2013年12月08日

真っ暗な街を訪れて

友人のばんばさんが運営する
Bridge for Fukushimaの主催のツアーで、
福島に行ってきた。

ばんばさんは、もともと国際開発の分野で活躍され、
国連やJICAなどの機関で働いていらっしゃった方。
福島出身で、震災を機に福島を拠点に活動をはじめた。

その活動の一つの「ヒューマンツーリズム」という事業。
原発事故の影響を受けながらも、たくましく日々を生き抜く
とびっきり素敵な人たちに会い共に時間を過ごす、
という一泊二日のツアーだ。

全町避難となった小高町出身の方のガイドで、
20キロ圏内へ。
5キロの地点まで行って、そこから引き返し、
全町避難中の小高町の駅前で降りたつ。
目の前に続く、まっすぐの目抜き通り。


丸ごと街から人がいなくなった、というのは、
こういうことなんだ。


夕暮れ時。本来であれば家の明かりがともり始め、
人々がごはんの支度をしている頃だろうか。

真っ暗な建物が建ち並び、
そして人がだれもいない。声もしない。
車も自転車も通らない。

唯一ついている街灯を眺めていると、
あまりの現実離れした風景に、
どこか違う世界に紛れ込んだような気分になってくる。


人が、人のために作った街に、人だけがいない。


ぼんやりしたまま、バスに乗り込む。
来るときは明るかったからあまり気づかなかったが、
暗くなってくるとわかる。10キロ以上の道すがら、
すべての家・建物が、真っ暗だった。

そして20キロのポイントをすぎた瞬間、
セブンイレブンの明るい光が目をさした。
いろんな意味でまぶしすぎた。

20キロという、人が引いた線。その内側と外側。

定規で引いたような、アフリカの国境を、
その国境のどちらにいるかで、
人生が大きく異なるという、
地図でみたあの垂直の線を、思い出す。


次の日、住民の合意形成、土地の買収がうまくいき、
被災地の中でも最も早く、仮設に住んでいる人たちが
新しい自分の家で住むことができると言われている
福島県新地町へ行った。
町を挙げてとても前向きに動いている様子が伝わってくる。

ぐるっと町をバスでまわっている時に、
他の仮設住宅からはかなり離れた山の中に、
ひっそりとたつ、仮設の集落が見えた。
原発近隣の村から避難している方々の仮設だという。

原発避難となると「県」の管轄となり、
なるべく早く住める場所を、ということで、
県が所有している土地に仮設をつくったため、
町からは遠く離れた場所になってしまったそうだ。

以前行ったいわき市でも、原発避難の方々の仮設は、
ちょっとはずれたところにあったのを覚えている。

ぽつんと、ひっそりと。
前に向かう流れとは、一線を画して、そこにある。


どこまで本当に怖いのかがわからない怖さの中で、
将来どうなっていくのか見えない中で、
前へ動きたくても動けない。

それまでの生活の基盤だったものが、
崩れるどころか自分たちに襲いかかってきて、
では新しい基盤を作ろうといっても、
すぐにできるはずもない。

その難しさを前に、いろんな人の中での、
この問題に対する行動も決定も、
なんとなく後回しになっていく。


と、頭がぐるぐるになった状態で東京に戻ってきて、
最初に飛び込んできたニュースが、
自民党のエネルギー政策。

「原子力を主要な電源と定義し、脱原発をとりやめ」

自民党や経済界や経済産業省の論理も
頭では、わかります。知り合い多いし。でもね。


まじかよ。


って、まじで思った。
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posted by まゆか at 17:06| 東北 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月17日

幸運

「すずかん」こと、すずきかん(鈴木寛)さん。

楽天の三木谷さんとか、野球の古田選手とか、
影響力が大きい方々も含め多くの人が応援を表明している中
私ごときが何を言おうとあまり関係ないのはわかってるけど、
でもやっぱり、ちょっとだけ、書きます。

私のまわりにはすずかんさんの盟友・教え子たちがいっぱいいる。
長い時間をともに過ごし、
未来のために共に活動する彼らと比べたら、
何回か、ほんのかする程度、の接点しかない。
でもそのかすった時のことは、すべて色鮮やかに覚えてる。


最初に会った、というか、知ったのは、
すずかんさんがはじめて出馬した選挙の投票前日。
新宿駅東口で、オレンジ色のTシャツを着た
たくさんの若者たちと一緒に「つばさをください」を歌っていた。
へー、若者がこんなに真剣にサポートしている人が
政治家になるとしたらすごいな、
いい時代になってきたな、と思った。


次は、友人数名を含む大学生50名+政治家
という仕立ての、朝まで生テレビ。
(つまりかすったどころか、画面越しで見てただけ)
政治家になりたて、初々しさあふれるすずかんさんが、
最後に一言、と言われて、
「いのちを大切にする」みたいな感じの本質的なメッセージを
一生懸命発信しようとしているところを、田原総一郎さんに
「鈴木さん、それじゃわかんないよ」とばっさり。
ああ、本質的なほど、深いほどに、
わからん、難しい、といわれる世界なのだな、と心が痛かった。
こんなに純粋でまっすぐで、
政界でうまくやれるのだろうか、なんてことを思った。


2008年。すずかんさんと友人二人が共催で
シリーズの勉強会を開始。私は受付を担当していた。
すずかんさんはいつもひょいとやってきては、
熱っぽく話をし、会が夜10時ぐらいに終わると
神保町の夜道をとことこと歩いて帰っていた。
あの後姿、なんかよく覚えている。

その勉強会の夏の合宿企画では、
夜、みんなが座敷で車座となっておしゃべりしていたが、
まあ、すずかんさんの付き合いのいいこと。
日々の激務をぬっての参加で、誰よりも疲れているだろうに
誰よりもアツク、語っていた。
散会後の夜明けの男子風呂でもまだ語っていたらしい。


そして民主党政権となり、文部科学省の副大臣となる。
教育関連の部会に所属している知人の政治家から
「すずかんさんが副大臣になられてから、
文部科学省の官僚たちが、すっごいやる気を出して
よい教育をつくろうと、今までに無いぐらい
文部科学省が盛り上がっている」と聞いた。

朝生で田原総一郎さんにやり込められて
しどろもどろだったすずかんさん。
ここまで来たんだな、と、向こうはこっちのことを
ほとんど知らないのに、勝手にうれしくなる。


そしてそのころの話。
パレスチナ大使の公邸にお邪魔する機会があった。
すずかんさんも最後のほうに顔を出された。
帰りはJR山手線。躊躇なく電車に乗りこむ。同じ方向だった。

結構混んだ電車、立って揺られながら、ふつーに話をした。
あんまりにも自然だから、こっちも友達か同僚と
おしゃべりしているような気安い気分になってくる。
そして、「あ、自分の駅だ、さよなら」といって降りていった。
ふつーすぎて、おしゃべりの内容、覚えてない。

降りて行ったあと、
「あれ、そういえば副大臣だったよね」と思い出して
その圧倒的なえらぶらなさの衝撃がじわじわとやってくる。


権力欲だとか支配欲だとか、そういうのが見事なまでに無くて
よい未来を創るために、自分のいのちを削ってでも
何かにつき動かされるかのように動いている人。

わかりやすい票にはまるでなりそうもない、
でも未来には必要なことを、やり続ける人。

そういう人が政治家であることの幸運、
これを手放してはいけないって、強くつよく思う。


私は政治には少なからぬ拒否感を持っていて、、
ポップに罪悪感をかきたてる
「若者よ、選挙に行こう」ムーブメントも
正直なところ、ちょっと苦手。いや、かなり苦手である。

でも、すずかんさんみたいな人が政治家であり続けてほしいから
今回の選挙は、たぶん生まれてはじめて、
投票しなくちゃいけない、じゃなくて、
投票したい、で行く選挙になる。
posted by まゆか at 16:17| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月15日

広州にて

1年ぶり、広州に出張。

昨年のデモ後の混乱はなんのその、
たくましくかしこく明るく事業を展開する
日本企業の方々からのお話に、
あたたかな気持ちになる。


その気持ちの余韻を味わいつつ、
朝、緑豊かな街をぶらぶらと散策。

大きな公園があったので入ってみる。
辛亥革命のころ、革命を目指して反乱を起こしたものの
清朝に弾圧されて亡くなった人たちのお墓がある公園。
広々としてなかなかに素敵な場所だ。


しかし、まあ。いやはや。

おばちゃんとおばあちゃんとおじいちゃんが
そこかしこで遊んでる。いや、遊びまくっている。

トランプをしていたり、
バトミントンの羽を使ったけまりのようなスポーツをしていたり、
歌ったり、胡弓を弾いたり、
扇や剣を使った太極拳をしたり、
大音量で音楽をかけて寝っころがってたり、
孫のあかちゃんの面倒を見てたり。


そして圧倒的な量のおばさまたちが、
いくつかのグループになって、
やったら踊っている。
マスゲームとフォークダンスと盆踊りを混ぜたようなダンス。
グループによって振り付けと曲が異なり、
それぞれに「私はちょっと踊れるのよ」というひらひらした服を着た
リーダーのような人がいて、指導してる。

そして、全くもって、お互いを気にしていない。
ゆったりと太極拳をしているグループの横で、
社交ダンス(のようなもの)にいそしむ男女が
カルメンの曲で激しく踊りだす。

しかも、このテンションで、まだ朝9時。


これは、病院いらずだね。
はじけるエネルギーに、
巣鴨も、びっくりだ。


ちなみに私は中国の南方に行くと
完全に混じりこんで、
日常風景の一部となるタイプである。
posted by まゆか at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月23日

改めて

フラメンコにはいくつか代表的な曲の種類がある。

調がメジャーかマイナーか、
リズムが3拍子か4拍子か、
どういうふうに始まり、どこで盛り上がり、
足はどこに入れるか、という、全体の構成が
曲の種類によって大体決まっている。
そして同じ曲の種類に対し、
歌(メロディーと歌詞)が複数存在する。


私が一番好きなのは、喜び、歓喜という意味の
alegriasという曲だ。その名の通り、とても明るい曲。

そして、alegriasの歌として最もよく歌われる
ある歌の中の4小節ぐらいが、特に好きだ。

その部分を踊っているといつも、自分が光に包まれて、
そして自分の体からまさに歓びが光となって
外に向かって放たれるような、
私、恋している!みたいな気分になっていた。
歌詞も「君が好きだ!」みたいなんだと勝手に勘違いしてた。


そうしたら、その4小節は...

♪街が爆撃を受けて、全部壊れた。
壊れた街をみながら煙草をふかしていたら、
その煙の向こうに昔の街が、街の光が、見えた。

というような意味の歌詞だったと、
この曲で初めて踊ってから15年たった昨日、はじめて知る。


似たような感じで、めっちゃかっこいい歌詞だと思っていたら
ひたすら「赤、青、黄、白〜」と色を連呼してたり
悲しみ、という曲だし、
これはいったいどんな深い悲しみなのかしら、
と思いきや、姑との問題を歌ってたり。


日常のほんのささいなことの中での
喜怒哀楽の表現の豊かさ。
本来とてもしんどいはずのことを
それはそれと受け止めて、明るく歌い上げるたくましさ。
それこそがフラメンコなのかな、と思う。

私は言語としては例え認識してなくても
そういうものをずっと身体で踊ってきたんだなあ、と、
改めてしみじみと思う日でした。

(ちっとは勉強して言語でも認識しろよ、とも思いつつ、
これまでもしなかったので
これからもたぶんしないでしょう)
posted by まゆか at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | フラメンコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月11日

時代

昨日、我が家に復興でハブ的な役割を果たしている
最高に素敵な3人がやってきた。
RCF復興支援チーム藤沢烈さん、
東日本大震災復興支援財団荒井優さん、
ETIC山内幸治さん。

90年代半ば学生だった頃から、
活動フィールドは異なりながらも
同じ世代観を共有する仲間として、つながっていた。
その後、社会人となり、それぞれの社会経験を積み重ねた。


そして起こった、2011年の東日本大震災。
自然と、まるで申し合わせたかのように、
彼らを含めた当時の仲間たちの足は東北へ向かった。
そしてそのまま活動を続け、
今や復興の中心メンバーとなっている。

被災地が広大なため、各自の持ち場が重なることはほとんどなく
また忙しくてゆっくり集まることもないが、
それでも、時々、お互い横にいることを感じ、
そこから力を得ながら、答えのない最前線を走っている。


3人が久々に集まり、リラックスして話をする姿を見て、
その言葉を聴いて、なんとも不思議な気分になった。

自分が生きてきた時代の絵巻を見ている、ような。
ふとその瞬間だけ、3人が話ができるように
時間が動きをとめている、ような。
時代に同席している、ような。

彼らが帰ったあとも
そこに出現した時空を壊したくなくて
しばらく食器もグラスもそのままに
そこにじっとしていた。
その場にいれたこれまでの縁の積み重ねと偶然に、
心から感謝しながら。


東北で起こっていることは
訪問やインタビューを通じて、
こういうことなのかな、とようやく言葉にできたころには
もう物事がだいぶ動いていて、
その言葉では表現できなくなっている、
そんなことの繰り返しだ。

それでも、常時周回遅れ、でもいいから、
彼らが生み出している物語を、
この時代の物語を、
書き綴っていきたい。
そう改めて、強くつよく思う、夜になった。

*****
せっかくの自分のポジションを生かして
世界への発信を、ということで
Harvard Business Reviewで連載(不定期)を始めました。
posted by まゆか at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月02日

ココ・ファーム・ワイナリー


2013-01-28 12.15.14.jpg


うっすらと「おいしい国産のワインらしい」
ということは知ってた。
栃木県足利市にある、ココ・ファーム・ワイナリー

ココ・ファームを題材にした授業の教材をつくるため、
この数週間、ココ・ファームの本や記事を読み込み、
ワイナリーで一日を過ごし、
何人もの人にお話を伺い、
東京でのイベントに出かけ、
たくさんワインを飲んで、
そして仲間といろいろ議論をした。


ココ・ファームは、
成人の知的障害者の施設「こころみ学園」の園生たちが
ぶどうの栽培、ワインの製造にたずさわるワイナリーだ。

サミットの乾杯のワインに使われるなど、
完全に世界でも勝負できる質のワインを作っている。
赤・白・ロゼ・スパークリング、いろいろ飲んでみたけど
とにかくどれもおいしい。深く明るい、味わい。


議論を始めたころは、なんとなく、
障害者である園生の雇用(つまり社会的なこと)と
ワイナリーの経営(つまりビジネスの継続)とは、
どちらかというと相反するものであり、だとすると、
それをどう両立させているのか、
みたいなことがテーマになるのかなと思っていた。

でも、知れば知るほど、相反するどころか、
園生の存在こそが、ココ・ファームのワインの素晴らしさ、
ひいてはサステイナブルなビジネスを
つくりだしているのでは、と思うようになった。


彼らは言えばわかる人たちではないし
命令すればやってくれる人たちでもない。
いやなものはいや。好きなものは好き。
その代り、うまくはまると
驚くほどの集中力で仕事する。

だからワイナリーのスタッフも学園の職員もとにかく必死で、
この園生は何だったらできるのか、ということを考え、
いろいろ試行錯誤をするなかで、
一人一人にあった仕事のかたちを作っていく。

園生の仕事には、邪念が混じらない。
例えばワインに使うぶどうの実を選ぶ基準も
いいものはいい、悪いものは悪い、と、とてもはっきりしている。
これは高いワイン用だからちゃんといい実を選んで、
安いワインには少し傷んだのも入れちゃって、
と、普通の人が考えそうなことには絶対にならない。

さらには、障害者が働くことを通じて
誇りと責任を持って生きる、つまり自立する環境をつくる、
ということを一番の核においているから、
除草剤を撒いて効率化しよう、みたいなことは
最初から選択肢にも入らない。
だって草刈りという大切な作業ができなくなる。
すると、自然と土地は豊かになり、美味しいぶどうができる。
ぶどうがおいしいから、
そのよさをいかしたおいしいワインができる。


一見遠回りに見える。
手間と暇がかかって、ビジネスとは相反するように見える。


でも、障害者と診断される人じゃなくったって、
人は本当は一人一人全然違って、
何が得意なのか、苦手なのか、
好きなのか、嫌いなのか、まるで異なる。

そして、どんな人であっても、
その人が本当にぐいっと、いいものを生み出せるのは
頭で考えてうんぬん、ではなくて、すぽっとはまった時。


2001年に新卒でココ・ファームに入って
今や醸造責任者をつとめる方がこういってた。

「園生は、自然と仕事にうちこんで、楽しんでいる。
楽しもうと思って楽しんでいるのではなく、楽しんでいる。
そして自分の仕事に誇りと責任を持っている。
園生の働き方は、自分にとっての仕事の理想形、なんです。」


そうか、「人ありき」以外の選択肢が逆になかったがゆえに、
働くって、仕事って本来こういうこと、という感覚が共有され、
結果、いいものが生まれているんだ。


ココ・ファームのような場所、
仕事に対する感覚を持つ人がもっと増えた未来で生きたいし、
そんな未来になるために自分ができることを、
すなわち「仕事」を、心を込めてやっていきたいなあ...
posted by まゆか at 00:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 働き方や考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月15日

ギリシャと日本

実に1年半ぶりのブログー


ジョージタウン大学時代の友人で
ギリシャ出身の子がIMF総会の関連で日本に来た。

彼女から今のギリシャの大変な状況を聞いた。

若者の失業率は50%。
みんな職がない、あったとしても給料は支払われないことが多い。
システムは完全にcorruptしていて、
新しい税金がどんどん課されて、
そのお金は一握りの権力者たちのところに流れ込む。

ほとんどの外資がギリシャのオフィスを閉め、
未来に絶望して大量にエリート層が外に流出しているから
他のヨーロッパ諸国で就活しても
「またギリシャからの履歴書か」という感じで扱われる。

上層部は腐敗してるけど、
普通の役人とか企業の人もすごくまじめで、
給料が出なくても大幅にカットされてでも
やるべきことはやる、という感じで一日12時間働いたりもしてる。
なのにギリシャ人はみんな怠惰だという印象を持たれている。
どうにもやりきれない。

学歴があってもどうせ仕事がない。
だったらお金もないし
子供を大学なんて行かせなくていいんじゃないか、と
教育への投資まで先細りしつつある。

息を呑むほどに美人で頭もすごくよくて
学歴も完璧な英語ネイティブな彼女ですら
どんどん絶望的な気分になってきて、
「もう私は一生まともな仕事なんて得られない」と思っていたそう。
「気道に石をつめられているような」毎日だった、とか。

ある時友人の結婚式でパリに行って、
気分がちょっと晴れて、たまたまそこで紹介された人との縁で、
今はスイスの世界経済フォーラムで働いている。

"Thank God, that I was able to leave the country"
といいながら、本当はとても母国が好きな子だから、
思い出しながら涙を浮かべていた。


こんな完璧な彼女が、もう未来なんてない、という
絶望をするほどの状況って、何なんだろう。

しかもたったの2年で、そうなった。
2年前にロンドンで会ったときは、
ギリシャでの生活が楽しいと言っていたのに。

一度どっかの歯車が狂うと
全体が連動してバランスが崩れて
その崩れたところを利用する人たちが出てきて、
そうすると、これまでのたくさんの人の努力をあざ笑うかのように
積み上げてまわしてきた生態系がまるごと壊れてしまうんだ。


で、その美しい彼女は、
1週間の滞在で日本に完全に恋をした。

「何もかもあるすごい大都市なのに、
清潔で、人が親切で、隅々まで美意識が行き届いていて、
サステイナブルな考え方で、
こんなに外国に行って感動したことない!」

日本に来て、やっぱり人生ってすばらしい、と思えたんだって。
英語の先生だろうと何だって仕事はあるんだから、
怖がることはない、と思えたんだって。
黒い雲が晴れたんだって。


既得権益のしがみつきっぷりはすごいし、
テトラポットとか電線とか超醜いし、
パチンコが30兆円産業だし、
自殺も多いし、同調圧力が強くて息が苦しいけど。

でも、もし彼女にそんな感動を与えられたなら、
それだけでもこの国の出身でよかったなって、心から思えた。
posted by まゆか at 22:08| Comment(3) | TrackBack(0) | 国際問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月13日

教育

【twitterで書こうと思ったら
思いっきり字余りになったので
久々にブログです】


「教育」というものに
かなり関わる生活になってわかったこと。

教育とは人の人生を一時的に預かること。
ちょっとした発言、やりとり、機会の創り方で、
その人の人生は本当に変わるということ。


その重みが知らず知らずの間に
ずっしりと乗りかかり、
経験のない私は、あっと思った時には
すでに心身ともにへたってしまっていた。


こんな教育の場を日本の大学で提供できれば、と
今まで夢見てきたことが驚くほどに
様々な奇跡の連続で
自分たちの手で現実のものになっているのに...
喜ぶ元気もなく、ただただつらくて、
空気の抜けた風船みたいになってしまった。

ぐんにゃりした自分に
猛烈な自己嫌悪を覚え、
さらに気分は落ち込む一方。


そんな時、これぞ真の教育者と
心から尊敬している人からこんな言葉がメールで届いた。


Education takes time --
sometime relentless demands
but never disappoints our future and
potential that each of our student possesses.

教育には時間がかかる。
時には非情なまでの仕事量となる。
でもそれは必ず私たちの未来へ
そして生徒一人ひとりが持つ
可能性を開く扉へとつながる。(意訳)


そう、そうだった。
自己へのこだわり、
自己嫌悪に目をふさがれ
何でやっているのかすら、
見失いかけていた。

すべては未来のため。
人の可能性の開花のため。

それだけを信じて、
それだけを願って、
やれるだけやれば、それでいいんだ。
できないことはできないでしょうがない。


へたっていた心に、ぽっと光が燈った。
そうしたら体も少ししゃんとした。


本物の教育者って何となく宗教者に近い気がする。
愛があふれていて謙虚で真摯で。
その人の周りに自然と人が集まり一時的な共同体ができ、
そこで学んだこと、育まれた絆から力をもらいながら、
またそれぞれがそれぞれの人生を歩む。

そんな人々と共に場を創れる奇跡に感謝しつつ
日々をちゃんと積み重ねていきたい。
その先にある未来を、大切にしたい。

(これをやってます↓)
東京大学Global Health Leadership Program
posted by まゆか at 23:32| Comment(0) | 近頃思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月29日

信じること

信じること、
というものを考えるきっかけになった。

デマツイート。

今思い返せばサーバールームからコスモ製油所まで
いろいろ回ってきた。

どれも読んだ時はデマだとは思わなかった。
でも、大したフォロワー数のいない自分がRTしたところでしょうがないし
そもそも直接的な解決の手段を持ってないしと思って、
何も行動しなかった。


でも一つだけ、直接的行動をとったものがあった。

「被災した東大の合格者が3月14日の書類締め切りに
間に合わないという相談を東大の事務にしたけれど
『例外は認められず間に合わなければ合格取り消し』
といってつっぱねられた」

というものだ。


私はこれを信じた。
もしこれが本当なら東大にとっても傷になると思った。
そしてよく知っている東大の関係者に一報を入れた。

その直後にこの連絡をしてきた友人から
デマだった!という連絡が入る。
ちゃんと事務としては誠実に対応をしていたらしい。
すぐに一方を入れた方にはお詫びのメールをして事なきを得る。


深々と考えてしまった。

まずは自分についての反省。

ちょっと東大のHPを見てみるとか、ぐぐってみるとか、
数十秒の確認の手間を取ることを惜しんだ自分に。

そしてさすがにこういう状況で
そんなことはしないだろうと
東大の事務の人たちのIntegrityを
信じきれなかった自分に。


もうひとつは、
そうは言っても信じてしまった理由。

東大の事務と一言でいっても
学部ごとに全然違うので一まとめにはできない。
素晴らしい方々もたくさんいる。

ただこれまで学生として、教員として、
いろいろな場面で事務と接してきた中で
「規則だから」という一言で
あきらかに理不尽な扱いをされた記憶は
相当数あるのは事実だ。

だからその経験を踏まえ
デマツイートに書かれていることは
十分にありえる、と思ってしまったのだ。


さらには、
なぜこんなデマツイートがでたか、
ということ。

流した人の悪意は明らかだし
それは非難されるべきものだ。

でもこんなデマを流したいと思わせる
何かがそこにはあったということなんだと思う。
くすぶったもやのようなものが。


危機においては人の善意も悪意も
何もかもがむき出しになる。
その人そのものが前面に出てくる。

デマを信じてしまう人の弱さも
それをきちんとはねつけられる強さも。
人や組織が積み上げてきた、
それまでの信頼も。


人を信じる強さを持ちたい、と思った。
そしていざという時に信じてもらえるよう
日々をちゃんと生きよう、と思った。


PS:こんなのありました。
posted by まゆか at 17:05| Comment(3) | After 311 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月19日

変化

今、自分の中で
二つの思いが交錯してる。


世界は変わった、という直感と、
その変化に足がすくんでいる理性とが。


今までやっていたことが
11日以降何だか意味ない気がして
どうしてもやる気がおこらなかったり。
でもそんな自分がだめだと思ったり。

逆にこれまではタイミングを見ながら
ゆっくりやっていたことが、
今後ものすごく重要になると
くっきりと意識したり。
でも、そこに向かって進むのは
やっぱりどこか怖かったり。


慣性に引きずられる理性ではなく
今、自分の中に目覚めた感覚を
信じて歩く勇気を持てますように。

普段どおり生きることが大切、
という言葉を言い訳にして、
本来起こるべき変化をも
封じ込めてしまいませんように。


それができたら
世界は変わる。


世界は人の意識が変わり
そこに行動が伴ったときに、
変わるから。
posted by まゆか at 22:09| Comment(1) | After 311 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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