2010年02月28日

玉江

一日一組、
予約はほとんど取れない、という、
ご近所のお蕎麦やさん「玉江」。

同地区に住む友人から、
突然いけなくなった人が出たから、
といって、直前の代打要請。

集まった12名は全員
その友人の会社の人だったため、
みにくいあひるの子のような、
転校生の初日みたいな気分だったが、
そんなぎこちなさもふっとばす、
壮絶に美味しくてボリューミーな
全11品のそば懐石だった。


店の大将によると、
彼はもともと塗装やさん、だったそうだ。

趣味でそばうちを長年やっていて、
そのうちに、
自分の打ったそばを知人たちに
食べさせる場がほしくなって、
今お店があるところを借りる。

あくまでも知人に食べてもらう、
というコンセプトで、
最初はおもてなし、すなわち無料で
食事を出していたが、
「お金を取ってくれないと、
もう一度来にくくなる」という声が大きくなり、
ならば、といって、営業許可書を取り、
蕎麦屋を開始。


当初は、食事の代金は請求するけど、
それまでののりの延長で、
飲み物は冷蔵庫にビールやお酒をおいておくから、
自由に飲んでね、というスタイルにしていたが、
客層が広がるにつれて面倒も増えてきたので、
今はお酒もお代をいただくようになった、らしい。


とにかくすごく美味しかったし、
会計も驚くほど良心的だし、
近所だし、また絶対来たい!と聞いてみたら、
「来年の5月まで埋まってます」だそうな。

2011年5月、である。
現在2010年2月。15ヶ月先。


いいなあ、と思った。
自分の好きなことを
みんなに喜んでもらいたいという思いで始め、
心を込めて続けてやっているうちに、
自然とそのことがなりわいになる。
なりわいになることでより多くの人が、
さらに楽しめるようになる。
15ヶ月先までの収入がほぼ正確に把握でき、
よってリーズナブルな値段も維持できる。

誰も無理しておらず、
誰もがハッピー。


唯一アンハッピーなのは、
行きたいと思っても、
奇跡的な幸運か、
1年以上待つ忍耐かがないと、
いけないことだけど、
まあ、これは、仕方ないね。


はちきれそうなおなかを抱えて、
どことなく春の香りがする夜道を、
ご近所友達とゆるゆると歩いて、
最近オープンした
これまた感じのいいバーで
一杯飲んで、帰った。


とってもいい気分だった。


また僥倖に恵まれることを祈ろう。
Gちゃん、ありがとう!
posted by まゆか at 23:09| Comment(0) | 観賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月26日

Kiss

暖.jpg

多いときは月に1回、
最近では2-3ヶ月に1回程度。

ホワイトシップのワークショップで、
絵を描くようになって、2年弱。


最初の数回は、
図工教育によって長年にわたり、
入念に刷り込まれた
「絵は苦手」というトラウマから
抜け出すことで精一杯だった。

その後、無から有を創る、
自分の表現をする、ということが、
わかったような瞬間があって、
興奮してハイテンションになった。

いい調子だ!と浮かれていたら、
今度は、構図を工夫しようとか、
色をきれいに載せようとか、
うまい絵を描こうとする
打算的な考えが先走るようになる。

確かに最初の頃に比べれば、
「上手な」絵にはなっていったけど、
描いている間もどことなく心が乗らず、
描き終わった絵を観ても
あまり何も伝わってこない。

心を頭が邪魔をする。
ほどよくまとめてしまう。
その踊り場から、
なかなか抜け出せないでいた。


そして、先日のワークショップ。
テーマは「普遍」。

「普遍」って何だろう。
うーん、よくわからん。
イメージも沸かない。

でも、よくわからないけど、
「普遍」という、
個にとっても全体にとっても、
常に変わらない真実みたいな存在って、
頭で考えて捉えられるものでは
ないんじゃないかな、という気がしてくる。

だって頭って、
ちょっとしたことで揺れ動くし、
把握の限界があるし、間違えるし。

だったら、
どうせイメージも浮かばないことだし、
頭のスイッチを切って、
心を描く手と直接つなげて、
心から何が出てくるか見てみよう、と思った。

きっとそれが、
頭では認識していない、
私にとっての「普遍」。


手が自然と動くままに。
「この色を重ねたい」
「この形を描きたい」
という瞬間瞬間の、
創造の衝動に導かれる。


そして、できあがった。


とてもあったかい絵だった。
あったかい気持ちになった。
何人かの参加者が、絵を見て、
「お母さんが赤ちゃんにKissしてる」
という鑑賞の言葉をくれた。

こんなあたたかさが、
頭の中の雑音を消した時の、
自分の心から流れ出てきたのが、
とても嬉しかった。


無心の創造。
絵を通じた心との対話。


通算15回目ぐらいにして、
ようやく達した新境地。
posted by まゆか at 22:51| Comment(2) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月24日

「増」職

この間参加させていただいた
あるセミナーの懇親会で、
シュウカツ中の院生に出会った。

私が戦略系コンサルティング会社で
働いていたと話したからかだろうか。

「これからどうキャリアアップ
されていくんですか?」

「転職とか考えてますか?」

という質問がやってきた。


うーん。質問を受けてみて、
かなりくっきりと思った。

わたし、たぶん「転」職は
しないだろうなあ、と。

また、同じ組織内でも、
組織を変えるにしても、
収入やら地位やらを上げることを目指す
キャリア「アップ」なるものとも
まるで無縁だろうなあ、と。

(というかキャリアアップという言葉に、
妙な違和感を覚える。
アップさせるものではなく、
育むものなんじゃないかな、キャリアって。)


今後のイメージは、
あえて表現するなら「増」職。

自分一人では絶対に手に入らない
出会いや思考の広がりを与えてくれる
福音のような現在の本業に、
少しずつ個人の仕事を重ねていく。

それぞれの仕事が、
互いにリンクしたり、
シナジーを起こしたり、
どれが「本」でどれが「副」か
境目があいまいになる。
職が増える。


「増」職の過程で、
私という一人の人間がやる職の
ありようの形のようなものが、
ちょっとずつ形成されて、
いずれ人と職が合わさって
「職人」になる。

なんてことになれば、理想だな、
と思っている。


学生さんの予想と期待には全くはずれた
回答しかできず、申し訳なかったけど、
自分としてはぼんやりと考えていたイメージが
よりはっきりした像を結ぶ結果になって、
勝手に、かなり、満足。
posted by まゆか at 23:51| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月22日

「転倒注意」

工事中の駅で、
「足元にお気をつけください」
「右側通行をお願いします」
とひたすら連呼する係りの人が
何人も立っている。

工事用のシートが敷かれている程度で
「お気をつけ」るほどの危険はないし、
片側通行を強制しなきゃいけないほど、
通路が狭くなっているわけでもない。


これって、おそらく、
最近、工事をしているある駅で、
通行人が怪我をして、
注意呼びかけを怠ったとかいって訴えたか、
それをきっかけに、
「必ず○人以上の作業員をつけ、
注意を呼びかけること」みたいな法律ができたか、
なんじゃないかな。

しょうがないかなー、とも思うし、
それで新たな雇用が生まれるから、
いいっちゃいいけど、
でも、ちょっといやな感じがする。
過保護すぎる。


この延長線上で、
マンションの階段から落ちたら、
階段を設計した会社を訴え、
「転倒注意!」というサインを
掲げなかった建物を訴えたりする人が、
出てくるかもしれない。
それを防ぐために、あらゆる階段に、
「転ばないでください」という
拡声器が付けられる日も来るかもしれない。


本来、個人の責任であるところまで、
会社や学校、国の責任ということになって、
先回りした過剰な対応や法律が、
ここかしこで増えてきている。

釣り人が高波にさらわれれば、
その場所が立ち入り禁止となり、
企業のアドレスからのメールには、
本文より長いdisclaimerがくっつき、
一部の親に文句をつけられないよう、
徒競走は並んでゴールインする。


やることなすこと、
すべてが「誰か」のせいになり、
「誰か」はあらかじめ、
物事をまるめたり、
但し書きをつけたりして、
自己防衛を行う。


社会はますます甘えだらけ。
クレームだらけ。
何かをやろうとしても、
当てつけられるのが怖くて、
腰が引けてしまう。


責任のないところには、
自由もない。

これじゃ、活力なんて、
生まれようがないよ。
posted by まゆか at 00:51| Comment(0) | 特に、日本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月20日

"Disabled"?

先週末オフィスに立ち寄ったついでに、
ぶらっと丸ビルの中を歩いた。
2階の回廊のようなスペースに、
絵が展示してあるのが見えた。

ちょっとみていくか、と、
展示のほうに歩いていくと、
スタッフのような女性が、
「これは知的障害者の子どもたちが
描いた絵なんですよー」
と説明しつつパンフレットをくれた。

その時、横にいた連れが、
ぼそっと、つぶやいた。


「障害って、何だろう」


鮮やかな色とくっきりした輪郭の絵、
ものすごくディテールにこだわった絵、
こりゃあ、暗いぞー、という絵、
天才なのかずぼらなのか、
一筆描きで全く意味がわからない絵...

人の数だけ個性があり、
個性の数だけ異なる表現がある。
ただ描きたいから、
それだけで描かれた絵。


一つ一つ観ているうちに、
先ほどの言葉が頭のを回りだした。


障害って、何だ?


忙しさだの、社会的通念だの、
いろんな概念にふさがれて、
見えるものも見えず、
聞こえるものも聞こえず、
自分の表現もできない。

それだってある意味、
障害、なんじゃないかな?


何が"disabled"か、なんて、
定義できやしない。


ちなみに、彼らの描いた絵は、
Able Art、と呼ばれている。
posted by まゆか at 16:26| Comment(2) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月19日

テレビなしの功罪

テレビなしの生活も、
1年と8カ月を超えた。
音と映像のないしんとした時間にも、
すっかり馴染んだ。

テレビの不在は
自己抑制力が欠落している私の人生に対し
全般的にいい影響を与えてくれていると思う。


でも、ちょっと、
フクザツな気分になるのが、
世界的スポーツイベントがあるとき。

北京オリンピックとか、
WBCとか、
そして現在進行形のバンクーバーとか。


選手の奮闘も観衆の歓声も、
全く、遠い。


見なければ見ないで、
それはそれでLife goes on。
まあ、どうってことない気もする。

でも、時折外のテレビで
ちらっと見ちゃったりすると、
すぐそこにある本当に大切なものから、
あえて遠ざかっているような、
こういうものを見ないということが、
どうってことあるような、
そんな気がしてくる。


オリンピックに出ている選手達は、
壮絶な自己鍛錬はもちろんのこと、
スター性や運までも身にまとっている人ばかり。
やっぱり、きらきらしている。
圧倒的に美しい。鳥肌が立つ。


どうしよう。
どでかい液晶テレビを導入した
今の家より都心に位置する実家に、
しばらく帰省しようかしら。
posted by まゆか at 01:13| Comment(3) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月15日

目標

かなり唐突に、でも非常に納得する形で、
とても具体的な目標がみつかった。


今の自分ではあまりに力不足だけど、
いつかそれができる日のことを
常に頭のどこかに思い浮かべながら、
やるべきことを一つずつ積み重ねていけば、
もしかして本当に実現しちゃうかも。
そんな目標。

でも、それの実現そのものに
こだわりすぎると、
逆に自分からは離れていってしまう。
そんな目標。

例え、それが最終的にかなわなくても、
そこに向かおうという思いを持っているだけで、
人生がぐぐっと濃さを増す。
そんな目標。


Signはいくつもあった。
縁はできた。
後は、自分次第。言い訳禁止。


自ら流れを創りだす努力はしつつ、
一方で流れに身をゆだねて。

どこまで行けるかな。
posted by まゆか at 22:17| Comment(2) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月14日

春のフェイント

先週、急にぐっと暖かくなった日。

体中の細胞が、
「冬が終わって春が来た!」
と勘違いして、
寒さ武装を勝手に解除してしまった。


その直後に、
この冬一番の寒さがやってきた。
こちら側は完全無防備状態だから、
びしばしと容赦なく、
冷たい空気が体に染み込んで来る。

まわりでも、
体調を崩す人、続出。


同じ寒さでも、
普通の寒さの延長だったなら、
あれほどつらくはなかっただろうな。


私たち現代人は、
暖房やら冷房やらを駆使して、
気温の変化なんか関係ない、
みたいな顔して過ごしているけど。

体は頭より正直に
自然の変化に反応する。

人は動物なんだ、という、
当たり前のことを、
ひしひしと思い知った。


はーるよ、こい。
posted by まゆか at 23:04| Comment(0) | からだ・脳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月13日

この感覚を大切にする

今日のお花のお稽古。


花材に対し透明な気持ちで向かい合い、
静かに没頭する。

集中しつつも、力みすぎることなく、
ほんわかと楽しくて、
時折歌を口ずさんだりして。


出来上がった作品の前に座った先生。
しばし黙る。そして、つぶやいた。


「...何でだかよくわからないけど、
観ていたら、いきなりぐわーっと
感情が開いて、涙が出てきちゃった。」


ものすごく、びっくりした。
そして、壮絶にうれしかった。

だって、それって、
素晴らしいアートを観て、
思わず涙があふれてしまうのと、
似たようなものだから!


自分が創ったものから
エネルギーが流れ出し、
人の心に直接すとーんと届いたんだ。


あんな感じの心の形を、
いつも保ちながら、
日々表現してたとしたら、
そりゃあすごいことになるだろうなあ。


まだ、はるかなる道、だけど、
今日の感覚を、丁寧に大切に
心の中に生きた状態で保存して、
明日からの日々をすごしていこう。
posted by まゆか at 23:19| Comment(0) | お花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Human Rights Watch

やっぱりとても素敵で美しい方だった。


土井香苗さん。


大学に入った頃、少し上の先輩で、
早々に司法試験に受かって、
エリトリアという新しい国の法律を
作っている女性がいる、という話を聞いて以来、
長年、何となく憧れの存在だった。

世界連邦21世紀フォーラムで、
彼女の講演を聞いた。

難民弁護士を経て、
今はHuman Rights Watchという、
世界の80カ国以上の人権状況を常時モニターし、
レポートを作成し、世論を促す、
というNGOの日本代表をしていらっしゃるそう。

例えばスーダンのダルフールについては、
世界の誰も注意を払っていない頃から、
この団体の調査員が現地に赴き、
インタビューを重ね、映像を取り、レポートをつくり、
メディアに、国連・各国政府に働きかけた。
Human Rights Watchの一連の活動が、
2005年頃のダルフールに関する国際世論を生み出し、
国連安保理によるスーダン政府への勧告、PKO派遣などに、
つながっていった。
(その後も、状況は悪化するばかり、みたいけど)


これまで「人権を守れ!」という活動に対しては、
どことなく距離を感じてきた。

「人権」とは近代国家と共に
確立されてきた新しい概念であり、
どんな国も、国の中、また外に対して、
人権を踏みにじった過去(または現在)を
背負っている。

「国家」として独立してまだ日が浅かったり、
内戦が続いたりする国々で、
大規模な人権侵害が起きてしまうのは
悲しいけど、「みんなが通ってきている道」。
それに対して、物申すのは、
どうも、一方的で短期的な正義を押し付けるような、
そんな気がしていた。

土井さんのお話を伺っていると、
自分のそんな考え方のほうが浅はかであり、
inactionの言い訳にすぎないんだと、痛感。


Human Rights Watchは、
虐げられている人々を
何とかして救いたい、というヒューマニティが
ベースになっているが、
その行動の基準は、
すべて国際法においている。

国際法を基準に、
「人権侵害」度合いを測り、
法を通じた処置を訴え、
法が適用される土壌作りに尽力する。
時間がかかるしもどかしいけれど、
あくまでも法を通じて行動する。


国際法とは、
人類がひどい戦争やら何やらを繰り返す中で、
自らの力の暴走の抑制装置として、
社会、そして自らの存在を維持するための工夫として、
創り上げてきた普遍的な知恵の体系。

もちろん完全ではないし、
たくさんの問題や矛盾を内包しているだろう。

それでも、法には、
人類のこれまでの学びが、
将来への希望がつまっている。
それを信じるというのは、
すなわち人類の学びと将来を信じるということ。

Human Rights Watchの活動が
静かなパワーを持つのも、
土井さんが美しいのも、
法への、そして人間への信念というところで
ぶれずに一本芯が通っているからだと思う。


ヒューマニティをベースに、
法治を世界に行き渡らせる動きが進むと、
いずれは法すら要らなくなる世界(愛治?!)
なんてのも、
いつかは、はるか先の未来には、
やってくるのかもしれない。


信じたところで、
何も変わらないかもしれないけど、
信じなければ、
そもそも何も始まらない。


そんなことを、
つくづくとしみじみと、
考えさせられる講演だった。

土井さん、
どうもありがとうございました。


PS: Human Rights Watchのビデオ、
素晴らしかったです。
ぜひご覧ください。
posted by まゆか at 03:03| Comment(2) | 国際問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月10日

習慣にする力

大人になるにつれ、
失ったたくさんのものの中で、
今の自分にないことが、
どうにも歯がゆいのが、
「習慣にする力」だ。


大学に入るまでは、
何かをやろう、と思ったら、
それを日々続けることができた。

お菓子を食べない、と決めたら、
調理実習のデザートにすら
手をつけないほど徹底して、
2年ぐらい本当に食べなかったし、
ラジオ体操をやろう、と思ったら、
気付けば5-6年はやってたし。
毎日集中して勉強してたし、
買った英語教材はひたすら聞いてたし。


どうしてあんなに
ストイックでいられたんだろう。
あのぴしっとした私は、
一体どこに行ってしまったんだろう。


今と違って、
とにかく雑音がなかった。
外食なんて年に一度あるかないか、
親と先生以外の大人も知らず、
自分が一体どれくらいできるのか
世間でちゃんと生きていけるのか、
全然わからなかった。
将来何がしたいかとかも
全く検討もつかなかった。

だから、ひたすら、
前にあること、置いたことを、
黙々とやるしかなかった。
それが「習慣にする」ということ。


自分の絶対的な感覚だけを頼りに、
「今」を生きていた。



あれから変わったこと。

美味しいレストランやら、
いろんな人の存在やら、
様々な娯楽やらに囲まれて、
常に気が散っている状態になった。

否が応でも締め切りや目標が
設定されるので、その力に頼って、
自分が自分を律する必要がなくなった。

自分がどれくらいの力を出すと何ができるか、
おおよそのところがわかるようになり、
この程度やっていればいいか、と、
何となく手抜きな感じになった。


相対的な価値観に支配され、
ただ漫然と日々を過ごしている、
といったところか。

中国語も教材を買ったどまりだし、
食生活は相変わらずでたらめだし、
書くつもりがネットサーフィンだし、
毎晩・朝のストレッチを除くと、
全般的にぐだぐだだ。


今年は、なるだけ雑音を減らし、
やると決めたことを、
習慣にしていくのが、最大の抱負。
posted by まゆか at 22:17| Comment(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月08日

Toyota

トヨタが大変なことになってる。

CNNやABCなど、
アメリカのメディアでは、
連日ひっきりなしに、これでもか、
というぐらいToyota報道が続いている。

それと反比例して、
ぼろぼろだったアメリカの自動車会社が、
がぜん元気になってきているようだ。
フォードのディーラーは、
にわかに景気がよくなったらしい。


トヨタは最近になって急におかしくなった、
というわけではないはず。

ちょっと前から、少しずつ、歯車がずれ、
一つ一つは大したずれではなくても、
全体のシステムに波及する頃には、
バタフライ効果でより大きなバグへと変換し、
ついにはリコール問題として噴出したのだろう。


一度信頼が崩れ非難の対象となると、
他社でもある確率で必ず起こる
事故やクレームまでもが、
さも大変なことのようにクローズアップされるので、
「トヨタの車は信用できない」
というイメージがますます増強されていく。


昔、三菱の車の発火が問題になった頃、
やたら三菱の車が燃えている映像ばかりが流れ、
三菱の車は危ない、という印象が根付いたけど、
実は、他の会社の車も、
ある確率で発火事故は起きていて、
でもメディアがそれを取り上げないだけなんだ、
というようなことを、聞いたことがある。


成功が続くと、
どうやったって組織にはおごりが蔓延する。
これまでのやり方ではまずい、ということを
頭でわかっていたとしても、
それほど危機感がないときに、
慣性で動いているものを変える、というのは、
とてもとても難しい。


だからこそ、大ピンチが、
新しい時代に向けての大チャンスになる。


日産もつぶれそうになったがゆえに、
ゴーン改革が真正面から受け入れられ、
電気自動車・蓄電池開発への投資など、
従来ならできなかったような、
思い切った未来への意思決定ができた。

そしていまや、これからの市場に向けて、
なかなかに良いポジションを築きつつある。


トヨタも、これを機に、
気になりつつも変えられなかった旧習を一掃し、
躍動感ある組織へと変身していってほしい。

人も組織も素晴らしいのだから、
やろうと思えば、絶対にできるはず。

そして、10年後には、

「いやあ、あの危機があったからこそ、
今のトヨタがあるんですよー」

と、しみじみ語っていてほしい、
と願う。心から。
posted by まゆか at 00:15| Comment(0) | 企業・経営・経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月06日

アート?

オフィスでは、東京駅を一望できる、
大きな窓を独占させてもらっている。

青く広い空、
高層ビルに反射する夕焼け、
出入りする新幹線...

いつもいい気分で仕事できる理由の一つ。


でも、少し前から、
赤レンガの東京駅が、工事用の灰色の幕で
すっぽりと蔽われてしまい、
眺望がずいぶんと殺風景になってしまった。

どうやら簡単な工事ではなさそうだから、
しばらくこのまま灰色か、と、
とても残念に思っていた。


先日、アート関連の仕事をしている
ボスの友人がオフィスに立ち寄った。

「おー、角部屋だあ。明るくていいなあ」

そして窓の外を見て言った。


「ああ!これはクリストだ!
アートじゃないですか。わー、すごい!」


クリスト、というのは、ヨーロッパの
夫妻でやっているアーティストで、
とにかくいろんなものを大きな布で梱包する、
ということをやっているのだそうだ。

例えばベルリンにある
19世紀末にできた国会議事堂を布で蔽って、
ナチス時代の体制への反駁を表現した、
とか何とか。


確かに、言われてみると、
20世紀初頭にできた東京駅が、
ほぼ完全に布で梱包されている。


そうか、そうやって見方を変えれば、
アートだと思ってみれば、
この殺風景っぷりも、
逆に味わえるようになるのかもしれない。
知覚を変えれば世界は変わる。

...なんて思って、
今日つくづく眼下の東京駅を眺めてみたけど、
やっぱり、どう観ても、よくなかった。
美しくないものは、美しくない。

アートだと言い聞かせて観るアートって、
何か、語義矛盾しているし。


とはいえ、単に目障りなものとして、
視界から無意識に外していたものを、
全く違う見方があることを知って、
改めて意識的に視覚する、という経験は、
なかなかに新鮮だった。


ちなみに、クリスト夫妻の「梱包」作品は、
常に「これはアートなのか?!」という議論を
巻き起こしているらしい。

そりゃ議論したくなるよなあ。
だって、意味わかんないもの。
posted by まゆか at 23:10| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

磁石

自分の人生に関して、
外に答えを求めたり、
先に行けば何か見えると期待したりすると、
答えを与えよう、
何か見させてあげよう、という力を、
自然と呼び寄せる結果になる。

こうやって生きるべきだ、とか、
こうしたら幸せになれる、とか、
ああしたらいい、とか。

外からの「答え」が、
つまりは押し付けの力が、
答えを求める心に向かって、
やってくる。

台風の目に向かって、
エネルギーが流れ込むように


一方で、
自分の中にある答えの存在に気付き、
それを実際の行動に反映し始めると、
状況はぐっと変化する。

自分の心が磁石となり、
答えの実現や発展を
後押しする力をすいよせる。

多くは、意識を超えたところで。

行動の習慣化により、
磁力はさらに強まり、
そして、押し付けの力は、
波が引くように静まり返る。


現象とは、心を映し出す、鏡。
posted by まゆか at 00:24| Comment(2) | ちょっとした発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月05日

礼儀の裏にあるもの

お花を習っていると、
先生方へのお礼やらで、
新札を用意する機会が結構ある。

額によっては1万円札だけではないので、
平日3時までに銀行窓口に行かないとならず、
昨日も逃し、今日も逃し...
とかやっているうちに、
気付けば新札が必要な当日になり(多くが週末)
仕方なくその日の朝に、コンビニで、
「なるべく綺麗な紙幣でおつりを下さい」
などと頼んで、新札もどきでごまかしたりする。


あー、もう面倒くさ。
日本の新札文化なんて、
なくなっちゃえばいいのに...
お金はお金だ!

と、つい最近まで、
かなり本気で思っていた。


この間、創業480年の虎屋の社長さんに
お話を伺う機会があった。
伝統と革新を同時に体現している会社のありように
すっかり魅了される。
そのまま階下の本店に立ち寄り、
宝石のような季節物の羊羹を買う。


...そのおつりがすべて、
目の覚めるような正真正銘の新札だった。
それが、とってもすがすがしく、
受け取った時、えらく気分が良かった。


ああ、そうか。
新札だと、受け取る側が気持ちいいんだ。
お礼の気持ちが伝わるんだ。

今までの、堕落ぶりを、いたく反省。
これからは、お礼の時には、
ちゃんと、前もって、
新札を準備しておくことにしよう。


礼儀は単なるformalityではない。
その成り立ちの裏には、
必ず人の気持ちに基づくロジックがある。


所作を丁寧にすることの、
形式を超えた大切さと、その美しさを、
虎屋が教えてくれました。
posted by まゆか at 00:54| Comment(4) | お花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月03日

映画と本

原作が本の映画は、
絶対に本の方がいいと、
ずっと思ってたけど、
映画と本とどっちがいいかどうかは、
どちらに先に出会ったかで決まるのでは、と、
伊坂幸太郎原作「ゴールデンスランバー」を
映画館で観ながらふと思った。

原作を読んでしまっていたら、たぶん、
あんなに満喫できなかったような気がする。

最初に本を読んでから映画を見ると、
本のほうが絶対にいいと思うし、
逆に映画をみてから本を読むと
映画のほうがいいと思う、
ということなんじゃないかしら。


本を読んでさらに映画を見ようとか、
映画を見たのにさらに本で読もうとか、
そんな気合が沸くぐらいだから、
最初の出会いでその作品を
相当気に入っている、ということ。

初期バージョンで、
物語や映像がくっきりと
頭と心に刻まれているため、
次のバージョンがいくら
単体として素晴らしかったとしても、
自分の中にある初期バージョンとの
ギャップが気になって、
どうももぞもぞして、没頭しきれない。

映画での映像が頭にあるため、
本の文章そのものはあまり味わずに、
噛まないで食べ物を飲み込むかのように、
すっとばして読んでしまったり、
本の内容と違っていると、
うわー、そこ違う!と思って、
映画ならではの展開を楽しめなかったり。


唯一の例外は、
ハリーポッターシリーズ。
相当な編集作業はあるにしろ、
映像が本の世界を見事に再現しているので、
本で読んで、映画でみて、
二度思いっきり楽しめる。

正確に言うと、
1)原作を読み、
2) 1年後日本語訳を読み、
3) 2-3年後に映画を見る、
と3回も、しかも×7巻楽しめるわけだから、
21回も、ハッピーが続く。

いと、たのし。うれし。

生きている間に、もう一度、
ハリーポッター級の物語が、
世に生まれるといいな...


「ゴールデンスランバー」
よかったです。
特に原作をまだ読んでいない方には、
おすすめ、です。
posted by まゆか at 22:38| Comment(0) | 観賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月01日

粋な計らい

年明け、
ある時期によく一緒にいた人々を
見かけたりニアミスしたり。

続いて、ある日に集合予定だった人々に、
前倒しで遭遇したり。


そして、今日は、
一層にぎゅぎゅっとつまった
出会いの連続が起こった。


私のボスが勉強会で出会った人と
ランチをすることになり、
その人が紹介したいと言って
連れてきた人が、あら、びっくり、
たまたま前述のある日に集まった人の一人。

彼はワシントンDC時代の友人でもある。

なごやかに、4人でランチを終え、
エレベーターでロビーに下りた瞬間、
別のDC時代の友達に出くわす。

おー、今日はDCづいている、と、
思って、うきうきと外に出たら、
前方に、何だか見覚えのある後姿。

もしかして...と、前に走り込むと、
やっぱり、そう。
DCの同じ大学院のプログラムにいて、
卒業以来ずっと海外赴任をしていた
友人だった!


降り始めた冷たい雨も
気にならないほど、
うれしくなる。


同じようなことが2年前にあっても、
まだその頃は、
留学時代の自分のあり方や、
その結果として起きたことを、
自分の中で受け止めきっていなかったから、
再会をそれほど喜べなかっただろう。

その時期のことが、
いいことも悪いことも全部ひっくるめて、
自分の一部として溶け込んだから、
その頃の友人たちに会えて、
純粋にうれしかった。

というか、受け止めたからこそ、
そういう偶然が連続したんだ、と思う。


だから、本当は、
偶然なんかじゃない。


神様の、粋な計らい。
posted by まゆか at 22:33| Comment(0) | 留学時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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