にわかろうとすることもなく、
おじさんに、
ただただそのまま向かい合った。

最後には、
おじさんもその子も
おそらく共通に抱いていた
あの試合への思いを
言葉としてさらりとおいていった。


「勝ってよかったね」


なんとなく
ぎこちなくなっていた
車内の空気まで、
ふっとやわらぐ。


自分も誰も、
あれくらいの年の頃は
自然といろんなものに
つながっていたのかな。

それともあの子が、
天使だったのかな。
posted by まゆか at 23:23| Comment(2) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月11日

山の中の時間

ネットも携帯もつながらない、
山の中の家。

あふれる空気、
まろやかな水、
そこかしこの緑。


そこでは、
その時々の行動に対し、
集中して向かっている
自分がいた。

話す。食べる。
見る。歩く。
感じる。

一瞬一瞬を
真剣に、大切に。

たったそれだけで、
時間の深さがぐんと増した。
1日が1週間分ぐらい
密度の濃さになった。


それに比べて
東京にいるときの自分の
気の散り具合といったら。

食べながら本を読んだり、
ネットのニュースを見たり、
他の作業をしながら
メールをチェックしたり。
人ごみに気持ちがのまれないよう、
意識を遠くに追いやって
街を歩いたり。


常にいろんな情報が
自分に飛び込んでくるのに合わせて、
自分をどんどん、分裂させて、
テンポよくいろんなことを
並行してやっていく。
それも、スマートな21世紀の生き方、
なのかもしれない。


人生のデジタル化、
モジュール化。


でも、時には、
ばらばらになった自分の意識を
かき集めて、
統合した主体として、
その瞬間を集中して生きる。

そんな時間が
人には本当はとっても必要、
な気がした。
posted by まゆか at 18:05| Comment(0) | からだ・脳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月06日

ギフト

このところ、取りつかれたように
ル=グウィンばかり読んでいる。

小さいころゲド戦記を読んで
その世界にすっかり魅了され、
数年前に読み直して改めて圧倒され、
また急に読みたくなってこの度買い直し、
一気に5冊読み通してしみじみと浸る。
ついでに彼女の新しいシリーズやSF、
エッセイ集までばかばかと買った。


初めて「西のはての年代記」を読む。
ギフトヴォイスパワーの3部作。

授かった力(ギフト)をどう使うか、
というのをメインのテーマとし、
そこに自由、創造、物語を
横糸として織り込んだ
ダイナミックで美しい世界。


3作目「パワー」の主人公ガヴィアは、
二つのギフトを持っている。

一つは過去にあったこと、一度聞いた物語を
見事にそっくり「思いだす」ギフト。
何をしようと彼の中に常にある才能。
これは母親から受け継いだ。

もう一つは未来に起こることを、
ビジョンとして「思いだす」ギフト。
こちらは子供のころはしょっちゅうあったけど、
成長するにつれて頻度が減っていく。

ガヴィアの前者のギフトも特定の個人によって
私物のように使われるだけの時期があったり、
彼の後者のギフトを訓練しようとする人に、
麻薬漬けにされたりもするが、
最後は真の物語を創るギフトを持つ大詩人
第一巻の主人公オレックに出会い、
物語を創り、保存する作業に加わる。


自分の中にも
こんな感じのギフトが二つある。
(いや、ギフトというほどのものではなく、
もっとゆるっとぼんやりとしたものだけど。)


何をしようと必ず自分の中にあるものと、
子供のころは自然にやっていたけど、
今、それを再現しようとしても、
なかなかできないものと。

後者のほうを
何とか息を吹き返させようと、もがいてきた。
そこに真の自分があるのだと思っていた。
前者のギフトを使う機会が増えると、
ただでさえ弱々しい子供のころのギフトは
消えて行ってしまうと思っていた。

でも、自分の中に既にはっきりとあるギフトを、
その形を見極めた上で、
世のためにきっちりと使っていくということは、
とても尊くそして正しいことなんだ、と、
本を読んで気付かされた。


ガヴィアの母の妹は彼にこういった。

「あんたの母さんから受け継いだ才能を
しっかりと離さないように。
もう一つの『思い出す』才能で
自分以上のことを思い出そうとすると、
自分が自分でなくなるよ。」


やっぱ、ル=グウィン、すごい。
ギフトを大切に、
そしてそれをちゃんと使っている人だ。
この本を書いたのは70後半だ。


はああ、それにしても。
どうしたもんかなあ...
posted by まゆか at 19:53| Comment(1) | 観賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夏休み

空が青くて、
蝉が鳴いて、
風が吹いて、
空気がくっきりとしている日。

うんと暑くなりそうな日。


朝、玄関を出る。
思わず大きく息を吸い込む。


夏休みの匂い。


その瞬間、
これから学校のプールに行く
小学生に戻る。


ひたすらに未来は広がり
時間は永遠にあるようで。

でも、どこかでは、
永遠でないことも
知っていた。

自由と不自由の中で、
目の前のことに
ただただ必死だった。


プールは楽しみだけど、
緊張するな。
うまく泳げるかしら。

夏休みも、そのうちに、
終わってしまう。

...


ハイヒールをはく自分の足が
視界に入って、
あわてて我に返る。

もう子供でもない。
夏休みでもない。

大人の日常が、
今日も、始まる。
posted by まゆか at 00:34| Comment(0) | 詩のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月04日

8月6日

8月6日、米国大使が広島を訪問する。

そのスピーチ原稿の作成に
紛争和解の仕事に取り組んでいる
来日中の知人が関わっているらしく、
こんな質問がやってきた。


「典型的な日本の人は、どういった内容の
スピーチを聞きたいと思うのかな?」


典型的な日本人、の意見を聞くのに
私に聞くのはまずいんじゃないか?と思いつつ、
そもそも「典型的な日本人」などいないからいいか、
と割り切り、あくまで私個人の意見だといって、
こう答えた。


まずは、原爆で亡くなった方々への、
誠実で深い哀悼の意を示す。


そして、全体のトーンとしては、
「アメリカ」が「日本」に対して行ったこと、
という捉え方はしない。

なぜなら、あの戦争においてあの原爆が
どういった意味を持つのか、というところを
問い始めても、議論はどこにもいかないから。


あの原爆がなければ戦争が終わらず、
被害はもっと拡大していたのだから、
あの原爆は必要だった、という意見がある。
アメリカではこれが主流。

それまで日本はひどいことを
中国、アジアに対してやってきたんだから
あれは因果応報で仕方がない、という意見もある。

もしあそこで原爆を落とさなければ、
人類は原爆の威力を実感しないままに
どんどん開発を続け、
冷戦中に落として、人類は滅亡したかもしれない、
なんて意見だってあるかもしれない。


そういうことではなくて、あの原爆を
「人間」が「人間」に対してやったこと、
という捉え方をすをる。

そして原子力を
人を破壊するエネルギーとして
使用することはしない、と誓う。

それを落とした側が誓うことで、
よりパワフルなメッセージになる。

そうすれば、今度の8月6日が、
過去に思いをはせる日から、
未来に向けた人類の決意表明の日へと
転換する。


米国大使がまだ広島に行ってなかった、
ということが、実はびっくりだった。

やはりオバマさんの登場を待って
ようやく実現したことだったんだなあ。

8月6日は
毎年何気なく過ごしてしまうけど、
今年は新しい時代のことを思いながら、
心の中で黙とうしようかな。
posted by まゆか at 09:19| Comment(0) | 国際問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月02日

変数は、自分

社会的に。
常識から見て。
みんなそうだから。
あなたの幸せのために。
女だから。男だから。

...


生きていると、
いろんな言葉が
ふりかかってくる。

たとえ善意からの発言でも、
いや、善意だからこそ、
とても深く傷つく。

価値観の押しつけって、
時に驚くほど
暴力的になるから。


でも、言っている側は
純粋にそれがいいと
信じて言っているから、
そこを変えようとしたって
とうてい、無理。

何を言われようと
結局は自分は自分の生き方しか
できないのと同じ。


だから、そんな時は、
危険な枕詞が出てきた瞬間に
さりげなく身構えて、
次に出てくる言葉に
心を無防備にさらさないようにする。

それでも、思わず
心に言葉を入れてしまったら、
ゆっくり呼吸して、
息と一緒に外に吐き出す。

相手に対して
どうこう思うのではなく、
ただただ自分の中を
きれいに冷静に保つ。

時には筋トレとかして
鍛えておくといいかも。


そして、せめて、
自分がやられて嫌なことは
人にやらないように、
人の生き方に
ゆがんだ介入をしないように、
細心の注意と思いやりを持って
人に接するよう心がける。


自分が動かせる変数は
自分だけ、だから。
posted by まゆか at 22:26| Comment(0) | 詩のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月01日

「問題解決」

昨年3月に受け持った
医学部生向けの短期集中講座の講義を
今年もやることになった。

今年は、昨年自分で考えて作った
プレゼンとインタビューの講義に加え、
「問題解決&戦略的思考法」
という講義も担当。

問題解決の講義は
この短期集中講座が
立ち上がった2003年ごろに
一度担当したことがあるし、
代々受け継がれたよくできた資料もあるし。
ということで、
ほいほいと気軽に引き受けてしまった。


...これが大変だった。


まず、2003年と2010年の自分の違いを
もっとちゃんと認識すべきであった。

2003年。
2年半という短い期間ながら、
非常に濃密なロジックの世界で
朝から晩まで過ごした、その直後だ。
自分もまだ「問題解決」やら「戦略的思考」やらの
思考回路の中で生きていた。
だから講義は簡単だった。現在進行形だから。

それから7年。
そんな思考回路はもう錆付いて
あるかなきかになっていた。

その頃の自分を
自分の中に何とか見つけ出し、
すぐいなくなってしまいそうなところを
何とか呼び止めて、対話を重ね、
今の自分の中に、
せめて回路の跡だけでも残るよう、
ふんばる。これはなかなかに大儀だった。


それと、やっぱり、
人の作った資料、というのは、
どうもよろしくない。

考える過程でスライドを削除したり、
内容を変えたりしたものの、
表面をなでるだけの手の入れようでは
心がこもりきらない。

スライドの説明をしつつ、
「私はただこれを説明するだけの役割」
という気持ちが常につきまとって、
書いてあること、言っていることから
自分が距離を取っているのがわかる。

自分が話しているのに、
自分の言葉でないような。


さらには。
この7年の間に
問題解決や戦略的思考といった
ロジカルシンキングの切れは
やたらと鈍くなったけど、
逆に、もしかしてそれがゆえに、
見え、聞こえるようになったものもある。

それらを改めてきちんと掘り起こし、
言葉にしていき、この講義にも
盛り込んでいくべきだった、
という気が、とてもしている。


「問題解決・戦略的思考法」の
既存の資料にに書かれていることは
長年にわたる知恵の結集なので、
私の話の仕方がどうであろうと、
内容自体の価値は減ることもない。
だから学生さんたちは、
喜んでくれた(ように思う)。

でも、今後もし講義を
引き受けることがあったら、
時間はかかるかもしれないけど、
自分の言葉で資料を作り直そう。

それによって既存の資料より
しょぼくれてしまったって構わない。


私が話せるのは、
私が本当にわかっていることだけ。

いくらすごいことを言っても、
そこに話し手の頭と心が伴わなければ
その言葉に力はこもらない、から。


いずれにしろ、
教えるというのは、
大きく教わることだなあ、と
今回もつくづく思いました。
posted by まゆか at 22:52| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。